- ナノ -
寝相が悪いという認識は無かった。吐いた吐息が大倶利伽羅の耳へ届くことは無いと思いたい。寝返りを打つ際に絡む腕は今現在大倶利伽羅に抱えられる形となってさながら抱き枕かのように抱き込まれている。普段は着用している黒地の革手袋を外した、彼のものよりも色の白いその手は少し動かせば大倶利伽羅の身体へと、胸元へと触れてしまうだろう。知らずと小さく漏れた吐息は静まり返った室内へと溶けていく。空いたもう片方の腕を頭の下へと持っていき枕代わりとしてから大倶利伽羅の寝息が零される方向とは逆側、窓際へと視線を向けた。
出先での会話を思い返せば今現在大倶利伽羅とこうしてベッドを共にしている事は自分自身が謀ったからこその結果ではないのかとすら疑ってしまう。下心という物に悩まされている自覚は無かったものの、無意識に抱えていたらしいそれは結果、今僕の腕が大倶利伽羅に抱えられているという結末を生んだ。


今朝方の天気予報で伝えられた降水確率は70%。常の車移動とは違い、電車を使って移動していたことが仇となったらしい。都内の大型書店を覗き、新刊のチェックをしたのが大分前の事のように思えたけれど、実際はほんの三十分前に過ぎないわけで。次に足を運ぶべき店へと向かう道すがら、頬に触れた雨粒が大きなものになっていくのに然程時間はかからなかった。

「止みそうもない、かな」
「雲が分厚い、このまま今晩は降り止まないだろうな」

薄い灰色のアスファルトが濃く色を変えていく。時間は午後九時を少し回ったところで、目を凝らさなければ分からない変化もアスファルトが雨に濡れることで発する独特のにおいによってその様は容易に想像できる。男二人の行動で傘を指すことを億劫に思ったことがそもそもの敗因らしい。そのうち収まるだろうと思った雨脚は強くなるばかり。軒下へと雨宿りをしようと口にした時には既に髪からは水滴が滴るまでになっていたし、僕が身につけるジャケットも水分を吸って随分と重たいものとなっていた。見れば大倶利伽羅もインナーに着たシャツに肌の色を透かせてる。思っていた以上に濡れてしまったと吐いた溜息には「あんたのせいじゃない」という大倶利伽羅の言葉が重なった。

「強くなる前に何処かに入っちゃうべきだったなぁ、って思ってさ。と言っても入れる場所はこの時間だと限られてしまうのだけど」
「このザマでは何処も難しいだろう。あんた、髪が普段よりも落ち着いているぞ」
「それ、僕の髪が普段は落ち着いていないって聞こえるんだけど」
「ふ、伊達男の名が泣いているな」

軽口を叩きながらもごく自然な動作で伸ばされた腕は僕の頭へと辿り着く。眼帯を押さえるための結紐と髪との隙間へと大倶利伽羅の指先が入り込む事を止めずにいれば伸ばされた腕によって自然と近づいた互いの身体の熱が妙に熱く感じられた。彼の動作を真似るように伸ばした手は避けられる事が無かった。水滴を滴らせる毛先へと指を絡ませればその拍子に大倶利伽羅の首筋へと触れてしまう。僕の手付きに嫌がる素振りを見せない大倶利伽羅は、肌に触れたその感触にも気付いていないのか僕の手を振り払うことはしなかった。

「どうする、このままじゃ帰るに帰れない。何処か入るか」

何処か、と問われて辺りを見渡したところで目につくのは休憩か宿泊かを選ぶことのできる宿泊施設が大半だ。雨脚に追われるようにして駆け込んだ軒先もそのホテルのうちの一つであったし、場所が歌舞伎町ともなればそれも仕方がないことのように思えた。

「大倶利伽羅が良いなら、僕は構わないけど」
「別に、気にしない。それよりも濡れた服が気持ち悪い」

僅かに下の位置にある大倶利伽羅の頭を見やれば、ちら、と向けられた瞳は普段の彼のものと違いはなかった。僕は、何処に入るかといった事は口にしなかったものの流石に辺りの状況からも彼は察しているらしい。ホテルをぐるりと囲うようにして入り口を隠す役割を担う塀を背に、見上げた空からはしきりに大きな雨粒が落ちてくるばかりだった。背後へと視線を流せばそこにはライトが灯された料金表がある。休憩三時間三千円、宿泊八千円から。相場は分からないものの、これも何かの縁かと、僕に倣って同じようにその料金表を見ていた大倶利伽羅へと視線を向ければ短く一言「此処で良い」との返事が返された。同性でホテルの利用は可能なのか、と思いはしたものの薄暗い通路を通り行き着いた先のロ ビーは部屋の内装と部屋番号を記したパネルが並んでいるだけで人の気配は無かった。唯一ライトが照らされていた部屋は休憩のボタンは無く、宿泊のみとなっている。どうしようか、といった言葉を出すよりも早くに大倶利伽羅がボタンを叩けばパネルが引き戸のように開かれ中には部屋の鍵が鎮座しているのが見える。受け取った鍵を手にして、ライトが落ちて実質満室表示になったパネルを背にエレベーターを探した。

「意外と普通だな」

部屋に入っての一言目は大倶利伽羅ものだった。靴を脱いで上がるタイプのその部屋は玄関口から一枚の扉を隔ててベッドルームとなっているらしい。部屋の内装としては玄関とベッドルームを繋ぐ扉の向かいにキングサイズのベッドが一つ。少し目線を横にずらせば壁に備え付けのテレビがあって、足元には二人がけのソファがひとつ。少し手狭に感じるものの、普通のシティホテルと異なる点は見つからない。玄関から短い廊下の間にはもう一つ扉が存在していて、そこは脱衣所のようだった。脱衣所内に洗面台と、おそらくトイレだろう扉、それから浴室を隔てるガラス戸が見えた。

「冷えちゃうだろうから先に入っておいで」

二人して覗いた脱衣所へと大倶利伽羅の背を軽く押すようにして促せば静かな頷きが返される。脱衣所へと消えていく彼を見送ってからベッドルームへと足を向けた。


シャワーの水音が聞こえる中ベッドへ腰を下ろすことは出来なかった。避けられることのなかった手も、大倶利伽羅からの誘いも、この一時間の間に起こった事を振り返りながら酸素を大きく吸い込めば、ふわりと甘い香りが鼻につく。それは僕の勘違いだったのかもしれないけれど、大きく跳ねた心臓を抱えるようにソファへと腰を落ち着かせた。
大倶利伽羅の事を好きだと自覚したのは随分と前の事だった。気持ちを告げるつもりはなかったし、友人として彼の横にいられるだけで満足だったはずだ。それがどうして、当の本人とラブホテルに泊まることとなったのか。幾つも重なった原因は思いつく限りで片手の指が埋まる。僕が彼を買い物に誘ったこと。行き先が新宿であったこと。降水確率を気にせずに傘を持ち歩かなかったこと。そもそも車移動にしなかったこと。雨脚を過信せずに歩みを止めなかったこと。決して下心があったとは認めたくはないけれど、雨を逃れて行き着いた先の軒先がホテルのものであったこと。大倶利伽羅が、まるで誘いの言葉かのような台詞を口にしたこと。そこまで思考が後退していたところで僕の名を呼ぶ声が聞こえた。

「光忠」

呼ばれた声に彼と自分はびしょ濡れになったことが原因で今この場にいることを思い出した。当たりをつけて引いたベッドサイドのチェストにはバスローブが二着収められていて、それを手に脱衣所へと向かうとバスタオルを腰に巻いた大倶利伽羅が濡れた髪をかき上げる瞬間を拝む羽目となった。

「ごめんね、気付かなくて。身体はしっかり温まったかな?」
「俺のことは良い、あんたも濡れていただろう。早く入って来い」

僕の手からバスローブを受け取った大倶利伽羅は、僕の脇をすり抜けるようにしてベッドルームへと消えていった。すれ違い様に香ったシャンプーの香りにまた一つ、心臓が跳ねる。
浴室は一度使われたことによって湿度が高かった。浴槽に備え付けられた水栓からはお湯が出たままで、おそらく湯を張り替えてくれたらしいその優しさに頬は緩むばかりだ。冷えた身体にシャワーがかかることで体温が戻ってくる。手早く汗を流してから身体を沈めた浴槽にはつい先程まで大倶利伽羅が浸かっていたのかと考えると、どうにも湯あたりをしてしまいそうでものの数分で上がる羽目になってしまった。


「嘘でしょ」

呟いた言葉は照明が淡く照らす室内へと消えていく。僕の言葉に、ベッドへ身体を沈ませた大倶利伽羅が反応を返すことは無かった。まくり上げられた掛け布団と、枕に顔を埋めるようにしてうつ伏せの大倶利伽羅。バスローブはフリーサイズとはいえ女性物と男性物の二着であり、僕達の身体つきを考えて小さい方を彼に渡したものの、やはりその身を覆うには丈が足りなかったらしい。覗くふくら脛は普段の大倶利伽羅の服装を考えると見ることの出来ない部位だ。落ち着こうと深呼吸をすれば、息を吸い込むと同時に耳に届いた声に僕は大きく噎せることとなる。

「みつただ」
「あー…そのまま寝ていて平気だよ。一日僕に付き合ってもらっちゃったし疲れてるだろうし、僕はソファで寝るから大倶利伽羅はそこ使ってくれて大丈夫だから」

些か早口になってしまった言葉は存外に気恥ずかしいものだ。格好悪いなぁ、と小さくごちた僕の言葉に大倶利伽羅は寝返りを打つとベッドの片方、壁際へと身体を寄せて見せる。

「ソファじゃ、あんたには小さすぎるだろう」

それ以外の言葉は発せられなかったし、見れば抱き込まれた枕の向こう側、僕を見る大倶利伽羅の瞼は今にも落ちてしまいそうだった。言外に、同衾を進められてしまい動けなくなった僕に大倶利伽羅は一度大きく欠伸を漏らすと空いた片スペースへと僕を促すように、シーツを軽く撫でて見せた。「みつただ」と。眠気故の舌っ足らずな物言いは普段の大倶利伽羅が発する凛とした声音とは遥かに異なる種別のものだ。普段耳にすることの出来ないその声音に誘われるようにして膝をついたベッドは二人分の重さに、ぎし、とスプリングを鳴らすのだった。


抱き込まれた腕があつい。掛け布団の下では僕の足に大倶利伽羅の足が絡まるようにして触れている。灯りの消された真っ暗な室内とは言え、密着する身体によって大倶利伽羅の存在は容易に伺える。すん、と鼻に届くおそらく彼の体臭はホテルに備え付けられた石鹸の香りと混ざり合ってとても甘いものとなっていた。
僕の体勢は天井を見上げる形で仰向け。対する大倶利伽羅は僕の片腕を抱きかかえるようにして横向き、それも僕の方を向いて寝息をたてているところだ。不意に目が覚めて辺りへと視線を走らせた際、寝起きの頭は自分が今どのような状況に置かれているのかを処理するには容量が足りなかったらしい。暫くぼんやりと見慣れない天井を見上げたままでいれば、ふと耳元を擽る寝息に顔をそちらへと向ける。後はもう早かった。至近距離にある大倶利伽羅の顔と、バスローブ越しに感じる寝息。剥き出しの足が絡まっている感触からも寝返りを打つ際に大倶利伽羅が着たバスローブの裾は開けてしまったらしい。掻き分けられるかのような動きに、さした抵抗も出来ずにいればいつの間にか僕の足には彼の足が、ま るで彼の腕へと絡みつく残る龍のような痣のごとく絡んでいるのだから驚きだ。素肌、素足、肌が直接触れ合う感触と、太腿に触れる布はおそらく彼の下着だろうと気付いてしまえばもう無理だった。

「大倶利伽羅、少し苦しいかも」

決してきつい言葉遣いにならないよう細心の注意を払って彼の耳元へと囁く。声を潜めるにあたって意図せず掠れ気味となってしまったその音と、自分が今何処にいるのかを結び付けないようにしながらも再度彼の名前を呼べば僕の腕に絡む彼の腕の力は僅かに緩められた。いい子だね、と思わず伸ばした片手で大倶利伽羅の額を覆う前髪を漉いていれば抱き込まれた腕は完全に解放される。少しだけ、と身体の距離を作ろうと身動ぐ寸前

「みつただ」

呟かれた名前が耳に届くのと身体が引き寄せられるのはほぼ同時だった。彼の髪を漉いていた片腕、右腕を掴まれるようにして僕の身体は彼の背を抱くような体勢へと変化する。先程まで仰向けでいられたのは大倶利伽羅にとって一番近かった腕が左だったからに過ぎないらしい。反対側の腕を捉えられれば僕は自然と大倶利伽羅の身体を背後から覆う形となってしまう。寝乱れたバスローブの肩口、覗く項に顔を埋めたいという欲求に逆らう術を僕は持ち合わせていなかった。


「ん」

漏れた吐息はどちらのものか。まるでキスを強請られているかのように、僕の抱えられた右腕の先、指先には大倶利伽羅の唇が触れていた。少し指先に意思を持たせればその薄い唇を割って指先を差し込むことも出来るその体勢に体温は上がるばかり。柔らかな唇には当然のことながら触れたことは無かったし、触れることもないはずだと思っていた。まるで背中から抱きかかえるように大倶利伽羅の身体に触れている僕の足元には相変わらず彼の足が絡んでいる。太腿に触れる下着の感触も変わらず、少し擦りつけるような動きをもたせれば彼の股間を刺激することだって可能な体勢だ。生理現象を兆す気すら感じながら僕自身は何も行動を起こすこともなく大倶利伽羅に身を任せるだけだった。

「……っ、」

指先に湿った感触が触れたのはそれから直ぐだった。ぴちゃ、と水音が聞こえたのは僕の気のせいかもしれないが、指の表面に触れるぬめりが本物である事は間違いない。指の腹に這うのは大倶利伽羅の舌だろう。赤ん坊が自らの指を吸うかのように僕の指を口に含む大倶利伽羅は寝息を漏らしたままで目を覚ます気配はなかった。指が濡れていく感触に煽られるように、そろりと動かした指先、既に咥内に含まれている親指に加えて人差し指を忍ばせてみれば、その指先はいとも簡単に彼の中へと導かれる。舌先を摘むようにしてぬめりを堪能すれば鼻から甘ったるい吐息を漏らす大倶利伽羅に僕はついに太腿を擦り合わせる事となってしまう。当然僕の太腿の片方は彼の足に挟まれていることから、動いた足に触 れるのは彼の下着であって股間である。くちゅ、と耳に届いた水音はきっと僕の下着の中から響いたものだろうけれど彼の耳にそれが入ることはずだと高を括って開き直ることにすれば随分と気持ちが落ち着いた。

「おおくりから」

無意識に口にした彼の名前は、意図せずに舌っ足らずの音となる。つい先程僕の名を囁いた口には今僕の指先が含まれている。唾液で濡らされることによって滑りは格段に増していて、その事実にも息が荒くなってしまうことはもう抑えられなかった。

「……ン、は……ぁ」

響いた声に肩が跳ね、それから咥内を探る指先は凍りついたように固まった。爪先が大倶利伽羅の舌腹を撫でたのと漏れた声はほぼ同時だったことからも、今の小さな嬌声は大倶利伽羅が漏らしたものだと熱に浮かされた頭が漸く判断をすれば明確に腰が重たくなってしまう。

「み……た、だ」
「……っ、起きたかい」

耳を掠めた音は間違いなく僕の名を紡いだものだった。ひゅ、と喉が鳴り、一テンポ遅れた後に返事をすれば今度こそ僕の聞き間違いだろうかと彼に問いかけたくなる類の言葉が返される。

「も、と……こっちも」

もっと、こっちも。二つの単語を頭が処理するよりも僕の腕が動く方が先だった。シーツと彼の身体の間、今度こそ本当に大倶利伽羅の身体を抱きしめる形で彼の身体へと腕を回して互いの距離を詰めてしまえばどちらかともなく感じる心音がとても心地よい事を知った。まさぐるかのように動かされた手は僕の左手首を掴む。そのまま導かれて行き着いた先は彼の胸元、寝乱れたバスローブの袷だ。

「もっと、って……こう、かな」

囁いた言葉を大倶利伽羅は理解したのだろうか。返事は返される事なく、けれども拒まれる事もない。覚醒しているのか、それとも未だに夢の中なのかその判断もつかないままに彼の身体の重みを上腕に感じながら探った胸元、指先が触れた突起は当然の事ながら柔らかだった。

「……ふ、」

短く発せられる嬌声は呻き声のようにも聞こえる。苦しいだろうか、とほぼ男の本能のまま彼の股間を、挟まれた太腿で撫で上げたのと乳首を指先が摘むのは敢えて同じタイミングにした。

「……ひッ、ぁ」
「おおくりから」

彼の身体を腕に抱きかかえて、乳首を捏ねる指先と咥内を探る指先に神経を集中させる。決して彼の身体を傷付ける事のないように、それだけを気をつけながら彼の身体へと触れていけば僕の下着の中では性器がはっきりと屹立してしまい先走りを漏らす。絡んでいた足は解けていた。

「大倶利伽羅……?」
「ん、……ねる」

試しに、と彼の耳元へ唇を寄せて口にした名前には返事のような曖昧な音が返される。次いで届いた二文字にもう何度目か分からないけれど肩が跳ねるのを感じながら彼の名前を再度口にした。

「大倶利伽羅、……ごめんね」

好きだ、と告げる事は出来ない。かと言って無かった事にするには身体の熱が邪魔をする。思わず溢れてしまった謝罪の言葉には、いつの間にか僕の腕の中で身体の向きを変えていた大倶利伽羅の声が重なった。

「みつただ」
「ん……なあに、大倶利伽羅」
「なんでもない」

ふ、と漏れた吐息は彼が笑んだ証拠だ。大倶利伽羅の吐息が、彼のものと同じように開けたバスローブの奥を擽って、その瞬間に彼が僕の胸元へと頬を寄せている事に気付く。好きだ。その三文字を音にすることはしなかったけれど、彼に触れる事を許されたようでどうしようもなく、本当にどうしようもなく泣きたくなった。


オワリ