いつもと違う。
「なんだ、榊か」
「なんだとは心外だな、俺がここに居ちゃ悪いのかい」
何かがおかしい、と感じたのはつい今しがた。ホール内のソファーで譜読みをしている榊へと声をかけた時であった。普段からいざこざ等は傍観をと決めているであろう榊が自分の台詞に心底不快そうに眉間へと皺を寄せているのである。常に浮かべている柔和な笑みではなくまるで苦いものでも食べたかのように顔を歪めている姿。不思議に思い近寄ればいとも簡単に距離を置かれる。
「…っ、何か用かい」
小さな溜息と共に呟かれたそれはやはり普段とは違ったトーンである為に東金はますます首を傾げるばかり。
「珍しいじゃあねえか、随分とご機嫌斜めの様だな」
別に榊の神経を刺激するつもりは全く無いがそう口に出した後に気付いたのはそれに僅かに刺が含まれていたということ、しかしあくまでも東金本人にはそうしようとは自覚は無い。
「…おい、榊」
それから暫く続く沈黙に耐え兼ね東金が口を開きそちらへと目を向ければ僅かに息を荒くし俯く榊の姿。
「さか、き」
不意に違和感の正体へと気付けばそれを確かめるべき距離を縮める、と同時にやはり先程同様避けられる始末。
「…っ、」
舌打ちを一つ、無理矢理にでも目の前の相手へと手を伸ばせばぱしりと叩かれる。
「…う、つるから…君は近寄らない方が良い」
心なしか虚ろ気な瞳でそう言われれば近寄るわけにもいかず。
「…はは、そんな情けない顔しないでくれよ」
ふわりと笑みを浮かべ、そう呟いた途端に強く咳込む榊。いよいよ熱が上がってきたのかと再度手を伸ばせば緩くそれを絡め取られる。
「君に、移したくはないん…だ」
まあたかが風邪だけれど、だなんて苦笑する榊の額には汗が見える。ライバルと言えどやはり同じ演奏家同士。今この時期に体調を崩すことは出来るならば避けたいだろう。
「…俺に出来ることはねえのか」
小さく呟けば驚いた様に目を見開き、そして笑う。ありがとう、でも君に移したくないから。そう言ってくしゃりと髪を一撫でされる。
「ふ、君にはそんな顔似合わない」
辛いのは自分ではなく相手の筈なのに、その行動によって何故だか涙が出てくる様な、なんとも言えない気持ちになり東金はぎゅうっと唇を噛んだ。
いつもと違う。(夏の暑さにやられて)
(そうであって欲しい、と)
‐End‐
20100803.