ある本丸では日常風景になりつつあることが一つある。それが始まるのはいつも突然で、始まってしまえばそれは長く続く。
「待て主よ!何故逃げる!」
「わぁああん!来ないでくださいー!」
響き渡る開始の合図代わりの叫びと激しい足音。内番をこなしている刀剣男子達はまたやっているのかと苦笑いを浮かべ、その様子を見守る。
「お前等!うるせえぞ!!」
おそらく和泉守兼定だろう叫び声がそこに加わり、本丸に響く足音は更に激しさを増してゆく。目の前を逃げてゆく小さな背中を追いかけながら、岩融は考える。どうして、この主は自分から逃げるのだろうかと。
* * * * *
付喪神として降ろされた時、目の前にちょこんと座り己を見上げる姿に岩融は大いに驚いた。次に自分を扱う人物はこんなにも小さな者なのかと。そして同時にこうも思った。この者を、自分だけのものにしたいと。
それからは行動あるのみでとにかく主へ近づこうと努力をした。戦場では誉を取り、戦いの報告もしに行った。時間があれば主を探し、何か手伝うことはないかと聞いて気配りもした。しかし、それらは全て逆の効果を示したのだ。
何をしても主であるナマエは逃げる。近づけば走って逃げだし。話しかけようとすれば泣かれる始末。最近では姿さえ見かけるのが危うくなりつつある。一度真剣に、己の主は忍者というものではないかと石切丸に相談したことがあるほどだ。
「なぁ、今剣よ、俺は主に嫌われているのだろうか」
「さぁ、ぼくにはよくわかりません」
縁側に座り、空を見上げながら問うた質問への答えはそっけなかった。同じ三条の刀、そして同じ主に仕えていた今剣はぷらぷらと足を揺らしながら中庭を見つめている。一番話がしやすいからと相手になってもらったがこんな返事しか返ってこないのでは意味がない。
「どうしたら主と話しができると思う?」
「そうですねえ…いっそワナというものをしかけてみてはどうですか?」
「ワナだと?」
「そうです。あるじさまがすきなものをおいて、おびきよせてつかまえるんです。そしたらあるじさまとおはなしできますよ」
「ほう…」
しかしそんなものであの主が捕まるものなのだろうか。思わず唸りながら考えるが、今剣から「いぜんケーキでやったときはみごとにひっかかりました」という言葉を聞き意外と行けるかもしれないと考えてしまう。というよりも、自分からはあんな俊足で逃げる癖にケーキの罠には引っかかるのかとため息が出てしまった。
がくりと肩を落とし悩み込む岩融を見ながら今剣は廊下の奥を見つめた。そこには今目の前で落ち込んでいる同士が求める者がいる。
彼の大きな声と鋭い爪、それらが怖いと怯えていつも逃げる自分の主。それでも、本当は色々と気を使ってくれているのも知っているし、思いを寄せてくれているのも少しだけ感じているのだと、以前会話をしたときに言っていた。
今剣は知っているのだ。彼女がこうして遠くから彼を見ていることを。
今剣は見ているのだ。彼女が昼寝をしている彼におずおずと近づいてどこか嬉しそうに彼の頭を撫でていることを。
面と向かってすることは怖いからできないからと、こっそりと彼に触れようとしている彼女の姿を。けれど、それを話さないのは自分たちの主を独り占めされたくないという我儘からだった。
(あるじさまはぼくたち、みんなのものなんですから)
まだ彼に、独り占めはさせてやるものか。
決して彼らに打ち明けることのない思いを秘めながら、未だに悩みながら考える同士を見つめつつ今剣は飴玉の様に大きな瞳を細め、どこか悪戯っ子の様に笑うのだった。
全てを知るのは天狗の子のみ150510 執筆
おまる様、リクエストありがとうございました
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