子供はもう寝る時間

「もしもわたしが異世界から来たと言ったらどうする」
「あ?」

口へ運ぼうとしていた出汁巻きをぽろりと取り零した富松を笑いながら、怒られる前に自分の皿から出汁巻きを進呈する。零したのは富松自身の責任に他ならないが、わたしにも一端を担った自覚があるので機嫌を損ねずに済むなら出汁巻きひとつ、安いものだ。

「ありがとよ。んで、突然何言い出すかと思やあ、おまえでも冗談言うんだな」
「おや、ばれた」
「おまえなあ。ほら、こないだ食満先輩たちが拾ってきた…なんて名前だったか忘れたけど、女」
「天から降ってきたという天女さまのこと?」
「そいつ、別の世界から来たとか何とか言ってるらしいじゃねえか。頭でも打ったのか元から気狂いなのかは知らねえけどさ、正直気味が悪いだろ。おまえまで同類だと思われちまうから、そういう冗談はやめとけよ」

頷いて食事の再開を促せば富松は早速わたしの皿から移された玉子に齧り付いた。わたしは大人しく自分の椀を啜りながら意識の片隅で可哀相な天女さまを思った。わたしがこの世界にやって来たのは十二年前のことで、この学園で過ごした三年間でわたしは彼らに受け入れられた。必要なのは人柄でも補正でもなく時間だとわたしは知っている。どんなに異質な存在も、どんなに異常な存在もゆっくりと時間を掛けてやれば浸透する。わたしこそが良い例だ。

「異国に興味持つのは良いことだけどな、あの女はやめとけ。名前の先輩だって言ってたんじゃねのえ?」
「うん、近寄るなって厳命受けた。特に今夜のような月のない晩は出歩かないようにって」
「だろ?うちも似たようなこと言われたからなあ。暫くはあいつらから目が離せねえ」
「次屋と神崎?」
「おう。なんでかは知らねえけどどっちの委員長もおれに言うんだよなあ。同じことを三回も聞くおれの身にもなれってんだ」

困ったように頭を掻いた富松は六年生にも頼られる面倒見の良い男だ。代々用具委員は懐が深いようでわたしはとても助かっている。彼らはわたしのような不審者をも受け入れてくれる。まるで親鳥のような彼らにわたし以外にも多くの生徒が懐いている。だからこその保護者認定だろう。齢十二にして富松は子持ちの貫禄と庇護力を得ているので、将来的にはよき父親になるだろう。とても、残念なことだ。

「じゃあわたしも手伝おうか」
「是非頼む。取り敢えず今は藤内たちに見張って貰ってんだけど、いつあいつらが暴走すんじゃねえかて気が気じゃねえ。名前が手伝ってくれるなら、おれも助かる」
「まあ、我がことながら足止め程度の期待しか出来ないけれど」

十分だと笑い、米を掻き込んだ富松の小皿から沢庵を一枚拝借する。何も言わずに黙認してくれたと言うことは、そう言うことなのだろうと礼を述べて口に運んだ。咀嚼。見事な歯ごたえに流石はおばちゃんだと感嘆する。漬物にさえ妥協しない彼女の料理はとても美味しい。この世界の良いところは米が美味いことだとわたしは思う。

「名前」
「ん?」

名を呼ばれて顔を上げれば突き出される鮎の塩焼き。ぱくりと口を開けてそれを受け入れ、また咀嚼。甘塩が素晴らしい具合で再度おばちゃんを讃えたいと思う。あの頃、川魚は泥臭いとか言ってたわたし、死ねばいい!

「んまい」
「そっか、良かったなあ」

へらりと笑った富松とは三年目の付き合いだが、遠縁の先輩に連れられて学園へ来たあの日から三年間、この世界にやって来てから十二年間、わたしは漸くここに居場所を作りました。十二年の間に作り上げた要塞、ここで生きるわたしと言う存在。天女さま、ここはあなたごときが容易に崩せる牙城ではないのだ。

「富松」
「あ、また言った。他人行儀だからもう名前で呼べって言ってんだろ、名前」
「うん、…作」
「おう」
「ありがと、ご馳走さま」

富松こと作は恥ずかしそうに笑って大したことじゃねえよと言った。照れている顔が年相応で可愛らしくて、思わず頬が緩んだ。名前で呼び合うことよりずっと恥ずかしいことを平気でした癖に、作の羞恥心はよく判らないところで発揮される。食器を片付けながら未だ赤い頬を眺める。まるで林檎のよう。

「作兵衛」
「何」
「舌出して」
「ん」

わたしは十二年前にこの世界に生まれ、ただ生きてきた。世界を受け入れ、わたしを受け入れさせることに十二年間を費やした。そうしてわたしは、ここにいるわたしを作り出した。忍術学園三年ろ組図書委員、名字名前は誰にも覆すことの出来ない、わたしだ。この世界を愛し、鮎の塩焼きに幸せを感じ、友を大切にし、君を愛す。

「ん…、なあ名前」
「なあに?」
「おれから逃げられると思うなよ」
「それはわたしの台詞だよ」

もしもわたしが異世界から来たと言ったなら、きっと作はわたしの身体を縄で結わえてその先端を握り締めるのだ。いつも迷子たちにするように。わたしの愛しい男はよき父親になる機会をふいにしてもわたしと共にいてくれる。だからわたしは作の束縛を喜んで受け入れる。この長い夜が明けるまで、繋いだ手は離さずにいようねとわたしたちは顔を見合わせた。

夜の間に起こるすべての出来事は、寝ている子供の知らぬこと。




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