嘘吐きを飼い馴らす

名字名前の名前を知らない生徒は忍術学園に存在しない。誰よりも平凡な容貌と、誰よりも平凡な頭脳を併せ持った少年。名前は目立つ要素を持たない普通の少年だった。けれど名字の名前だけが彼の中で異質だった。

「名字先輩、それ間違ってます」
「うん、知ってる」
「知っているなら最初から間違えないでください」
「それは無理な相談だなあ」

パチンパチンとけだるげに算盤を弾きながら名前が笑った。名字名前を説明する最も単純な言葉は嘘吐きだ。いつもへらへらと笑っていてなにを考えているのか判らない上に、吐き出す言葉は嘘ばかり。忍術学園で最も信頼出来ない上級生だった。

「名字先輩」
「ああああ、はいはい。判った判った。はいもう直した」
「名字先輩」
「今度はなによ。言っとくけどな、これ以上間違いはないぞ」
「存じております」
「じゃあ何」
「なぜ、わざと間違えるのですか」
「性だな」
「性、ですか」
「そう。おれが日夜おまえに愛を囁くのと同じ道理」

飽きたのかと田村が覗き込んだ帳簿には予想外に整った文字で名字の記名があった。面倒臭がりで嘘吐きだが仕事は早いと言っていたのは委員長である潮江だ。時折織り込まれている凝った間違いさえなければ次期会計委員長の任を任されるような人間なのだ、本来は。けれど忘れてはいけない。名字名前は嘘吐きだ。

「愛しているよ、田村」
「わたしは先輩にそこまで嫌われているとは思いませんでしたよ」
「おや、それは大層な言い掛かりだ。流石は自称アイドル」

手を伸ばした名字は積み上げられている帳簿を二冊己の山へ引き込んだ。委員会の後輩たちへ見えない優しさを与える名字は嘘吐きだ。忍術学園の生徒であれば誰もが知っている。名字の一族は一人の例外もなく、みな嘘吐きだ。

「どうして田村はおれの言葉をそんなに疑うんだろうね。おれはこんなにも愛しているのに」
「当然です。先輩が名字である以上、無条件で受け入れることなど出来ません」
「酷い子だなあ」

笑う名字を信じてはいけない。その笑みには裏面が存在しているのだ。田村はこっそりと溜息を隠した。会う度に名字からは最上級のとろけるような笑みで愛の言葉を贈られる。裏を読め。優しい仕草で、優しい声で、蕩ける笑みで、名字は嘘を吐く。だから田村は名字に敵意を向けられている。帳簿の山を減らしてくれた優しい指は、悪意の裏返し。名字を信じてはいけない。だから上級生たちは名字が下級生に近寄ることを由としない。今年も一年生に向かって名字は容赦のない言葉を吐いた。お使いに出掛ける一年生の頭を撫でて、名字は言った。

「団蔵、気をつけて行っといで」
「はい、名前先輩行ってまいります」

だからなぜ一年生が笑ったのか誰も知らない。裏など読まずに額面通り受け取ったのだと誰もが思った。名字が嘘吐きであることは、一年生から六年生まで誰もが知っていることなのに。だから田村は気付いた。どんなに些細な違和感も見落とさず、名字名前を眺めてみた。一年は組は気付いていたのだと気付いたときは奥歯を噛み締めるほど悔しかった。

「名字先輩が押し込めることを止めて下されば良いのに」
「はあ?なんだそりゃ」

哀れだ。気付いたときにそう思った。田村でさえ気付いたことに名字は気付いていない。名字は嘘吐きで、一族は一人の例外もなく嘘吐きなのだ。それは一般常識で、一般常識過ぎて気付かなかった。まさか当の本人がその一般常識を知らないだなんて。

「先輩、わたしは」

だからだ。名字は自身の言葉を額面通りに受け取って貰えると思い込んでいる。周囲はすべてを嘘だと思い込んでいる。若し、わざと美しい言葉ばかりを吐き出しているのだてしたら、それはなんて悲しい。

「わたしは、もう判ってしまったんです」

名字名前はただの嘘吐きではなかった。会う度に最上級のとろけるような笑みで愛の言葉を田村に贈る。優しい仕草で、優しい声で、蕩ける笑みで。若しも言葉だけを、真っ直ぐに伝えられるように、名字名前が名字名前自身を偽っていたとしたら。あまりに哀れだ。ただ愛を伝えたいだけなのだ。田村は真っ直ぐに名字を見た。

「口先だけの愛でわたしを謀れるとお思いなのですか、本当に?」
「ほんとうに、酷い子」

言葉だけが偽りだと気付いた時、仕草だけを注視した。田村の目にはただ優しいだけの平凡な男だった。言葉だけが偽りだと名字自身も気付いているのだ。だからこそ、偽るのは名字自身だった。

「言葉だけにほだされて、甘い夢を見るとでも思ったんですか。わたしを侮らないで下さい」
口だけが嘘を吐くなら、吐く必要をなくしてしまえと田村は二人きりの部屋で唇を噛み締めた。
「わたしが、上面の言葉に頷いて、それで名字先輩は笑えるんですか。それで満足ですか」

もうすべて判ってしまったんのだから吐き出してしまえと詰め寄る田村に、名字は泣き出しそうな表情で笑った。悲しくて辛くて、それでも嬉しくて。だから初めて名字はなにも考えずに言葉を紡いだ。

「だいきらいだよ、おまえなんて」

嬉しそうに顔を綻ばせた田村は、もう間違えないでくださいねと笑った。




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -