広がる青空の下で | ナノ
自分は今、何をすればいいのか。数式よりも簡単であろうこの問題も、今はまさに人生最大の難問のようにさえ思える。
置いてきてしまった妹。容疑者となり捕まった自分。1通のメールから始まったこの事件。
署に直接赴いて事の経緯を説明するという自分の判断ははたして、正解か、不正解か。


「……。」


翔太の横で一言も言葉を発さない健二の手は、真っ白になるくらいに握りしめられていた。




▽▲▽




夏希が今に戻ると、居間には陣内家の人のほとんどが集まっていた。だが、少し様子がおかしい。
テレビの前で高校野球の応援をしている由美と子供たちを除いて、誰もが自分の携帯を片手に不安そうに電話の向こうへと声をなげかげていた。
と、不意に夏希の手元にある携帯がタイミング良く鳴り響き、母からの電話を知らせる。


「お母さん?今、どこ?」
『それが、まだ埼玉なのよ』
「ええ!?どうして?」
『カーナビが壊れちゃったみたいで、迷っちゃった。やっと高速に入ったけど、標識には大宮って書いてあるのに、ナビじゃ北海道の五稜郭の上。あは』


のんびりな母の口調は、内容の割には困っているような雰囲気は全くない。


『しかもすごい渋滞、これじゃぁ今日中に着くのは無理そうね』
「ええー?そんな」


母と会えるのを少し楽しみにしていた夏希は肩を落とし、顔を上げる。


『まぁお父さんが夜には新幹線を使って行くから、万里子おばさんたちにもそう言っておいて』


いまいち緊張感のない母との通話を切り、夏希は先ほど母に言われた事を万里子へと伝える。


「もう、雪子ったら…少しでも人手が欲しいのに」


呆れと怒りが半分半分の声色で万里子はそうつぶやく。
それに夏希が苦笑いしていると、彼女の手元の携帯がまた震える。今度は父からだった。


「お父さん」
『あのな…今日、東京を出られそうにないんだ』


仕事の途中で電話を寄こしているのか父は小声だった。
55歳の父、和夫は水道局に勤めている。


「万里子おばぁちゃん、お父さんも今日は駄目だって」
「和夫さんも!?どうして!」
『誰かが勝手に水道局の制御システムを弄っているみたいで、このままじゃ一緒に埋まっている電力線も危ないってことで手が離せないんです』
「困ります!ただでさえ人出が足りないって時に!」


万里子の一括に電話の奥の和夫の声はさらに縮こまる。
彼女から携帯を受け取った夏希の瞳にも不安の色が広がっていた。
だが、電話の向こうから聞こえてくる声からしてこれ以上長くは話す事はできそうにないらしい。


『とりあえず明日には必ず行きますから、と伝えておいてくれ。それじゃぁ…。――あ、ああ、なんでもない。早く管理ソフトのバックアップを』


最後は部下への指示らしき声とともに父との通話は切れた。
ふぅ、とため息を一つついて夏希が居間を見渡すと、もう陣内家は大混乱の一歩手前まで来ていた。

万作の三人息子の長男で救急救命士の頼彦、次男で消防士長の邦彦、三男でレスキュー隊員の克彦は、それぞれ嘘の緊急通報などが入っており手が離せない。
万助の船は、別の漁港についてしまい今夜のイカが届くかわからない。佳主馬の父は名古屋から出られない。
それぞれが違う人物がここに来れないとの報告を持って居間へとやってくる。
最後には陣内家のほぼ全員が居間に集合してしまい、お互いの顔を見合わせる。


「どうなっているのよ、もう!」


万里子の一際大きなどなり声が陣内家中に響き渡った。

(一体、なにが起こっているの…?)

携帯電話を握り締める夏希の手にじわりと汗が浮かぶ。
ただ事ではない事だけはわかるが、一度にいろんな事が起こりすぎてもはや今の夏希の理解の範疇を超えてしまっていた。


「夏希」


自衛隊の理一が現れた。その片手に持っているのはヘルメット。


「翔太が渋滞に捕まっているらしい。助けに行くけど、一緒に行くか?」
「うん!」


翔太と聞いて頭に浮かんだのは犯人と疑われている彼の顔。
屋敷を出たところで投げられたヘルメットを華麗に受け止め、夏希は理一のオートバイへと飛び乗った。




▽▲▽




涼しげな風が頬を撫でるのを感じた。
それと一緒に感じるのは髪を撫でる温かい手。
髪を一房一房櫛で梳く様な独特な撫で方。
この温かい手は一体――…。


「にい、さん?」
「起きた?静夜」
「……かずま、くん?」
「うん。おはよ」


瞳をあければ自分を見下ろす二つの優しげな瞳。
自分の兄とは違う、未だに幼さを残すその顔の輪郭。
片目が隠れてしまうほどに長いその髪からのぞく瞳。
未だに半分夢の中の頭のまま体を起き上がらせると、さり気なく背中に手が添えられる。


「ここ…」
「静夜とお兄さん用に用意された部屋。静夜は僕に寄りかかったまま寝ちゃったんだよ。覚えてない?」
「……あ」


少しずつ覚醒してきた頭を回転させれば、蘇ってくる先ほどまでの記憶。
半分ほど体を起こした状態で彼を至近距離で見つめれば、返ってくるのは柔らかな笑み。
記憶の全てが戻ってきた時、途端に顔へと熱が集中し始める。
慌てて体を起こし彼から距離をとれば、佳主馬は得に止めるわけでもなく素直に手を離してくれた。


「ご、ごめん!重かったよね…」
「別に、気にしてないよ。それより大丈夫?気分とか」


嫌な顔一つせず佳主馬はまず私の体調の事を聞いてきた。
大丈夫だと頷けば「よかった」と安心したような顔をされる。
佳主馬のその顔を見つめ、静夜は瞳を軽く見開いた。

何故、彼はこんな自分に優しい眼差しを向けてくれるのだろうか…。
どうしてこんな自分をここまで心配してくれるのだろうか…。

静夜の瞳に浮かぶ困惑の色。

今まで受けた事がないその優しげな瞳と言葉。
慣れることができないそれに彼女は困惑する。


「なんで…」
「え…?」
「なんで、私なんかを心配してくれるの?」
「……?」


今度瞳に困惑の色を浮かべるのは佳主馬の番だった。
何故そんな事を彼女は言い出すのか、今の彼には理解ができなかった。
それは、静夜が今までたどってきた人生を知らなかったせいでもあるといえるだろう。

――どうして、そんな優しい言葉を自分にくれるのだろう。
――どうして、そんなに優しい表情を自分に向けてくれるのだろう。

不安と疑問がぐちゃぐちゃに入り混じった静夜の瞳はぐらりぐらりと揺れている。

そんな彼女に佳主馬はゆっくりと言葉を紡ぎだす。


「なんでって、それは…」


それは――。


「友達が苦しそうだったり不安そうだったりしたら心配してあげるのは、当たり前の事じゃないの?」
「とも、だち?」
「うん。友達」


――僕達、友達でしょ?
「俺とお前は、友達だろ?」


彼の声に聞きなれたあの声が重なる。
「友達」と鸚鵡返しのよう呟けば目の前の佳主馬は少し不安そうに此方を見る。


「…嫌だった?」
「え…?」
「僕と友達だって言われるの、嫌だった?」

「そ、そんなこと……ないよ」


最後は消えそうな声色で返せば、「そう」と佳主馬はどこか嬉しそうに笑った。
その頬笑みにじわりと温かくなる胸。
ぎゅっと掴めばその手にも暖かい熱が移る。
この温もりは、この胸から湧き出る感情は何だ。

怒り、悲しみ、それとも――喜び?

あまり感じ慣れていないこの感触にただただ静夜は混乱する。
思わず深く俯いてしまう彼女に佳主馬はゆっくりと手を差し出す。
その手を不思議そうに見つめ、静夜は少し顔を上げた。
目の前の彼は少しだけ真剣に、そして柔らかな眼差しで此方を見つめていて、そして。


「実感わかないなら、改めて言わせて?――僕と、友達になってください」


ゆっくりと紡ぎだされたその言葉。

少し時間が開いて、差し出されたその手に一回り小さな手がゆっくりと重ねられた。




重なる温もり
(握った手の平は、涙がでるくらいに温かかった)
100927 執筆
160421 編集

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