納戸に戻った健二は、画面前で待機していた佐久間と大地へと真剣な目を向けた。
「佐久間、お願い。どうすればこの混乱を止められるか教えて」
『久々だな、お前の真剣な瞳を見るの』
「緊急事態なんだ。それに一刻を争う。いつもみたいにもたもたしていられないよ」
力強く頷く健二。その顔は何かを決意したようにしっかりと前を見据えていた。
それをじっと見ていた佐久間も小さく頷き返す。
『任せた』
「ああ」
物理部の根性、見せてやる!!
▽▲▽
サクマがケンジを案内したのは、OZの中央に位置する管理センターの前。
未だに入ることができないらしく、エンジニアらしきアバター達がその近くを右往左往している。
ケンジとサクマが到着すると、待機していたらしいダイチが走り寄ってきた。
『サクマ先輩にケンジ兄さん』
「ダイチ君」
『様子はどうだ?ダイチ』
サクマが問いかければダイチはと首を横に振る。
『なんとか中に入ろうと頑張ってるんですけど、全て駄目みたいです。誰もあのパスワードを解くことができなくて。』
『ま、そうだろうな…で、だ。ケンジ』
「え?あ、はい!」
突然話を振られたケンジは思わず姿勢を正す。
サクマと画面向こうの佐久間はアバターのケンジと画面前の健二を見て、管理センターの入り口となっている場所を指さした。
『管理塔に入るためには暗号化されたパスワードを解く必要がある』
「また、暗号?」
『512桁、昨夜の2056桁に比べたら楽勝だろ?』
「で、でも、本当にその暗号大丈夫なの?またラブマシーンの罠で説いたら“ドッカーン”って事には…」
『あらら、トラウマになってる?』
『その辺は大丈夫っすよケンジ兄さん。実際何人かのエンジニアがこの解読にあたっていて、同じ人が間違った答えを何度か入れていますけどそういうのはありませんでした』
その言葉に安心したのか健二の瞳からは不安の色が少し薄れた。
後ろから心配そうに健二を見つめる静夜はそんな兄を見て、そして画面の大地へと視線を移す。
彼女に視線に気がついた大地は、彼女を安心させるように小さく微笑む。
『試しに適当に数字入れてみ。警告音と一緒に暗号が出てくるはずだから』
「うん…」
表示された枠に健二が適当に思いついた数字を入力すれば、甲高い警告音と共に沢山の数字の列が現れた。
確かに、それは昨夜健二が解いた暗号にも似ているが数は圧倒的に少ない。
その数字に目を通し、健二は手元に用意していたメモと計算用紙に手を置く。彼の場合、これが問題を解く為の準備体制だ。
『…いけるか?』
「わかんない。でも、やるしかない」
「兄さん…」
少し不安そうに言葉を零す彼の手に静夜が手を添えれば、健二は静夜を安心させるように柔らかく笑う。
「頑張って」
「うん」
健二の手をぎゅっと握り静夜は下がる。それは兄の計算の邪魔をしないようにするための彼女の配慮。
それをわかっている健二はまた小さく彼女に笑いかけ、次の瞬間には真剣な眼差しで画面前の数字を見据えた。
最初は画面の数字を書きとっていくところから始まり、それを徐々に計算してゆく。そうすると次第に計算用紙は数字で埋まってゆく。
一枚、一枚、また一枚。健二はただただ解く。解く。解く。
蝉の声が聞こえる納戸には、ペンの走る音と紙が千切られる音が響き渡る。
他の事などに目もくれずただただ計算をしていく健二を見つめ翔太が言った。
「こいつ、何者?」
「数学オリンピックの日本代表」
『に、なりそこねた者です』
夏希の解説に佐久間が言葉を添える。彼等が会話をしている間にも、健二は会話など聞こえていないかのように一心不乱にペンを動かし続ける。
だが、突然「うう…」と唸りピタリと手を止めてしまう。どうやら計算に詰まってしまったらしい。
一粒の汗が健二の頬を伝い、紙に小さなシミをつける。暫くして健二はゆっくりとまたペンを動かし始めた。
だが、また詰まったのか健二の手は動きを止めてしまう。瞳に浮かぶのは明らかな迷いの色。
「健二君…」
「兄さん…」
夏希と静夜が彼の名を呼ぶ。出来る事ならば今すぐにでも手を貸してあげたい。代わってあげたい。
でも自分はそれを出来る程の力を持ってはいないのだ。
蝉が高らかに鳴くのをやめ、静かな静寂が辺りを包み込む。その時だった。
「あきらめなさんな!」
微かに、栄の声が聞こえた。
それは凛とした身を奮い立たせるような声。
それにハッと健二が弾かれたように瞳を見開き、ぐっと数字の列を見つめた。
「諦めないことが肝心だよ」
もう一声。彼女の凛々しい声が納戸に響く。
健二が顔を微かに上げ、ペンをもう一度握りなおした。
「あんたならできる」
それは全身を奮い立たせるように凛としている。
ゆっくりと、健二の手は数字をその紙に書き込んでゆく。
「出来るって!」
それは、胸にズシンと響く声。
彼女の声を聞いていた夏希が不意に立ち上がり、丸くなっていた健二の背中を強く叩いた。
何事かと彼女を見つめる彼等を気にもせず、夏希は驚いた瞳で彼女を見上げる健二へと口を開く。
「がんばれ、健二君!」
「……っ!はい!」
彼女の言葉に力強く頷いた彼の瞳から、迷いと不安の色が消える。
奥歯を噛みしめ健二は計算を再開する。今度こそ、彼の手が止まることはなかった。
「出来た!」
最後の数行に書かれた数個の文字。
高らかに宣言をした健二だが、安心するのはまだ早い。
気が緩みそうになった彼に喝を入れるように、佐久間の声が飛んでくる。
『よし!そしたらパスワード欄にその答えを入力!』
「うん!」
キーボードへと飛びつき、導き出した答えを入力してゆく健二。
「打ち間違えるなよ」という佐久間の警告を聞きつつ、慎重に答えを入力してゆく。
「よし…」
最後の一文字を打ち終わり、後はエンターキーを押すだけ。
だが、もしこれで間違っていれば、パスワードは書きかえられてしまいもう一度解き直しとなってしまう。
これでいいのか。ミスはなかったか。そんな不安でエンターキーを押そうとする健二の指が止まる。
そんな彼を後押しするように、キーボードに添えられているもう片方の手に静夜の小さな手が重なった。
「…静夜?」
「大丈夫」
ただそう一言。
だが、その一言だけで健二の胸からは不安が消え去ってゆく。
「うん」
ゆっくりと彼女へと頷き、今度こそ迷うことなく健二はエンターキーを押し込んだ。
数秒の間の後、パタパタ軽快な音をたてブロックのように重なっていた管理塔の入口が徐々に開いていった。
「開いた!」「開いたぞ!」という吹き出しがいくつも浮かび、周りをまわっていたエンジニア達は我先にと中へと入ってゆく。
「ひ、開いた〜」
「お疲れ様、健二君!」
「お疲れ様、兄さん」
『グッジョブ!健二!!』
『お疲れッス、健二兄さん!』
力が抜けたのかヘタリと座り込む健二に周りからねぎらいの言葉が飛んでくる。
そんな彼等にお礼を言う健二の表情は、いつもの締りのない顔。先ほどの真剣な健二の顔などどこにもなかった。
皆で喜びを分かち合っている時、ふとデータを調べていたらしい佐久間が声を上げる。
『おい、朗報だぞ、健二!』
「なに?」
『ゲートのセキュリティログによると、昨夜の暗号を解いたのは全世界で55人いる』
「そ、そんなにいたの!?」
驚きに瞳を見開く健二に佐久間は少し面白そうに笑い、人差し指を立てた。
『だがしかーし!その中になんとお前は含まれていなーい!』
「えええ!?ど、どうして!?」
画面に詰め寄る健二に、佐久間は昨夜暗号を解いたとされる人物のデータを見せる。
そして、そのあとに健二の送った回答を開いて見せた。
だが、その回答をよくよく見ると最後の文字だけが赤く点滅しているのが見て取れる。
『最後の1文字が間違ってまーす!さっすが、ウッカリ日本代表になりそこねた男!!』
いかにも面白そうに笑う佐久間と、その奥で苦笑する大地。
今まで自分が犯人だと信じていた健二は、衝撃の事実に鈍器で頭を殴られたようなショックを受けた。
そんな彼に気がつかず「でも」と佐久間は言葉を紡ぐ。
『返信した人間はのきなみアバターを奪われたってわけ。よかったな〜健二……って、聞いているか?健二』
「佐久間先輩、兄さんで固まってます」
首をかしげる佐久間に説明する静夜の後ろでは、ショックで固まった健二の間抜けな顔が映っていた。
汚名返上!(チッ、犯人じゃねーのかよ)
(よ、よかったじゃない。今回はちゃんと合ってたんだから)
110119 執筆
160508 編集
− 38/50 −
≪|目次|≫