複数ジャンル短編 | ナノ
はぁ、と零れ落ちたため息は何個目なのだろう。カツンカツンとブーツを鳴らしながら動く足も、次第にその速度を緩めていく。
アイロンがかけられた制服と帽子の下でズキズキとその存在を主張する痛みに、無理をせずに早退すればよかったと心から後悔する。しかし、今それをしてしまえば、手の中にある書類が片付かない。しかも、運が悪いことに提出期限は明日。最悪なことが重なりすぎて涙が出てきそうだ。


「薬、持ってくればよかった」


とうとう一歩も進めなくなった私の体は冷たい壁沿いずるずると下がっていく。ぺたりとその場に座り込んで痛みに耐えようとするが、薬も何も飲んでいない体は更に痛みを主張していく。
ぐらぐらと揺れ始めた視界に、もうすべて手放してしまおうと瞳を閉じかけた時、ふと視界に端に白と黒が見えた。


「おい、大丈夫か?」
「…15番君」


色違いの双眸で私をのぞき込んできたのは、この13舎で一番の脱獄数を誇る青年の姿だった。


「君、また脱獄したの?」
「そんなこと今はいいだろ。なに、具合悪いのか?」


ぺたりと額に乗せられた手。少しだけ冷たいその手すら今は心地よく感じ、ついついすり寄ってしまう。そんな私の様子を見た彼は少しだけ瞳を細めて、力の抜けてしまった私の体に腕を回して立たせてくれた。


「とりあえず、看守室行くぞ」
「うん…ごめんね、いつも」
「いいよ、俺も特に目的なかったし」


きっと看守室に行けばハジメ主任に脱獄したことがバレてどやされてしまうのに、ゆっくりと歩きだしながら応えてくれる彼の声は酷く優しい。その優しさに弱い私は甘えてしまう。常識的に見れば囚人に身を任せるなど看守として失格だろう。最初はその考えもあって断っていたけれど、なぜかいつも彼が私を最初に見つけて送り届けてくれるので、次第に断ることすら考えなくなってしまった。


「15番君」
「なに?」
「いつもありがとう」
「…囚人にお礼を言う看守なんて、あんたぐらいじゃないか?」
「そうだね」


ゆっくりゆっくり、私の体を気遣っていつも以上に遅いペースで歩みを進める彼からの返答に苦笑がこぼれる。それでも、と私の体に回されている手をそっと撫でる。男性にしては細い腕。けれどしっかりと私を支えてくれる男性の腕だ。


「でもまぁ、悪い気はしないからいいけどさ」


ぽつりと零された言葉に思わず彼へと顔を向ければ、わずかに朱色に染まった頬と軽く視線を横にそらしている彼の顔があった。それが可愛らしくて、小さく笑みを零してしまう。


「おーいハジメ、お前のところの看守連れてきたぞ」
「てめぇ、また勝手に脱獄したのか」


扉を開ければ予想通りに主任の怒声が飛んでくる。けれど、15番に向けていた視線を私へと向けた主任は、その額に浮かべた青筋を引っ込めて足早に近づいてきた。


「なんだ、またやったのか」
「すみません、主任」
「だ、大丈夫ですか?」
「はい、15番君が見つけてくれたので」


はわわと心配そうに駆け寄ってきた星太郎君に返事を返せば、力強い力で引っ張られ視界が囚人服の白黒から看守服の黒へと染まる。顔を上げればそこには私と同じくらいに驚いた顔をしている星太郎君がいた。


「とりあえず、俺はこいつを房に戻してくるから。そっちは頼んだぞ」
「ちょ、俺まだ脱獄したばっかなんだけど!」
「うるせえ!毎度毎度手間かけさせやがって。いいから来い!」


ぎゃーぎゃーと騒ぐ15番君を半ば引きずるようにして主任が出ていけば、看守室には一気に静寂が戻ってくる。


「とりあえず、座って下さい。僕は薬を持ってきますから」
「ありがとう」


大人しく椅子に座れば常備している薬と水の入ったコップを渡される。それを一気に流し込んで一息つけば、向かい合うように星太郎君も椅子に座った。


「あまり無茶しないでくださいね?主任も心配してますよ」
「うん、ごめんね」


ただでさえ13房のメンバーで胃を痛めている主任に、自分の事で更に負担をかけてしまわないようにとしていたのだが、それが逆に負担をかけてしまっていたらしい。今後はもう少し体調管理しっかりしないと、と思いつつ持っていた書類を机に置けば、白い手袋がそれをひょいとさらっていく。


「星太郎君?」
「これは僕がやっておきますから、今は休んでください」


優しい笑みを浮かべてそんなことを言われてしまっては、頷くしかない。少しだけよくなったお腹を撫でつつお礼を言って大人しく彼に仕事を託して持参している毛布を引き寄せる。


「それにしても、15番君はほんとすごいですよね」
「え?」


不意に口を開いた星太郎君の言葉を理解できずに首をかしげる。すると、彼は書類へと向けていた視線を上げて私を見つめる。


「いつも一番最初に見つけて、ここまで連れてきてくれてるじゃないですか」
「そう言えば、そうだね…」
「僕、貴方が15番君以外の人に連れてこられている姿見たことないですもん」


ふふ、とどこか楽し気に笑う星太郎君。確かに腹痛などで動けなくなっている私を連れてくるのはいつも15番君だ。けれど、星太郎君の笑みはそれ以外の事も含まれているような気がしてならない。


「ほんと、15番君は貴方の事が気になるんでしょうね」
「ちょ、ちょっとまって、なんでそんな話になるの?」
「だって、貴方が倒れていたら他の13房の人たちとの脱獄もほっぽいて運んでくるんですよ?」
「え?そうなの?」


いつもふらりと一人で現れて当たり前の流れのように看守室へと連れていってくれるから全く気が付かなかった。僕、たまに他の13房の人達がふてくされながら零してるの聞いてるんですよ、と星太郎君は言いながらまたふふっと笑う。そんな彼の傍で、自分が知らなかった事実を聞いて、私の思考は少しの間フリーズする。だが、次第にゆっくりとその意味が理解できてくると、今度はじわじわと頬に熱が集まっていく。ハジメ主任より気に入られてるんじゃないですかね、と何故か謎の比較を上げてくる星太郎君の頭を軽く小突き、この熱をなんとかしようと立ち上がる。


「あ、どこいくんですか?」
「外で風に当たってくる」


腰に巻いた毛布はそのままに足早に部屋を後にする私の背中にかかるのは、あまり遅くならないでくださいね、という星太郎君の声。それに軽い返事を返して向かうのは13舎の外。頭の中ではいまだに星太郎君の言葉がぐるぐると回っていて、次にまた彼に拾われたとき平常でいられる自信が全くなくなってしまった私は、歩く速度を少しだけ上げながら大きくため息を吐いた。




病弱な看守と15番
170204 執筆


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