hit記念企画 | ナノ
 ざぶん、と足元で小さく波が音を立てる。塩を纏った風が髪と戯れて、これはお風呂に入るときに大変だろうなと、そんなことを考えた。


「あ、まーた海見てぼんやりしてる」
「ごめん」
「まったく、最近それ多くない?なんか海で思いにふけることでもあったの?」


 軽く肘で私の体を小突きながらにまにまと笑う友達に、誤魔化すように苦笑いを返す。


「そう言うわけじゃないんだけどね…」
「いやいや、そういう何か含みが入った言い方だと何かありますって言ってるようなもんだって」


 恋愛?恋愛か?とずいずい聞いてくる友達を軽くあしらいながらも、私の視線は大きく広がる海から逸れることはない。


「主ー!」


 ふと意識を現実から離れさせれば聞こえてくるのはあの声。いつも私の傍にいて、支えてくれていた一本の刀。
 審神者、その職がなくなったのは数年前の事だ。歴史の改変をもくろむ者たちとの戦いは長いこと続き、終わりがないかと思われていたが、刀剣の力とそれをサポートする審神者、そして政府の働きによって見事終わりを迎えることができた。
 役目を終えた刀の付喪神たちは皆刀へと戻り、あるものは消え、そしてあるものは今いる場所へと去って行った。
 審神者としての役目を終え、刀達と別れる当日の日。それを、私は今でも鮮明に思い出すことができる。
 一人一人と会話をし、お別れを言い、感謝の言葉を言った。泣くもの、駄々をこねるもの、潔いもの、最後まで変わらぬ笑みを絶やさないもの。反応はそれぞれで、それに対する私の対応もそれぞれだった。そんな中、最後に来たのが私の近侍を長い事務めていた蛍丸。
 大半の者が消え、静かになった本丸でゆっくりと私に近づいてきた。目線を合わせるようにしゃがめば、翡翠色の瞳が私を映す。


「主…」


 鼓膜を揺らす少し落ち着いた声。あぁ、この声を聞けるのも今日が最後なのだと、嫌でも実感してしまう。


「今まで、ありがとう、主」
「此方こそ、ありがとう」


 そっと頬に添えられた手に自分の手を重ねて、小さくすり寄る。小さいながらもたくましい手。彼は、この手でずっと戦ってきた。そして、私はそれをずっと見てきた。
 大きな敵にも臆さずに立ち向かってゆく小さな背中を。体格に似あわない大きな刀を慣れた手つきで扱い、敵を切り伏せてゆくその姿を。


「主、俺ね、主の本丸にこれて、本当によかった…主の為に戦えて、本当に…嬉しかった」


 ぽつり、ぽつりと零れてゆく言の葉は揺れ。俯き表情を隠した彼の頬を透明な雫が伝う。


「毎日が、すごく楽しくて…主と話せる時間がとても幸せで…俺…っ」


 必死に言葉を紡ぐ姿を私は静かに見つめる。震える声と、流れる涙、それを見ているだけで私の目尻も熱くなる。彼らの前では最後までしゃんとしていよう、そう思っていたのに。


「本当は、離れたくない…お別れ、したくない。…ずっと、一緒にいたい、主と一緒に…みんなと一緒に、ずっとこの本丸で過ごしたい」


 零れた言葉はけっして実現することはないけれど、それが、きっと彼の心からの気持ちだ。そして、他の刀剣達の、私の気持でもある。
 ぼろぼろと涙を零し嗚咽を零す小さな身体を優しく抱きしめる。縋るように背中に回されたてに応えるように抱きしめる力を強めれば、着物の肩口がじんわりと濡れる感触がした。


「私も、ずっとみんなと一緒にいたい。もっともっと、いろんなことを一緒にしたかった」


 やりきれていないことがあった。伝えきれていないこともあった。すべてが中途半端で、すべてが途中のまま、別れを告げなければならない。


「ごめんね、蛍丸。でも、ずっと一緒にいてくれて、一緒に戦ってくれて、本当にありがとう」


 ぎゅっと強く抱きしめ会って、ゆっくりと体を離す。仄かに光り出した彼の体を見て、あぁ、彼もまた、いってしまうのか、離れてしまうのか、そう感じて再度目頭が熱くなる。
 自分の体の変化に気が付いたらしい蛍丸は、じっと自分の手を見てから私へと視線を向ける。そして、小さく口を開いた。


「主…俺ね、主の事が好きだった。俺達の主として、そして…一人の女性として、好きだったよ」


 告げられた気持に僅かに瞳を見開く。今までの彼の行動にそんな感情を感じるものはなかった。「本当は、言わずにいくつもりだったんだけどね」と零しながら蛍丸は私の頬をそっと撫でた。本当に、そのつもりでいくつもりだったんだろう。


「ね、主。俺の最後の我儘、聞いてくれない?」


 どこか寂しげな微笑みを浮かべながら、蛍丸は真っ直ぐに私の瞳を見つめる。ゆっくりと頷けば嬉しそうな表情が彼の顔に浮かんだ。


「最後に…接吻、したいんだ。主と…ダメかな?」


 好きだと告げられた後にくるお願い、ならばその類の者だろうと考えていた私は驚くことはしなかった。そして、これが彼にとっての最初で最後のお願いだと思えば、出す答えも一つ。


「いいよ」


 そう、小さく呟けば、少し驚いたように瞳を見開いたあと、そっと両手が頬に添えられる。近づいてくる顔にゆっくりと瞳を閉じると、仄かな温もりが唇に触れた。
触れる時間はほんのわずか。そっと瞳を開けば、そこには満足そうな表情の蛍丸がいて、その表情を絶やさずに、静かに、光の粒子となって彼は消えて行った。まるで、それは蛍の光のようだと、ふと思った。




「ナマエ?……ナマエ!」
「え?あ、なに?」


 呼ばれる声に意識を戻せば呆れ顔の友達の顔がそこにはあった。


「もー…まーたぼんやりして。そろそろ日が落ちてきたから帰るよ」
「う、うん。ごめん」
「まったく。私は先に行ってるからね。ぼーっとしてないで早く来るんだよ」
「うん」


 ひらひらと手を振って離れていく友達を見送って、再度海へと視線を向ける。
この広い海の中のどこかに彼は今も眠っている。審神者の力がなくなった今、彼をまた顕現させることはできないので、会うことも、言葉を交わすこともできないけれど、それでもこうやって自然と足が海へと向いてしまう。

 もしかしたら、彼に会えるかもしれない。
 もしかしたら、彼と言葉を交わせるかもしれない。

 そんな実現するはずもない夢を私は見ている。ざぷんと、私の足元に来た波が音を立てた。


「また来るね、蛍丸」


 そう小さく呟いて海に背を向け、少し離れたところで手を振っている友達の方へと歩き出す。


「うん、待ってるよ。主…」


 ふわりとふいた海風に乗って小さく小さく、彼の声が聞こえた気がした。




小さな大太刀


151103 執筆

投票、ありがとうございました
[目次へ]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -