捧げ物 | ナノ
久しぶりに出た外は、とても快晴だった。空はどこまでも青く、高い。そこを気持ちよさそうに飛ぶマメパト達を見ながら、私はゆっくりと足を踏み出す。
ああ、本当に懐かしい。そして、やはりここは、どれほど時が経とうとも変わらないのだと、改めて実感した。


「…ナマエ?」


じゃり、と聞こえた足音。驚きが隠せていない声色に振り返れば、そこには懐かしい幼馴染の一人である彼がいる。きちっとした服装、天に真っ直ぐ伸びるアホ毛、そして、特徴的な鋭い瞳にそれを和らげる眼鏡。


「久しぶり、チェレン」


ああ、久しぶりすぎて声が少し掠れてしまった。


「君、今までどこに…」
「どこって、決まっているじゃない」


彼のところ。

小さく告げればチェレンの瞳が苦しそうに歪む。相変わらず、幼馴染に対する極度な心配症は直っていないようだ。
あの旅が終わってからどれくらい経ったかわからないけれど、やはりこの町と同じように彼も変わらない。この様子だとベルの方も変わっていなさそうだな、なんて、くすりと口角を上げる。


「ねぇ…ナマエ」
「ん?」
「君は…」
「……ここにいたんだ、ナマエ」
「あ、ブラック」


彼との会話を遮るように突然入ってきた声。それと共に体は傾き後ろへと倒れ込む。私の頭を抱き込むようにして現れたブラックは、少し乱れた息を大きく吐き出し、ゆっくりと目の前のチェレンを見つめた。
彼の顔は私の後ろにあるので、私からは彼の表情を窺う事はできないけれど、きっと恐ろしい表情をしているのだろう。だってほら、チェレンの顔から微かに血の気が失せているもの。


「久しぶりだね、チェレン」
「ああ、久しぶり、ブラック」


さも久々の再開といったふうに告げられた言葉でも、その中に混じトゲトゲしさまでは隠せていない。ぎゅっと抱きしめる腕に力を込めたブラックは、片方の手でまるで愛玩動物を愛でるかのように私の頭を撫でた。


「ねぇ、ブラック。君――」
「ごめん、チェレン。俺ちょっと、ナマエと早急に話さなくちゃいけない事があるんだ。だから、」


また、今度な?

有無を言わせぬ威圧感を放つその言葉。私でさえも少し体を震わせてしまうくらいの低く恐ろしい声色。びくりと肩を震わせたチェレンは悲しそうに私を見て、ああ、と小さく呟いて去って行った。
彼の背中が小さくなるのを見つめながら、ブラックはまた私の頭を優しく撫でる。

優しく、優しく、どこまでも優しく。


「さ、帰ろう?ナマエ」


俺達の家に。

優しく鼓膜を揺さぶる甘い声。大人しく頷けば彼は満足そうに喉を鳴らして、また、私の頭を数度撫でた。




* * *




電気の明りが一切ない室内。閉め切られたカーテン。鍵のかかった扉。彼の匂いのするベットに沈められた私のお腹の上では、彼が冷たい眼差しで私を見下ろしている。
その両手は私の喉に。彼の細い指が私の喉にくいこむ。彼が軽く力を入れるたびに空気の通り道である気道が塞がれ、乱れる呼吸。


「っ、く……」
「言ったよね、ナマエ。俺以外の人と話をしないで、って」
「は…ぁっ、ぶ、ラック…」
「守ってくれるって言うから、外に出してあげたのに。なんで、守れないの?」
「ぁっ…」


ぎりっと喉仏が押され、意識が飛びそうになる。そんな私を感情の浮かばない瞳で見下ろすブラックは、何かをこらえるように眉をハノ字に下げて、尚も指に力を込めた。
遠のく意識。ぎゅっとシーツを握る指の力を抜いてしまえば簡単に意識は飛ばせるだろう。でも、私はそれをしない。だって…。

(苦しいのは私よりも、彼だから…)

こんな形でしか愛の形を示せない彼。小さい頃から一緒だったからこそわかった、彼の人間として欠けてしまっている部分。


「ナマエは俺の、俺だけのモノなんだ…他の奴らなんかに渡さない」
「ぶ…ぁっく…く、るし」
「!?…ぁ…」


ゆっくりと彼の手に私の手を添えると、彼は弾かれたように顔を上げ、今にも泣き出しそうにくしゃりと顔をゆがめる。
次第に緩んでゆく指先と共に、新しい酸素が肺を満たす。数回大きく息を吸って、生きている事を実感していると、とさり、と少し大きな体が私の上に落ちてきた。
赤子をあやす様に数度背中をさすってやれば、小さな嗚咽が零れる。


「ごめん…ごめんナマエ。俺、また…」
「大丈夫、大丈夫だから…」


ぎゅっと私の服を握り震える小さな手。


「ごめん、好きなのに、ナマエの事。こんなに痛めつけて、傷つけて、苦しめて…嫌だよね?怖いよね?痛いよね?」


ごめんね、だなんて親に怒られた小さな子供が謝るように。彼は何度も何度も謝罪の言葉を連ねる。
胸に広がる湿り気を肌で感じながら、私はゆっくりと彼に手を伸ばした。


「大丈夫、私は、大丈夫だから」


大丈夫だよ、とゆっくりゆっくり頭を撫ぜれば握られた拳から次第に力が抜けてゆく。

この行為が彼なりの精一杯の愛の形なんだと、私は重々理解している。だから、私は彼のこの行為を全身全霊で受け止める。

(彼が私を愛しているくらいに、私もブラックが好きだから…)

それが周りから見て、どんなに異様な光景でも、私はそれを受け止める。
彼と付き合うと決めたその日、私はそう心に決めた。その決意は、今も揺らぐことはない。


「ブラック、貴方のしたいように私を愛して?」
「ナマエ…」
「束縛してもいい、暴力を振るってもいい、どんな形でもいいよ…私は、全部受け止めるから」


…堕ちていこう?
深い深い、誰も手が届かないところに。二人で堕ちてしまおう。そうすれば、いつしか周りなんて気にならなくなるから。

誘う様に、ハネッ気のある彼の髪に指を滑らせれば、彼はゆっくりと顔を上げる。絡み合う視線。私達は、噛みつきあう様にキスをした。


深海への招待状

110505 執筆


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