【夜に咲く花】


「すみません、神社まで」

仕事を終えた俺は、急ぎ足でスタジオを出た。帰り際神宮寺に「七瀬ちゃんによろしく」と告げられたのは若干気に入らないが、とにかく今は先を急いだ。


タクシーの運転手に行き先を告げ、腕時計を見ると時刻は9時を回っている。機材トラブルが想定よりも時間がかかったため終了が押してしまい、かなり遅くなってしまった。


タクシーの窓から外を覗けば、ぞろぞろと駅に向かう人混みが見えた。この時間だ、花火もとっくに終わっているのだろう。
…当然、彼女が待っているはずもない。もうとっくにあの人混みに紛れて電車にでも乗っている頃と、思う。それでも行かなければならない気がしてならず、足は自然に待ち合わせ場所へと向かっていた。




「ありがとうございました」

神社にようやく到着しタクシーから降りて辺りを見渡すが、露店も続々と片付けに入っている。人もほとんど居ない。漂っているのは祭りの後の静けさだけだ。


「(やはり、間に合わなかったか…)」


念の為と思い神社から少し離れた待ち合わせ場所にも戻るが、当然ながら彼女はその場には居なかった。七瀬に、申し訳ないことをした。恐らく残念がっているだろう、その心情を考えるとただ胸が痛んだ。



──「良い穴場スポット見つけたんだ!」

今日を迎える数日前に、七瀬が楽しそうにそう話していたことをふと思い出す。俺のことを気遣って、人混みを避けた場所を探してくれたのだろう。


「穴場…」

となると、もう少し分かりづらい場所のはずだ。花火が一番良く見えるのはやはり神社の近くだろう。花火が見える方角から考えると残るは…


目に付いたのは鳥居の上の方にある、少し小高い丘。無意識にそこへ足を運んでいた。
待っているはずなどない。そう、思っていたのに。




「…七瀬?」

視線の先に見えたのは、岩に腰掛けるように座る小さな後ろ姿。白と青色の浴衣に赤のかんざしを挿したその姿を見つけ、咄嗟に走り出した。


「あれ、真斗?」

ゆっくりと振り向き、驚いた瞳と目が合う。すぐさま立ち上がった七瀬は上から下まで粧し込み、いつもと雰囲気も違う。それは息を呑んでしまう程可憐で美しく、言葉を続けるのも一瞬はばかれるくらいだった。固まってしまう俺より、先に七瀬が口を開いた。


「どうしたの?もう花火も終わってるのに…」
「それはこっちのセリフだ!こんな夜遅い時間にこんな人気のない所で…危ないだろう!」
「ご、ごめん…」


無意識に出た強めの言葉に、七瀬は気まずそうに視線を逸らした。違う、俺はこんなことを言いたいわけじゃない。


「気を付けて帰れと言っただろう…今日、間に合わなくなったとも」
「そうだけど…でも」


違う。本当は真っ先に謝らなければならないのに。


「だって、真斗なら…絶対来ると思った、から」
「七瀬…」
「私が勝手に待っていたかっただけなの。だから、でも心配かけてごめんなさい」


手提げ袋の紐をきつく握り締めながら、七瀬は小さく頭を下げた。顔を上げると泣きそうな顔をしてもう一度「ごめんね」と七瀬は笑った。

そんな顔はさせたくない。そんな顔をさせるために俺はここに来たのではない。それなのに上手く言葉が出てこなかった。どうすれば七瀬に笑ってもらえるのか…恋人でもない俺にはその答えが見つからなかったんだ。









どうしてこんなに泣きそうになっているんだろう。こんなに時間を過ぎているのに真斗はちゃんと来てくれた。心配してくれるのも、嬉しい。それなのに、いつものようにちゃんと笑えない。


「七瀬」

真斗も辛そうな顔をして私を見つめる。
真斗は何も悪くない、仕事だったなら仕方ないじゃない。だけど、


「ごめんね…私、思っていたよりもずっと真斗と花火見るの楽しみにしてたみたいで」
「あぁ」


ああ、こんなところで泣くような面倒な女になんてなりたくない。必死に目に溜まった涙が零れないよう顎を上げて堪える。

だって私、真斗に嫌われたくないのに。


「浴衣着て、こんな所でずっと待ってて浮かれて…馬鹿みたいだよね、私」
「そんな事言うな、俺だってずっと」


それなのに、思いは止まらない。


「でもね、私…待っていたかったの。真斗に、会いたかったから。浴衣だって、真斗に少しでも、可愛いって思ってもらえたらなって…」


だって私は、あなたのことが大好きだから。


「真斗、私ね…」


意を決し、気持ちを伝えようとしたところで景色が明るく照らされた。


ドン──という大きな音。慌てて二人で空を見上げると、夜空に大きな花が咲いた。


……花火だ。
もう、花火大会は終わったはずなのに、確かにそれは私が真斗と見たかったはずの大きな、そして美しい花火だった。


「すごい…!綺麗!」
「あぁ、綺麗だ。…まだ残っていたのだろうか」
「おまけなのかな?なんだか、真斗へのプレゼントみたい」

嬉しくて嬉しくて、溢れそうだった涙も自然と止まる。次々と、音を立てて上がる花火。誰にも邪魔されない場所で、二人きりで見る花火は…これ以上ないくらい本当に綺麗だった。


「七瀬と一緒に見ることが出来て、良かった」

微笑んで空を見上げる真斗の横顔を、こっそり盗み見る。


初めて会った時から、きっと惹かれてた。だけど真斗を知る内に、もっともっと好きになって…ずっと一緒にいたいと思うようになった。

贅沢な願いかもしれない、叶わない願いかもしれない。だけど好きという気持ちは、止めることなんて出来なくて。


どん、と夜空に一際大きく鳴り響く音。




「好き」


この音に紛れて聞こえないのを良いことに、そっと零れた言葉。


きっと聞こえてないだろう…そう思ったのに。私が見つめていた真斗の横顔が、驚いた表情に変わった。そのまま私の顔を見た真斗と目がばっちりと合う。その反応ですぐに、今の言葉が届いてしまっていた事を察した。


「七瀬……」
「あ、あの…違、違うって訳じゃないんだけど…!」
「……」
「私なんかが、真斗と釣り合うわけないって分かってるし、こう…一緒にいられるだけでも贅沢だって…分かってるんだけど、」


焦ってどうでもよいことをひたすらに口走る私。つい先程、告白しようとしていた人間が何を言ってるんだって感じだ。けど、こんな形で伝えるつもりじゃなかったんだもの。

どうしよう、真斗の顔が見れない。呆れてるかな、困っているかな。何も言ってくれないその反応が余計に怖い。


「ごめん、迷惑だったよね!そろそろ帰ろ──」



勝手に自分で気まずい空気を作ってしまった私は、そのまま真斗に背を向けて歩き出す。だけどその足は先に進むことはなかった。だって歩みを始めたその瞬間に──

大きく後ろに身体を引かれて、真斗に力強く抱き締められたから。


薄手の浴衣越しに伝わる、真斗の温もり。耳元で感じる息遣い。全てにドキドキして体温が一気に上昇する。逃げようにも逃げられない、それほどまでに強い真斗の腕の力に、私は為す術なくその場に立ちすくむことしか出来ない。


「ま、真斗…その…!」
「俺から先に伝えるつもりだったのだが、先を越されてしまったな」
「えっ…?」
「好きだ」


時間が止まったようだった。暗闇の中で確かに聞こえたのは真斗の声だった。間違えるはずがない、だって今ここの空間には私と真斗しかいない。

心臓の音を立てて鳴り止まない。
真斗が、私を…?だって、そんなの。


「う、嘘だよ…」
「嘘じゃない。俺は七瀬が好きだ。ずっと好きだった」
「だ、だって…!私なんて何の取り柄もない一般の会社員だし…真斗が私のことなんて」

好きになるはずがない。そう続けようとすると帯を締めたお腹に手を添えられて、身体をくるりと真斗の方に向けられた。

立ったまま向かい合わせになり、ようやく真斗の表情を確認することが出来た。


「まだ、嘘だと思うか?」


真っ直ぐな綺麗な瞳でじっと見つめられる。その言葉と視線が、嘘だなんてもう思えなくて、ぐっと色々な感情が込み上げてきて小さく唇を噛んだ。

優しい声で投げかけられた問いに、首を横に振る。泣きそうになって、きっと可愛くない顔をしているであろう私に、真斗は優しく微笑んだ。
見たことがない、本当に優しい笑顔で。
ドキドキしちゃうくらい、本当に格好良くて。



「わ、たしも…」
「七瀬」
「真斗が好き…大好きだよっ…」


震える喉から、必死に絞り出した言葉。ようやく伝えることが出来た。ずっと伝えたかった想い、ようやく届いた、届けることが出来た。

二人で笑い合って、自然に身体が近付いてゼロになる距離。真斗の背中に腕を回してシャツをきゅっと掴んだ。夏の蒸し暑さなんて気にならならないくらい、温もりが愛おしくて幸せで。私達はただ何も言わず、しばらくお互いを抱き締めていた。




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