複数ジャンル短編 | ナノ
鍛錬の五舎。その名の通り、この舎は日々体と精神を鍛えることを怠ることがないように生活リズムが作られている。囚人はそれに沿って体を動かし、看守もまた囚人程ではないが鍛錬を行っていた。


「あー…あったま痛い…」


はぁ、と大きなため息一つ零しながら腕の中にその存在を主張している書類へと視線を向ける。主任から渡されたその書類は、新人看守である私でも処理できるだろうと言われて渡されたものだ。別に、書類作業が嫌いというわけではない。むしろ、それなりに得意だと胸を張れる自信もある。だが、それが言えるのは自分の体調がいい時だ。今日のように、薬も効かない頭痛である偏頭痛が出ているときは、書類作業は最高に嫌な仕事へと変わってしまう。


「せめて、静かなとこで終わらせよう」


偏頭痛の敵はまぶしい光と大きな音。窓から差し込む光や鍛錬時間に聞こえてくる囚人たちの気合いでさえ、時には敵となるこの頭痛。とりあえず、その敵が一番少ないであろう、鍛錬上から一番離れたところへと歩む先を決め始めた、そんな時だった。


「お、ナマエじゃねえか。ちょうどいいとこに来たな」
「げっ、猪里さん…」


背後から声をかけてきたのはサボり常習犯とこっそり呼んでいる猪里さんだった。大きな手を軽く振りながら笑顔で歩み寄ってくるその姿に、私の頭には悪い予感しか浮かばない。あの顔は、絶対何かを押し付けようとしている顔だ。


「今から2番との手合わせがあるんだけどよ、俺の代わりにお前がやってくれないか?」
「嫌ですよ、それに私、主任に書類作業頼まれてるので」


ほら、と自分の腕の中にある書類の束をこれ見よがしに見せれば、猪里さんはうーんとどこか困った顔をする。


「書類作業なんてお前にかかればすぐだろ、一回やったらいっていいからさ」
「そう言って、その間にどこかに行くつもりでしょ。何度もやられてますから、もうだまされませんよ?」


彼がそう言ってきたのは、これが初めてではない。最初の頃は一回だけなら、と受けていたが、その度に終わって後ろを向けば猪里さんの姿は消えていたのだ。そして結局他の囚人たちの鍛錬も請け負わされて、悟空主任が猪里さんを引っつかまえて戻ってきた頃には、私は体力の限界でへろへろになる。それを何度もされれば、嫌でも予想ができるようになる。


「頼むよ、このあと大事なレースがあるんだ」
「仕事とは無関係じゃないですか、その用事」


この通り!と手を合わせてくるわりには、交代の理由が私事すぎるだろうとため息をつく。いくら彼が私よりも上の立場だからって、これは受けたくない。ただでさえ、体調が悪い今、極度に体を動かすことはしたくないのだ。


「どんなに頼まれてもお断りします。それじゃ」
「あ、おい」


軽く頭を下げてくるりと背を向ければ、慌てて私の名前を呼んでくる猪里さん。けれどその声に足を止める気は毛頭ない。そのままその場を去ろうと足を動かそうとしたとき、猪里さんとはまた違う、若い声が私の名前を呼んだ。


「ミョウジさん、今日こそ私の相手をしてください」


ずんずんと赤い服に身を包んで歩み寄ってきたのは囚人番号2番だった。あー、また面倒な人に見つかった、と思わず視線を遠くへと飛ばす。


「申し訳ないんだけど、私はほら、この書類処理があるからさ…」
「そんなの、猪里さんにでもやらせておけばいいですよ」
「おい」


ぷんぷんと怒りながら、自分を管理する立場である彼を迷わず使おうと考えられるのは彼くらいだろう。相手が猪里さんならばのらりくらりと言い逃れができるし、その場を去れば勝ちだけれど、2番が相手ではそうはいかない。理由をしっかりと述べて、次の約束を受けてあげないと彼は引き下がってくれないのだから。
そもそも、入ったばかりの私はそこまで強くない。力だって鍛錬の量だって2番の方が上だ。それでも尚、彼は私の姿を見かけるたびに相手を申し込んでくる。一度主任に相談してみたが、その時の返事は「お前が、俺らとは違う意味で強いからじゃねえか?」だったが、その違う意味で強い、という意味はいまだに私自身わかっていない。


「わかったよ。でも、本当に一回だけだからね」
「ありがとうございます!」


いくら言っても食い下がってくる2番に、先に折れたのは私の方だった。持っていた書類を猪里さんに渡して、邪魔になる上着を脱いで軽装になって軽くその場で体を伸ばす。動く度にずきりと痛む頭とぐらりと揺れる視界にわずかに眉をひそめつつも、構えた2番へと対峙した。


「用意はいいですか?」
「いいよ」
「では、行きます」


そう言うや地を蹴って私へと向かってくる2番を見て、構えた拳に力を入れなおした。




△ ▼ △





迫る拳を手のひらを使って流す。それを何度繰り返したんだろう。2番の手刀の拳圧によってふわりと揺れる自分の髪が視界の隅に映る。目の前の2番の目はいまだに爛々と光っていて、これはもうしばらく続きそうだと思い一度吸った息を大きく吐いた。


「はぁっ!」
「…っ」


そこにすかさず飛んでくる拳。それをまた手で受け流すと、先ほどよりもずきりと強い痛みが頭を走る。開始してから時間はそれほど経っていないが、今の私にとって苦手な光と大きな音をその間ずっと受けている状態だ。悪化しないわけがない。一つ、一つ受け流しては足運びで右へ左へと避けるたびに揺れる視界。次第に吐き気も出てきて、視界がちかちかとし始める。あぁ、本当にこれはやばい、最悪吐くかも、と思考を一瞬そらしてしまったのがいけなかったんだろう。2番の正拳が私の腹部へと入った。


「がはっ」


ぶわっと体が後ろに引っ張られる感覚があったかと思えば、次には強い衝撃が背中からきて息が一瞬できなくなる。そのままずるずると崩れるように座り込む私の耳には2番の慌てた声と共に主任や猪里さんの声が入ってきた。体調の事もあったため、周りを見る余裕がなかったが、どうやら仕事を終えた主任も私と2番の手合わせを見ていたらしい。けれど、次第にその音に砂嵐のような音が入り、最後にキーンと甲高い耳鳴りの音が全てを消し去って私の意識は途切れた。




△ ▼ △





「お、目が覚めたか」


瞳を開けば最初に入ってきたのは白い天井と、御十義先生の顔だった。


「御十義先生…」
「お前、体調悪い時に無理するなっていつも言ってるだろ」


まったく、とあきれ顔の先生に、すいません、と弱弱しく答える。目は覚めたがまだ頭は痛いし、視界はぐらぐらと揺れている。小さく唸りながら石鹸のいい香りがする毛布に潜り込んで微睡を貪っていると、扉の開く音と数人の足音がした。


「先生、ミョウジさんの容態はどうですか?」
「今さっき目を覚ましたとこだ。そこのベッドで布団に籠ってると思うぞ」


カーテンが閉まっているのにまるで見えているように答えている先生は流石だ。逆にそれは、目を覚ました後の私の行動が分かるくらい、私はここにお世話になっていると言えてしまうわけだけど。ゆっくりとカーテンが引かれる音を聞いて布団から顔を出せば、心配そうな表情を浮かべた2番がいた。その後ろにいるのは主任で、きっと付き添いで来ているんだろう。


「ミョウジさん、すみませんでした。体調が悪いことに気付かずに相手を申し込んでしまって…」
「気にしなくていいよ。ちゃんと体調の事を言わなかった私も悪かったから」


しゅん、と怒られた犬のように落ち込んでいる2番をこれ以上心配させないように、今浮かべられる精一杯の力ない笑みを浮かべれば2番の表情はいくらか安心したものになった。


「あなたがこうなってしまった原因の私がいえることではないと思いますが、ゆっくり休んで早く良くなってくださいね」
「ありがとう、そうさせてもらうよ」


布団から出ていた私の手にそっと重ねられた2番の手を軽く握り返せば、切れ長できれいな深紅の瞳が嬉し気に細められた。


「2番、ミョウジが目を覚ましたのを確認できたしもういいだろ。そろそろ戻るぞ」
「あ、はい」


外から飛んできた声にはじかれたように顔を向けた2番は、再度私に「お大事に」と言って医務室を後にする。扉が閉まる音と同時にやってくる静かな空間。2番と話したことでさっきまで顔を出していた眠気も顔を引っ込めてしまったので、やることがなくぼんやりと天井を見ていると御十義先生が私の名前を呼んだ。


「あの五舎の2番、だったか?相当心配してたぞ?」
「そうなんですか?」
「あぁ、お前が目を覚ます前に何度か来てたし…気を失ったお前を連れてきたときも、これ以上ないくらいに焦った顔をしてたからな」


つまり、その回数分主任も付き添いとして来ていたわけだ。これは後で何か持っていったほうがいいかもしれない。アイスでいいだろうかと、考えていると御十義先生が顔をのぞかせた。


「看守をここまで気にする囚人なんてそういねえ…お前、あいつに気にいられてるんだな」
「まぁ、何度も手合わせを申し込まれるのでそうだと思います」
「なら、少しはその崩れやすい体調なんとかするんだな。こうもバタバタ倒れてちゃ、ちゃんと手合わせの相手もしてやれないだろ」
「あはは…頑張ります」


苦笑を浮かべながら返せば先生は最後にぽんぽんと軽く私の頭を撫でてカーテンを閉めた。また静かになった空間を暫く堪能していると、眠気がゆっくりと顔を出し始めたので私はそれに身を任せるように瞳を閉じた。次は2番の相手をしっかり果たせるくらいに体調を整える努力をしようか、なんて考えながら。




偏頭痛もち看守と2番
170215 執筆


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