捧げ物 | ナノ
 それに気が付いたのはいつ頃だっただろうか。おそらく、審神者の職に就いてから少したったころだったと思う。
 じゃれついてくる短刀達を構いながら縁側でのんびりとしていた時、ふと誰かの視線を感じたのだ。けれどあたりを見回しても誰もいない。「どうしたの?」と不思議そうに聞いてくる短刀達に曖昧に返事を返しつつも気配を探ればその視線はもう消えている。
 次に感じたのはお風呂に入っている時。湯船に入るときは、性別上の都合で専用の札をかけて誰も入らない様にして入っている。視線を感じたのは出入り口ではなく外に繋がる窓からだった。恐る恐る見ればがさりという音とともに一瞬見える人影。ぞわりと鳥肌が立ち慌てて外に出て、丁度広間にいた光忠と一緒にその場所へといったが誰もいなかった。しかし、自然な折れ方ではない草が周囲にはあり、それを見た光忠は僅かに瞳を細めた。
 それ以降、光忠からの助言で出来る限り一人きりにならぬように私には常に誰かがともにいた。それでもその視線はなくならない。むしろ日に日に感じる回数が多くなってゆく。
 自分と数人の神しかいないこの本丸に見ず知らずの者がいるとは考えずらい。日に日に体も精神も疲労してゆく主を見て、流石の刀剣達もあれやこれや対策を練り始めた。けれど、一向に捕まらない視線の持ち主。
 身体を舐めるようにじっとりと感じるその視線は、どこか愛しいものを見るようでもあり、逆に獲物を狙っている肉食獣のものでもあるようだった。
 ある日の事だった、私と一緒に行動してくれていた刀剣が何者かの攻撃で重傷を負った。それは私が私用があると言って離れた数分の間に起こった出来事で、手当てをしながら相手は誰かと問えば後ろからの攻撃で分からなかったという。けれど、彼が背中に負ったそれは紛れもない刀傷。相手も刀剣であるということは一目瞭然だった。


「ごめんね、こんな事になるなんて…」
「主が謝ることはないよ、不意を突かれた俺が悪いんだ」


 だから、泣かないで、と頬を撫で力なく笑う加州を私は抱きしめた。
 それから暫くして、今度は私の私室に何者かが侵入した形跡が出るようになった。別に何かが取られるわけでも、荒らされるわけでもなく、仕事用に使う机に一輪。花がちょこんと乗っている。花は日に日に種類が変わるが、欠かさず毎日机の上にのせられていた。
 それも自分がいないときにそっと置かれているので気味が悪い。けれど花自体に罪はないので、毎日かわるがわるやってくる花用に私は机に小さな花瓶を用意した。すると、いつの頃からかその花瓶に花が入るようになっている。随分と変わった相手だと思うが、だからといって恐怖心が拭われるわけでもない。
 膨らんでゆく恐怖心と不安。次第に外に出ることすらも怖くなって私は自室にこもるようになった。食事はいつも光忠がおぼんに乗せて持ってきてくれる。こんな主で申し訳ないと謝れば「今の状態じゃ仕方ないよ」と優しく頭を撫でられた。あぁ、本当に情けない。恥さらし以外の何物でもないじゃないかと思いながら、刀剣達の言葉に甘えて自室で過ごす日々が続いた。

 そんなある夜の事。その日は空に大きな満月が浮かび、とてもきれいな夜だった。寝る前におやすみの挨拶をしに来た短刀達もはしゃぎながら月の話をしていた。


「あるじさま、きょうはとてもつきがきれいですよ!」
「うん、そうだね。とっても綺麗だね。でも、ずっと月を見て夜更かししたらダメだよ?明日の出陣に響いちゃうから」
「はーい!」


 元気よく返事をしてぱたぱたと去ってゆく短刀達の背中へと手を振り、ふと空を見上げる。月は相変わらずそこにいて、綺麗な姿を見せていた。ふぅ、と無意識に出たため息を消すように、ぎしりと廊下の板が鳴る音がする。


「大将、夜風は体に悪いぜ?」
「ごめんね、薬研。月があんまりにも綺麗だったから、つい、ね」
「ま、確かにこんなきれいな満月、滅多に見れねえのは確かだな」


 私の視線を追う様にして彼も月を見上げる。それから再度私へと視線を戻した薬研の顔はどこか真剣だった。


「大将…いつもしてることだろうが、今晩は普段よりも警戒して寝てくれよ?」
「どうして?」
「見ての通り、今日が満月だからだ。月には俺っち達、刀剣を惑わす力がある。特に、こうやって雲一つない綺麗な満月が出てる時はな」


――だから、気を付けてくれや。

 いつにもまして真剣な薬研の言葉に私はごくりと生唾を飲み込み、頷いた。それを見た薬研は満足そうに笑うと「おやすみ、大将」と言って短刀達が消えて行った廊下へと歩いてゆく。私もその背中が見えなくなったのを確認して部屋へと戻った。
しん…と静まった室内には衣擦れの音だけが響く。敷かれた布団にもぐり、ゆっくりと瞳を閉じた。
 けれど、いくら時間が経ってもいつもくる眠気がこない。困ったと思いながら布団の中でごろごろしていると不意に障子の外に人影が写る。


「主…起きてる?」


その声は蛍丸のものだった。


「起きてるよ…。何かあった?」


 少し遅れながらも返事を返せば障子の奥の影はゆらりとゆれる。


「なんだか、寝付けなくて。一緒に寝てもいい?」


 か細く紡がれた言葉にゆっくりと体をおこし、布団から出る。そっと障子を開けばそこには大きな満月をバックに立っている蛍丸がいる。いつものように人懐っこい笑みを浮かべて「主」と私の事を呼ぶ。あぁ、そういえばここ最近あの視線の事が気になって彼に構ってあげていなかったな、なんて考えが不意に浮かぶ。
 なら、その穴埋めとして添い寝くらいはいいだろうと私は何の警戒もせずに彼を部屋へと招き入れようとした。けれど、なぜか蛍丸は微笑みを浮かべて中に入ってこようとしない。


「蛍丸?どうしたの?」


 不思議に思い視線を合わせるようにしゃがめば、小さな手が私の片腕を掴んで引っ張った。それは、その見てくれには不釣り合いなほどに強い力。あまりの強さに身を引こうとするも彼の力の方が上でそれは叶わずに部屋から出てしまう。


「ほ、蛍丸…?」
「やっと、出てきてくれたね。主…」


 どこかうっとりとした表情で私を見つめる蛍丸は逃がすまいという様に手の力はそのままに、もう片方の手で私の頬を撫でる。偶に彼がするその行為はとても可愛らしく、私も甘んじて受けていた。けれど、今のそれはまったく違うもの用に感じられ、自然と体には寒気が走る。

――気を付けてくれや。

 脳内に響く薬研の声。まさか蛍丸は…と思い彼の顔を見上げたとき、私は小さく悲鳴を上げた。
 彼の片目が、白目の部分がじわりじわりと黒く染まり、翡翠色の瞳が徐々に血のような赤色に変化していっていたのだ。ぼうっと暗闇でも光るその赤き瞳は、今まで散々戦ってきた敵のそれととてもよく似ていた。けれど、それとはまた違う感じが蛍丸を包んでいる。


(闇堕ち…)


 不意に浮かぶのはその言葉。それは、報告例が少ないためにあまり詳細が分かっていない刀剣に起こる現象の呼び名だった。何かを強く思い、心が闇に浸食された刀剣が辿ると言う道。


「俺、ずっと待ってたんだよ。主が長い時間一人になるのを。その時間を見つけたくてずっとずっと主を見てた」


 ある時から感じ始めていた謎の視線、その持ち主は蛍丸だったらしい。無邪気な子供の様に自分の気持ちを話す姿はいつもの蛍丸そのもの。けれど、その内容は信じたくもない内容ばかりだった。
 ずっと私に注がれていた視線。私の近くにいた刀剣を切りつけた犯人。部屋に花を置き続けた人物。それらは全て自分で、私を思ってやったことだと、彼は嬉しげに語る。


「主が花瓶を用意してくれるようになったとき、俺すごく嬉しかったんだ。だから、頑張って綺麗な花を探してきてたんだよ?周りの刀剣に見つからない様に持っていくのは大変だったけど、それでも主が喜んでくれると思ったらどうってことなかった」


 ぱきり…と、不気味な音がなる。黒く染まった彼の瞳の横。まるで卵の殻をむく様にして剥がれたのは彼の皮膚。「ひっ」と零れた悲鳴すらも嬉しげに聞く蛍丸は今自分に起こっている現象に気が付いているのだろうか。ぴきり、ばきり、と小さな音とともに剥がれてゆく彼の皮膚。その下は黒く、白目だった部分と重なってどこからが瞳から分からなくなるようだった。そして、そこから流れてくる赤黒い液体。彼はそれを拭うことなくただ流し続ける。それはまるで涙のようだったが、色が色だけに不気味に感じられた。


「本当はもっと早く動きたかったんだけど、主がいる部屋は結界の力が強かったから出来なくて…それに、するならやっぱり主の思い出に残るようなときがいいかなって思ったんだ。だから、今日にしたの」
「するって…何を」


 震える声で出した問いに、蛍丸は瞳を細めて笑う。


「主を、俺だけのモノにすることを、だよ」


 自分だけのモノにして、もう一生誰にも見せない様に囲い込む。それを想像したのか、ふるりと身を震わせ恍惚の表情を浮かべる彼。それが、私には恐ろしくてたまらなかった。あんなにも無邪気に私に話しかけてくれていた彼はもういない。いるのは、ただ己の欲望に突き動かされ狂気に染まった彼だけだ。とうとう今まで抱え込んでいた恐怖が堪えきれないところまでいってしまったのだろう。私はぺたりと座り込んで身体を震わせていた。ぽろぽろと瞳から零れるのは透明な雫。それを蛍丸は優しく拭う。


「泣かないで、主。大丈夫…怖い事なんかないから。主が怖がることは全部俺が取り除いてあげるから、だから、安心して」


 まるで子供の様をあやすような優しい声色で彼は言う。彼の背後に見える月はいつの間にか赤く染まり、彼の気持ちに呼応するかのように無数の小さな光が彼を包んでいた。その怪しげな雰囲気が更に蛍丸の狂気を濃く浮き上がらせる。真赤な月明かりを浴びながら、彼は言う。恍惚とした表情を浮かべ、血の様に赤く輝く瞳に私を映し、ひび割れた瞳から血の涙を流しながら、彼は言葉を紡ぐ。


「俺が、ずっと主を守ってあげる」





 赤い月が昇ったその晩。ある本丸から一人の審神者と一本の刀剣が姿を消した。書置きもなく、他の刀剣にも何も告げずに消えたことから、政府では神隠しされたとして処理された。




ブラッドムーン


150629 執筆

まゆげ様へ捧げます。

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