虐めを受けている、そう告げれば誰もが可哀想だと、辛かっただろうと同情の言葉を繰り返す。でも、そんな言葉なんか聞き飽きていた。
本当に私が心の底から求めていたのは――……。
▽▲▽
静かな時が私と目の前で私自身を見つめる栄さんの間を流れていった。
外から聞こえてくるのは鈴虫の音。涼しげで切なげな歌。
「あんた、もしかして昔、虐めを受けてはいなかったかい?」
先ほど彼女から発せられた言葉が頭を回る。
どうして、そんな事が分かったのか。
どうして、会ってすぐに分かってしまったのか。
そんな疑問が脳内を巡り、思考を狂わせる。この質問にどうこたえればいいのか今の私にはわからない。
いっそこのまま、本心のままに話してしまおうか。
いっそこのまま、私の過去をさらけ出してしまおうか。
そして楽になってしまおうか。
脳内の私が囁く甘く優しげな誘惑。それは私の思考を確実に侵食してゆく。じわじわと、まるで解毒薬がない毒のように、じわじわと。けれど、それを私は頭を小さく振ることで振り払った。伝えたところで、どうなってしまうのか、もうそれは何度も経験して分かっていることじゃないか。
「静夜さん?」
ハッと顔を上げればそこには心配そうに私の顔を覗き込む栄さんの姿。大丈夫かい?と問われた問いに小さく頷けば彼女は安心したように笑った。
「すまないね、いきなりこんなことを聞いてしまって」
「いえ……でも、どうしてそんなことを聞いてきたんですか……?」
それがどうしても聞きたかったこと。どうして今さっき会ったばかりだというのに、彼女は私が虐めを受けていたと聞いてきたのか。問えば目の前の栄さんは顔の皺を深くする。
「簡単な事だよ、あんたが今にも泣きそうに見えるからさ」
「っ!!」
思わず手で両目を擦ってみたがその手が濡れることはない。半分パニックに陥る私を宥めるように栄さんは「実際にじゃないよ」と静かに言った。
「言葉が泣いている様に聞こえたのさ」
「言葉……?」
「そう、あんたの“言葉”がね。私へと返す言葉の一つ一つがまるで泣き声のように聞こえてきたんだ」
人は嘘吐きでペテン師だ。本当は悲しいのに表向きはニコニコと笑う。本当は嬉しいのにそれを表に出すことがない。
嘘の仮面を被って自分自身を偽って生きている。表向きの自分を創って本当の自分を心の奥底へと隠してしまう。
でも、どんなに嘘の仮面で自分を偽ろうとも、それはその人が発す言葉や、雰囲気で分かる人にはわかってしまう。
「まぁ、私は長い人生を過したからこそ分かるんだけどね」
ふふ、とまた顔を皺だらけにして笑う栄さん。言葉、と呟けば、そうさ、と栄さんは答えた。
「表情なんかは思い通りに変えられたとしても、言葉や雰囲気だけは変えられやしない。誤魔化せやしないのさ」
「……。」
「だから私は、静夜さん、あんたに会ったときその泣いているような声を聞いて、もしかしたらこの子は虐めを受けているんじゃないか、と思って聞いたんだよ。本当は、部外者の私がずけずけと聞いていいことではないと思うけど、あんたの反応を見ていたら気になってしまってね」
どうだい?と聞かれ、私はただ口を噤むしかなかった。
栄さんの言葉の一つ一つがあまりにも的確だったから。
訪れる静寂。聴こえてくる静かな夜の歌に耳を澄ませ、私はこの時初めて栄さんを真正面から真っ直ぐに見つめた。そして若干震える唇を開き、言葉を紡ぐ。
「栄さんの言うとおり、私は……ある理由で虐めを受けていました。いえ、今も、と言った方が正しいかもしれません」
ゆっくりと紡いでゆく言の葉。その一言一言を話すたびに脳内に浮かぶ光景。それを必死に振り払い、私は尚も言葉を紡ぐ。
「原因は……簡単に言ってしまえば見た目の違いです。私は体のある部分が、一般人とは違う色をしている。それをネタに、私は小さい頃から虐められ、他人から避けられてきました」
「そうかい。辛かったろうね……」
瞳を閉じて静かに私の話に耳を傾けていた栄さんは私が言葉を紡ぐのをやめると同時に静かに瞳を開く。その瞳はしっかりと私を見つめ、決して揺らぐことはない。
私もそんな栄さんの瞳を髪の奥から静かに見つめ返す。
「いえ、もうそんなに辛いとは、感じません。……慣れましたから」
同情されるのにも。慰めの言葉を受けるのにも。
虐めを受けるのにも。他人から避けられることにも。
全て、慣れてしまった。
本当はそれには決して慣れてはいけないと分かっていても、もう遅い。慣れるということを私は知ってしまった。学習してしまった。
どうすれば他人から自分を守れるのか。どうすれば、他人と距離をとれるのか。
自嘲気味に口元を歪ませれば、栄さんは顔を若干険しくさせる。
きっと彼女は知っているんだろう。それは決して慣れてはいけないものなのだと。慣れてしまったと感じてはいけないものなのだと。
「静夜さん、嫌じゃなければ、その虐められている原因を私に教えてくれないかい?」
「え……?」
私は小さく、息を飲んだ。もしや冗談ではないのかと彼女を見るがその瞳は変わらず真剣な輝きを放っている。それは、本当に私が抱えているものと向き合ってくれようとしてくれる瞳。
私は暫く口を閉じ、そしてゆっくりとカーテンのように顔面を隠していた前髪の片方を持ち上げた。
そこから覗くのは――深い深いアオ。
あお、アオ、青(彼女の瞳の奥に移る私は今、どんな顔をしているんだろう…)
100609 執筆
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