香り。


扉の方からの甘い匂いに気付いて横を向けばカヲの姿があった。
カヲの本名はカヲリだ。
でも女なのか男なのかよくわからない自分の名前が好きじゃないらしく
フルネームで呼ばれるとすごく不機嫌そうな顔になる。
カヲ、でも対して変わらない気もするのだが別にいいらしい。
心なしかいつもよりニコニコ笑っているように見えるカヲ。
つられて私も笑顔になってしまう。
どうしたの?と聞けばさらに笑顔になってカヲは言う。
「チョコレイト、もらったんだ」
私のほうに出された左の手のひらには綺麗に包まれたおいしそうなチョコレイトが3つあった。
甘い匂いの元はチョコレイトか。
よかったね、と笑って返せばカヲはきょとんとする。そしてすぐ笑顔に戻って私の手を取って言う。
「一緒に食べよう?」
「ああ。いいよ。けれどカヲはチョコレイト好きなんじゃないの?」
カヲは好きなものは独り占めしてしまうタイプ。
だから単に自慢しに来ただけなのかと思ったのに。
「みぃなと一緒に食べたいから来たんだよ?」
みぃなというのは私のことだ。本名は未伊奈と言う。
驚いた、カヲが私と一緒に食べたいだなんて。しかも好物のものを。
カヲは肩から提げているバッグから何かを取り出し私の机の上に置いた。
そこにはチョコレイトのほかにキャンディーやクッキーもあった。
ふわりと甘い匂いが広がる。
「家から持ってきたんだ。一緒に食べよ」
「嬉しいな。一緒に食べよう」
私がクッキーを手にとって食べる。
カヲは私のことをニコニコしながら見る。
「カヲ、食べないの?」
「みぃなが食べてるの見るの、嫌いじゃないな」
突然何を言い出したかと思えば。
カヲはたまにこういうふざけたことを言い出す。
もともとおちゃらけた性格だからもうなれているのだが。
「あのさ、みぃな」
「何? どうしたの?」
「どうして名前で呼んでくれないの?」
不思議そうな顔で私と目をあわせるカヲ。
「何で、ってカヲリって呼ばれるの、嫌いでしょ?」
「好きじゃないよ。でも、」
カラスの間抜けな鳴き声が空に響く。
窓に反射してガラスケースがオレンジ色に光っている。
もう夕方なのかな。
「好きな人には、ちゃんと名前で呼んでほしい」
「……何の冗談?」
顔をしかめれば冗談じゃないよ、と返される。
「呼ばれなくてもいいかな、って思ってたけど」
「じゃあ別にいいでしょ」
カヲのもってきたお菓子を見るとチョコレイトは少し溶けているように見えた。
あとで冷蔵庫に入れておかなきゃ。
カヲのほうに視線を戻せばカヲはさっきみたいにニコニコ笑って言った。
「明日ね、手術するんだ」
明日、手術、という言葉に驚き無意識には?なんて返す。
するとカヲは急に話題を変えてきた。
「最近夢を見ないんだよね」
「夢を? それがどうしたの?」
「見ないというより忘れてしまうんだけど」
忘れる? 意味が分からず問えばカヲは答える。
夢はどんな人間でも寝ているとき必ず見るものらしい。
でも起きる時、体が目覚める時のショックで忘れてしまう場合があるらしい。
知らなかった。でも、だから何なの?
「怖い。見た夢を忘れると見てないと錯覚する。その見てない時間、自分の頭の中が、全部が真っ黒でなくなるような感覚になるんだ」
カヲは依然ニコニコしながら話す。
「小さい時も夢を見たことを忘れるとそんな感覚になった。でも、手術の前だからかな、怖いんだ」
「手術って、そんなに危ないものなの?」
「ううん。10人やって9人は成功するもの。でも」
「10人の中の1人になりそうだって? 大丈夫よ、カヲは強いから。それにまだ死ぬべき人間じゃない。だから神様だってきっと生かしてくれる」
カヲは私の目を見て、驚いた顔になって、またすぐふにゃりと笑う。
「……そうだね、ごめん。でも名前で呼んでほしいって言うのは本当だから」
カヲは空を見てもうこんな時間になっちゃった、なんていいながら私の部屋から出て行った。
部屋から出て行くときの彼の背中は、ため息をついていた。
私の部屋には、私と甘ったるいお菓子たちとその匂いが残った。

/香り。

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