初めてきたときと同じく神聖な雰囲気が漂っている離れ。今度は自分が会うのかと思うと自然と手に力が篭る。それは、名も知らぬ他人と話をしなければならないという不安と緊張から。
キュッと口を小さく結ぶ静夜の目の前で、
「おばあちゃん、僕だけど」
「お入り」
閉じられていた障子が、佳主馬の手によって開かれた。
▽▲▽
開かれた障子の向こうには畳が広がっていた。佳主馬の後ろから部屋を覗いた静夜は首を傾げる。確かに声がしたはずなのにその声の主が見当たらなかったからだ。
「こっちだよ」
部屋を覗き込む佳主馬にその少し奥から優しい老婆の声がかかった。
そして聞こえてくるのはパチンという音。何か木と木がぶつかったような小さな衝撃音だ。
音が聞こえてくる方へと歩みを進めると、そこには一つの囲碁版に向き合う老婆――栄が座っていた。
彼女の手に握られているのは囲碁の説明書。一人で囲碁の練習をしていたらしい。その姿はとても様になり、背後で大きな蕾を拵えた朝顔がその清楚さを引き立てる。
「どうしたんだい?佳主馬。片付けはもう終わったのかい?」
「うん」
栄の質問に答えつつ佳主馬は彼女の目の前に座り込む。そんな二人の少し後ろ、敷居代わりとなっている障子の後ろに座る。
「おばあちゃんが最近体調悪いって母さんから聞いたから、それが心配になって」
「おやま、佳主馬にまで伝わっていたのかい?万里子さんも心配性だね」
栄は困ったように笑う。
「大丈夫?体とか」
「そんな心配されるほどでもないよ。ただの夏ばてさ」
「そっか、よかった」
「心配かけてすまなかったね。でも、心配してくれてありがとう、佳主馬」
伸ばされた手は真っ直ぐに佳主馬の頭へと伸び、そのさらさらの髪を優しくかき回す。
佳主馬はそれを拒むことなく大人しく受け入れた。そんな佳主馬を見て栄は優しく笑った。
と、不意にその視線は障子の奥にいる静夜へと向けられる。
「佳主馬……誰か、連れてきたのかい?」
「うん。静夜」
「……。」
名前を呼ばれ静夜はおずおずと栄の前へと移動する。先に座っていた佳主馬は横へとずれて静かに二人が向き合うのを見つめた。
「お前さんは?」
「……小磯、静夜です」
「じゃぁ貴方が、あの健二さんの妹さんかい?」
「はい」
おやまぁ、とどこか嬉しそうに笑う栄に対し静夜の顔は強張っている。それを見る佳主馬の瞳は心配そうに揺れている。栄は緊張で強張る静夜に気がついたのか、安心させるように優しく笑った。
「遅れてしまったけれど、ようこそ陣内家へ。なにもないところだけれどゆっくりしていって下さいな」
「……はい」
「そんなに緊張しなくてもいいよ、我が家だと思って過ごして良いんだから。ね?」
「……、はい」
「……静夜?」
とん、と佳主馬が肩を叩けばビクッと静夜は大きく体を震わせた。それを見た栄は驚いたように瞳を見開き、叩いた当の本人である佳主馬でさえも驚いたように手を引っ込める。
「あ……ご、ごめん、佳主馬、君」
「ううん、気にしてない。それより、大丈夫?」
「うん……大丈夫」
「静夜さん、あんた」
「っ……ご、ごめんなさい」
「……どうして謝るんだい?」
静かに栄が問いかければ静夜は言葉を捜すように口をパクパクと開閉し、そして俯いて「ごめんなさい」とまた呟いた。そんな静夜を見て栄は軽く瞳を細める。
「佳主馬」
「……?はい」
「お前は少し外へ出ていてくれないかい?私は少しこの子と二人だけで話がしたい」
「え?」
「…っ」
「で、でも」
「佳主馬君」
「……静夜」
「大丈夫、だから」
渋る佳主馬に、静かに静夜は言う。だがその体は未だに小さく震え、手は真っ白になるくらいに強く握られていた。佳主馬は先ほどの静夜のように何度か口を開閉し、そして小さく頷いて栄の部屋を後にした。
だんだんと遠ざかってゆく足音が静寂の中響き、消えてゆく。やがてその音が完全に消え去ったとき、栄は改めて目の前で俯く静夜へと向き直った。
「静夜さん」
「……っ、はい」
「そんなに緊張しなくてもいいよ。説教するわけでもないんだから、もっと気楽にしておくれ」
「はい」
栄のその言葉はまるで魔法のように自然と静夜の体から力を抜き取ってゆく。
先ほどよりもいくらか自然体になった静夜を安心したように栄が見つめ、優しく笑った。
顔の皺を深めて笑うその顔は、まるで向日葵のように暖かい。初めて会った人だというのに、先ほどまでの緊張感がスッと消えてゆく。
不思議な人だと、思った。
「それで、静夜さん。あんたに少し聞きたいことがあるんだけどいいかい?」
「……どうぞ」
「ありがとう。それじゃぁ聞くけど……あんた、もしかして昔、虐めを受けてはいなかったかい?」
ゆっくりと問われたその問いに、静夜は前髪の奥で瞳を見開いた。
陣内栄(目の前で私を見つめるその瞳は、温かさと鋭さを兼ね備えたまさに――武士の瞳)
100606 執筆
150811 編集
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