複数ジャンル短編 | ナノ
この地下牢獄につながれてどれくらいの時間が経っただろう。大抵自分の房に顔を出すのは、この房の主任看守である犬ちゃんだ。けれど、最近は新人看守が入ってきたとかで、新しい声が俺の耳にも届くようになっていた。


「あ、ムサシさん」
「ん?なんだナマエちゃんか」


ぼんやりと考えていればなんとやら、その新人看守の一人が俺の房の近くを通りかかったらしい。普通ならばこんなところに入っているのは、他とは一味違う凶悪な犯罪者の為、大抵の看守は声をかけることはない。けれど、彼女はここに来た時から何かと俺に声をかけてくる少し変わった奴だった。


「今日も変わらず読書ですか?」
「まぁね」
「その本、点字で書かれてるんですよね?」
「あぁ、ナマエちゃんも読んでみるかい?」
「いえ、私は遠慮しておきます」


はは、と困ったような笑い声が俺の鼓膜を揺らす。失われてしまった視力で彼女が今どんな顔をしているかわからないが、きっと苦笑を浮かべているのだろう。そっか、と呟きながら読書に戻ろうと本に手を滑らせようとすると「ムサシさん」と再度名前を呼ばれた。


「なに?」
「ちょっとお願いがあるんですが、いいですかね?」


そう言って牢屋に気配が近づいてくる。地面に座って本を持っている俺と目線を合わせるようにしゃがむ音がして、そちらへと顔を向ければ耳には彼女の声が先ほどよりも近くから聞こえてきた。


「ちょっとここの牢屋の隙間から手を出してもらってもいいですか?」
「手?」
「はい、手です。左右どっちでもいいので」


なぜそんなことをお願いされるのか分からず俺は軽く首をかしげる。ここの担当看守であれば、新年大会で起こした俺の事件は知っているだろう。そして、もう出ないとしても俺の手は少し前まで炎を自由自在に出すことができていた。普通なら少しくらい怖がるなり避けるなりするだろうに、そんな手を少し出してほしいなど何を考えているのかさすがの俺でも検討が付かなかった。少しの疑問と不信感、そんな感情を抱きながらそっと少しだけ格子の間から手を差し出せば、その手に自分とは違う少しだけひんやりとした手が触れる。


「あ、やっぱり四桜主任が言っていた通りだ」


どこか大事そうに俺の手を引き寄せた彼女は、そのまま手のひらに自分の頬を当てながら、ほう、と息を吐いた。自分の手から伝わってくる他人の体温。少しだけ冷たく感じるその温度に、思わず俺は口を開いた。


「もしかして、疲れでもたまってたの?」
「実はそうなんですよ。最近仕事が多くて…あまり睡眠もとれてなくて。御十義先生にそれを相談したら、体を温めればいいってアドバイスをいただいたので」


そこで思考の端に浮かんだのがなぜか俺だったらしい。どうやら、彼女の上司である犬ちゃんがぽろりと俺の手の暖かさの事を零したそうだ。だからと言って、わざわざここに来て暖を取らずとも、他にもやり方はあったろうに。


「ホッカイロとかそういうのもあったでしょ」
「そうなんですけど、やっぱり人肌というか、そういう優しい暖かさが欲しいなって思いまして」


「でもほんと、暖かいですねー」なんてのんきに感想を漏らしながらすりすりと俺の手にすり寄る姿は、きっと視力があれば犬のように見えていたんだろう。囚人にそんなことをする看守は、今まで入ってきた刑務所でも見たことがない。けれど、手から伝わる久しぶりの人の体温と感触、そして自分の熱を肯定してくれるような言葉に、冷えきってしまっていた俺の心が少しだけふわりと熱を帯びたのを感じた。


「なぁ、ナマエちゃん」
「何ですか?」
「あまり長い間だと俺も手が痺れちゃうからダメだけど、少しの間だったら必要な時に来てくれれば俺の手を貸すよ」
「え!いいんですか?」
「あぁ」
「ありがとうございます、ムサシさん!」


これで少しは疲労ともおさらばできる!と子供のようにはしゃぐ声が、少しだけくすぐったく感じる。これだけの事で喜ばれるのならば、軽いものだ。


「だけど、手を貸してる間、俺本とか読めないから、よかったら話相手になってくれない?」
「勿論です。いろんなことを話しましょう」


自分の事、自身の周りの事、今日あった出来事、色々と話すことはきっとお互いに尽きることはないだろう。嫌っていた自分の手の暖かさでまたつながれた人との温もり。この冷たい牢獄の中に繋がれる程の罪を犯した者には変わらないけれど、せめてそれくらいの一時はきっとあの硬い主任も許してくれるだろうと、じっと自分たちを映し続けるカメラの視線を感じながら考えた。




温もりを求める看守と634番
170212 執筆


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