複数ジャンル短編 | ナノ
ポタリ、と一滴の水滴が私の額に落ちる。
私の目の前にいるのはずっと待ち焦がれて探し続けた彼。その彼の背に手を回す。冷たい。彼の体はなんて冷たいのだろう。ブルリと身震いし私は更に彼の体を抱きしめる。だが、彼からの返事はない。
私の足元では彼の相棒であるピカチュウが悲しそうに一鳴き。片方の手で優しく撫でてあげれば、その大きな瞳から一滴の水滴。それは彼の足元の白に飲み込まれ消える。


「やっと見つけたと思ったのに」


馬鹿ね。こんなところに篭っているのが悪いのよ。
皮肉めいた言葉を言っても彼からの返事はない。その一文字に結ばれた唇はもう開くことはないのだ。

彼に最後に会ったのはリーグ戦の決勝戦の前。
その時にキラキラと輝いていた黒髪は、今は雪にまみれ白かも黒かも判別がつかない。
真紅に光る赤い瞳も、今は光を宿すことなく濁り、私を静かに見つめている。
彼の姿はあの時と変わらない。袖が白く半袖の赤いジャケット、汚れたジーンズ。その中には黒いティーシャツ、腰にはモンスターボールをつけるためのベルト。そして、私の足元に力なく横たわっている赤と白の帽子。

拾って裏を返せばそこにはびっしりと貼り付けられている16個のジムバッチ。皆この数年間で錆び付き、もう二度と光を放つことはないのだろう。


「あれほど、ジムバッチは磨きなさいって言ったのに」


人からの言いつけを守らないあの頑固な性格は最後まで健全だったのか。

ばーか、と嫌味と皮肉を込めてこつんと額をあわせれば彼の体はグラリと傾き私へともたれかかる。


「ピカ…」
「出よう、こんなところ」


ぐったりと動かない彼を心配するようになくピカチュウへと一度視線を向け、私よりも軽くなってしまった彼の体を担ぐ。彼の体は冷たい。まるで人型の氷を背負っているかのような冷たさだ。前まではあんなにも暖かかったのに。
ざり、と靴底が砂を踏む。ずり落ちる彼の体を担ぎなおし、ゆっくりと暖かい光を放つ洞窟の出口へと足を進めた。


「ナマエ…」


あと一歩。後一歩でこの洞窟の出口だというとき私は誰かに呼ばれたような気がし、ゆっくりと後ろを振り返った。
そこには彼が今までそこで生きてきた痕跡がある。もう二度と火が灯ることがない焚き火のあと。散らばった毛布。置かれた食料。そして、所々から崩れ落ちてきた大きな岩の数々。
その奥、私が彼を見つけた一際大きな岩の前に、彼がいた。


「レッド…」


そんなはずはない、と心が叫ぶ。彼は今私の背中に力なく背負われている。彼が二人いるなんて事は聞いたことがない。でも、確かに彼はいた。私の目の前に。
――優しげな微笑を湛えた半透明の彼――レッドが。


「ナマエ」


聞きなれたあの優しい声が耳に響く。足元にいたピカチュウも彼が見えているのかさびしそうに鳴いた。私達の目の前にいる彼は一瞬そんなピカチュウを見てさびしげに目を細め、私に担がれている体を指差す。


「お願いだナマエ。俺の体、母さんのところまで持って帰って欲しい」
「…うん」
「そして、母さんを支えてあげて欲しい。俺の母さん、意外とおっちょこちょいだから」
「…うん、うん」


いつもの無口の彼からは想像ができないほどの今の彼はよくしゃべる。無意識のうちにあふれ出す涙をそのままに私は彼の言葉に頷く。何度も、何度も。


「それで、母さんに一言伝えて…「ごめんなさい」って」
「…っ。そ、れは、自分で、言いに行きなさいよ、馬鹿」
「俺だって、本当はそうしたいよ。でも、無理だから」
「…馬鹿」
「ナマエ、お願いだ」


懇願するように歪む瞳。卑怯な人だ、私がその瞳に弱いって知ってるくせに。


「…今回、っは、特別、なんだから」
「っ……ありがとう」


スゥ…っと次第に薄くなってゆく彼の姿。それを見たピカチュウが大きな声を上げる。


「ごめんな、ピカチュウ。お前一人残して」
「ピカ…」
「これからは、ナマエと一緒に母さんを支えてあげて」
「ピー…」
「な?」
「ピカチュ」


その大きな瞳に涙を沢山ためながら、ピカチュウはレッドの言葉に大きく頷いた。


「ナマエ」
「何?」


静かに問えば彼は申し訳なさそうに眉を寄せる。


「色々、心配かけてごめん。こんな姿、本当はお前には見て欲しくなかったのに…」
「何、言ってんの?前に言ったでしょ?私はどんなレッドも大好きだって。それは今でも変わらないよ」


自信気にそういえば目の前の彼は一瞬瞳を見開いて。


「……ありがと」


そう言って、消えた。
彼の消えた後には何も残らず先ほどと変わらない湿った空気と少量の鉄臭い匂いが広がっている。


「ピカチュウ、行くよ」
「ピカ」


気合を入れるように彼の体を担ぎなおし、一歩洞窟の外へと足を踏み出した。そこに広がるのは銀色の世界。何もない、本当に何もない真っ白な純白の世界。

今まで彼はこんなところに一人でいたのかと思うと背筋が凍った。
誰もいない、いるのは野生のポケモンだけの世界。助けなんて呼ぶことはかなわない。回復なんてすぐにはできない。
怪我をしても、自力でなんとかするしかない極寒の地。そんな極限の地で彼は…その生涯を閉じた。
ただ一人、湿った洞窟の中で。相棒のポケモン達と共に。唯一助かった相棒のピカチュウだけを残して。

足元でピカチュウが鳴く。哀悼の意を示すかのように一際高く、高く。その声は私達の頭上に広がる青空に吸い込まれて消えてゆく。


「レッド」


私は背中の彼に話しかける。彼から返事が返ってくることは決してないけれど。


「こんなところに一人でいて、寂しかったよね。寒かったよね。苦しかったよね。心細かったよね」


だからこんなにも貴方は冷たいのでしょう?


「大丈夫、町に戻ったら皆待ってるよ。お母さんだって、オーキド博士だって、カスミだって、タケシだって、グリーンだって」


私だってレッドの帰りを待っていたんだよ?待ちきれなくて、一足先に君に会ってしまったけれど。
彼らはまだ君がこんな風になっていることを知らない。こんなになってしまった君を見たら皆は驚いてしまうかもしれないけれど、きっと「おかえり」って言ってくれる。
だから、だからさ、レッド――。


「一緒に帰ろう、マサラタウンに」


私達の生まれた町に――。





君の唇にさよなら告げて
100713 執筆


top
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -