複数ジャンル短編 | ナノ
大抵の子が個性を発現するとされる歳。その時、出久にはなぜか個性が発現しなかった。母と共に医者に行った出久が、最近では珍しい無個性とわかって帰ってきた時の光景は、今でも私の脳裏に焼き付いている。
暗い部屋の中、いつも見ている大好きなヒーローの動画を指さして大粒の涙を流す出久。その出久を抱きしめて泣きながら謝る母。それを私はただ見つめていた。ごめん、ごめんね、そう言い続ける母がとても申し訳なさそうで。抱きしめられながらただ無言で涙を流し続ける出久の姿が痛々しくて…。
その日から私は、弟の傍に寄らなくなり、弟の前では個性を使わなくなった。




△ ▼ △





「え、一人暮らし?」
「うん。ちょっと遠くの大学を受けようと思うんだ」


社会に出るか、大学に行くかの選択時、私はこの家を出ることを選んだ。学力はこつこつと勉強してきたので問題はない。生活面では多少不安はあるが、やりはじめれば慣れるだろう。
驚いた顔で私を見る母。当たり前だ、そのことはずっと誰にも言わずに計画し、準備を進めてきた。
高校からバイトを始めて一人暮らしのためのお金を貯めて、それなりに距離がある大学を選んだ。それを告げたのは、進む先をどうするか、夕飯の後に私自ら母に相談したいと言ったこの時が初めてだった。


「でも…お金とか、やりくり大変でしょ?」
「平気。バイトでお金ためたし、学校に通いながらもバイトするつもりだから」


学費の面も免除などを取って何とかできる予定でいる。何もかも計画と対策は練ってあった。不安そうな母に、自分は大丈夫だという事を必死にアピールし、なんとか許可を得た私はまるで逃げるようにして出久の前から姿を消した。
それから暫く、大学を卒業し社会人になってからも一人暮らしを続けた私は、携帯で連絡はとっても実際に弟の前に姿を現すという事はしなかった。




△ ▼ △





ふと瞳を開くと白い天井が見えた。わずかにずきずきと痛む頭を押さえながらゆっくりと体を起こして周りを見回してみる。私の最後の記憶は出久の担任の先生の後についていこうとして頭をぶつけたところまでだ。どうやってここに運ばれてきたのかはわからない。


「おや、起きたのかい」


女性の声がしてそちらを見れば白衣をまとったおばあさんがいた。


「あんた、頭を強くぶつけて気を失ったんだよ。それをイレイザーが運んできたのさ」
「イレイザー?」
「あぁ、ヒーロー名じゃわからないんだね。相澤って名前の教師さ。ちなみに、あたしはリカバリーガール。この学校の保険医さ」
「リカバリー、ガールさん…」
「そうさ」


イレイザーが血相変えてあんたを抱えて飛び込んできたから驚いたよ、と言いながら椅子から降りた彼女は注射器のような杖をついて私の隣へとやってきた。


「あんた…相当無理してるだろう」
「っ!!」


必死に自分では隠していた事実をピタリと言い当てられて息をのんだ。どうして、なぜ彼女はそんなことを知っている。別にここまでの会話でそんな内容はなかったのに、と思考を巡らせていると、リカバリーガールさんはわずかに眉間に皺をよせた。


「唇の色の悪さ、目の下の隈、肌の調子…ちゃんとした睡眠、栄養摂取、適度な運動をしていないなによりの証拠だよ。それに精神のストレスもあるだろう。化粧なんかでごまかしているようだけど、あたしの目はごまかせない。あんた、このままじゃ…いつか死んじまうよ」


低く言われた言葉に背筋が震える。確かに、慣れない仕事なので体に負担はかけているし、生活も安定していない。人間関係も得意とは言えないので、それなりのストレスもかかっている。けど、どんな病院でもここまではっきりと、死ぬ、という言葉は言われなかった。


「部外者がずけずけ言えることじゃないけどね…もう少し自分を大切にしてやりな。あんた、緑谷出久の姉なんだろう?このことをしったら弟だって心配するよ」


わかっている。だからこの事実だけは弟に気付かれないように必死に隠しているのだ。あれだけ心が優しい弟だ、知ったら心配で慌ててしまうだろうし、ただでさえ弟の怪我などで不安が募っている母に知れた知りしたら倒れてしまうかもしれない。必死に繕って、無理をして元気な自分を家族に見せている。


「わかってます。出久は優しい子だから…」


私の現状を知ったらとても心配させてしまうだろう。皺がつくほどに握りしめたシーツへと視線を落とす。リカバリーガールさんの言っている事はもっともだ。だからこそ、顔があげられない。まっすぐに彼女の顔を見ることができない。


「私も、改善しようとは思ってるんです。でも、うまく行かなくて…」


頑張ろうとして逆に空回りしてしまっている。必死にもがけばもがくほど深みにはまってしまうような状態。
だからかもしれない。わざわざ休みの日に実家に顔を見せたり、弟を見に行ったりしたのは。少しでも優しい家族の暖かさに触れて、今自分がぶつかっている問題から少しでも目を逸らしたかったのかもしれない。


「落ちてるときに無理にもがけば逆に深みにはまっちまうもんさ。そう言う時はいったん足を止めて、振り返ってみることも大切だよ」
「振り返る、ですか」
「そう、今までの事を振り返って、整理していく。そうして、何が原因かをゆっくりと紐解いていくんだ。それを一人でできる人間もいる、けど、大抵の人間はそうはいかない。そう言う時は、心が許せる家族や友人に相談して、一緒に紐解いていってもらう。あんたは、一人で頑張りすぎたんだよ。もっと体の力を抜くといい」


ぽたり、と白いシーツに雫が落ちる。ぽろぽろと落ちていくそれが私の涙だと、少し遅れて気が付いた。彼女の言葉は、今まで聞いてきた言葉の中で一番説得力があり、何より暖かかった。ぬぐってもぬぐっても零れる涙を見て、リカバリーガールさんはふっと表情を和らげた。


「涙が出るときはそのまま流すといい。涙は固まった心の緊張や不安、ストレスを洗い流してくれるからね」
「…っ、でも、シーツとか…よごして…っ」
「そんな心配しなくていいよ。洗えばいい問題なんだから。だから、今は泣くといい、此処には私と…あんたの弟しかいないから」
「え…」


驚きで瞳を見開くと、リカバリーガールはずっと閉じていたカーテンの方を見た。まるでタイミングを読んだように入ってきたのは出久。どうして、とか、なんで、なんて言葉を発したかったけれど、私の口からはなんの言葉も音にならなかった。ただどこからどこまで聞かれてしまったのか、なんでここにいるのかなどの思考がぐるぐると回って、うまく言葉が紡げない。


「姉さん」
「出久、なんで…」
「ご、ごめんなさい!盗み聞きするつもりはなかったんだけど、なんか、入るタイミングを逃しちゃって…」


言葉を探すようにあわあわする目の前の弟。しかしそれよりも私の頭をしめていたのは、今の会話を弟に聞かれてしまったという事だった。今まで必死に自分が隠していたことを、一部とはいえ弟に知られてしまった。その事実にまだ頭がしっかりとついていかない。
「姉さん?」と私を呼んだ弟の声に、無意識に私は個性を発動して弟を引き寄せていた。いつものように優しくではなく力強く。勢いよく近づいてきた弟の制服の胸元をつかんで発した言葉は「忘れて」だった。


「お願い、さっきまでの会話全部忘れて、出久。母さんにも絶対言わないで。お願いだから…!」


今まで必死に耐えて隠してきた事が知れてしまったらと言う恐怖、そして家族に心配をかけたくないという自分のわがまま。それが私を強く動かして、私は出久に何度も「お願いだから忘れて」と言い続けた。


「ね、ねえさ…」
「気持ちはわかるけどいったん落ち着きな」


ぽかり、と頭に落ちてきた衝撃にはっと我に返れば、目の前には驚いた表情の出久がいた。その制服は私につかまれていたせいで皺だらけになっている。


「ご、ごめん」
「ううん、平気だよ」


慌てて手を離して頭を下げる。出久は軽く制服を直して改めて私へとその瞳を向けた。私は無意識とはいえ個性を発動し弟にあんなことをしてしまったのが申し訳なくて、思わず俯いてしまう。きっと弟は驚き、そして少なからず怒ってしまっただろう。意図して聞いたわけでもない話なのに、胸元をつかまれているんだから。最悪、嫌われてしまうかもしれない。不安で自然と手は震える。そんな私の手を包み込んだのは少しだけ傷跡が残った出久の手だった。


「安心して、姉さん。お母さんにはこのことは言わないよ」


だから、不安がらないで。優しく紡がれたその言葉にゆっくりと顔を上げると、そこには優し気な瞳で私を見る弟がいた。


「むしろ、ごめん…姉さんがそこまで苦しんでいることに気が付けなくて」
「なんで、出久が謝るの…別に出久は何も悪くない、悪いのは私だよ」


そう、悪いのは勝手に抱え込んで勝手に自滅しそうになっている私。なのに出久はゆっくりと顔を横に振り、私の手を包んでいる手に少しだけ力を込めた。


「そんなことないよ。姉さんが苦しんでいることに僕は気づけなかった。会うことはなくても、電話だってしていたし、メールとかのやりとりもしてた。それでも姉さんが苦しんでいることに気づけなかった。姉さん一人で苦しませて本当にごめん」
「っ…」


どこまでも弟は優しい。そして、なんでここまで優しい言葉を私にくれるのかわからない。私は自分勝手に弟と距離を取って、家族からも距離を取った。姉らしいことはあまりできなかったし、家族らしいこともできなかった。
ぽたり、と先ほど止まったはずの涙がまた一粒シーツに落ちる。


「どう、して…私は、出久からも、家族からも逃げたんだよ」
「逃げてないよ。姉さんは確かに会いに来てはくれなかったけど、毎年僕の誕生日には必ずメールとお祝いの連絡をくれたし、それに、プレゼントも送ってくれた。母さんを心配させないように、定期的に連絡を取っていたのも知ってる。それに…」


そこで一度口を閉じ、出久は言葉を探すように視線を彷徨わせた後、再度ゆっくりと口を開いた。


「姉さんが家を出ていったのは、僕を傷つけないためだって知っているから」


弟の口から出た言葉に小さく息をのむ。
私が大学進学を機に家を出て、そのまま家に帰らなかった最大の理由。それは、個性がある自分が無個性である弟の近くにいて、弟を傷つけてしまうと思ったからだ。個性がある姉と無個性の弟。決して望んで手に入れたものではないけれど、個性のありなしは大きな差がある。それを小さいながらも弟も気にしてしまうと思った私は、彼から離れるという道を選んだ。私がもっと強い心を持っていたら傍にいて応援し、弟を守るという道もあったかもしれない。けれど、臆病な私はその選択肢を選ぶことができなかった。
けど、そのことを私は誰にも話したことはない。母にも色々と聞かれたけれど、一人暮らしがしてみたいというような理由を用意していた。決して気づかれないと思っていた。


「どうして…それは、誰にも言ってないのに」
「確かに小さい頃は姉さんが傍にいてくれなくなって、僕も嫌われちゃったのかと思っていたけど、姉さんが家を出ていった時もう一度よく考えなおしてみたんだ。姉さんが傍にいてくれなくなったタイミングとか、それ以降の行動とか…それでわかったんだよ」


弟は物事をよく考えることが得意だ。普通の人ならば気が付ないことだって気づいてしまう。考えているときの姿はブツブツと言葉が呪文のように漏れ出して怖いところはあるけれど、それは彼がよく思考を巡らしていることを表している。
そんな弟が本気で頭を使って私の今までの行動を考えれば確かにその結論に行くのも納得がいく。お互い考えることは得意だけれど、隠し事は苦手なタイプなので、きっと隠しているつもりでも多少行動には出てしまっていただろう。
手を包んでいた手を離して出久はそっと私を抱きしめた。


「ありがとう、姉さん。でも、もう気を使わなくていいし、一人で抱え込まなくていい。僕は、姉さんには傍にいてほしい」


その言葉に、今まで必死にこらえてきたいろんな気持ちがあふれ出した。弟への罪悪感、母への申し訳なさ、そして寂しさ、孤独感。その全てがあふれ出して、涙となって沢山私の目から流れ出る。


「ごめん、ごめんなさい…っ、ごめんなさい、出久…っ」
「謝らないで、姉さん。僕の方こそ、姉さんの気持ちに気付いてあげられなくてごめん」


ここが学校内だとか、弟の傍にはリカバリーガールさんがいるとかも今の私には関係がなかった。ただただ幼い子供のように弟の逞しくなった背中に腕を回して縋りつくように抱きしめながら、私はわんわんと声を上げて泣いた。




緑谷出久とその姉
180915 執筆


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