- ナノ -
「七海です。……サトルンさんでお間違い無いでしょうか」

低く落ち着いた声音に振り返ればいつものクセで視線を下げた先に噛み合うそれは無し。思わず瞳を瞬いて、それから僅かに上げた視線の先にはつい数秒前に僕のふざけたハンドルネームを真顔で言い切ったにしては存外お堅い印象の端正な顔立ちをした、高身長の男が一人立っていた。

「……その顔と見た目でサトルンとか言っちゃうのウケんね。君が“ななみん”さんで合ってる?」
「アナタがご自身で決めたハンドルネームでしょう。はい、七海建人と申します」

それこそ名刺でも差し出されそうな勢いでの言葉に加えて姿勢は直立不動、 ついでに言えば僕よりも低い位置に目線はあるものの並の男よりは遥かに身長が高いだろう相手は至極当たり前とばかりの声音で、おそらく本名と思われる名を告げてみせるのだから再び驚く羽目となった。

「え、それ本名?」
「えぇ、嘘を言っても仕方ないでしょう」
「僕とオマエ、これから何するか分かってる?」
「……ホテルでセックス、ではなく?」
「いや合ってるけど。その前に飯とか行ってももいいけど。え?そんな、さも一晩の相手みたいな得体の知れない奴に本名名乗る?」
「得体は知れているでしょう。それなりに言葉を交わしましたよね、アナタと」
「あー、うん。もうめちゃくちゃ交わしたね。 僕普段あんなにアプリ開かないし、そもそも会うのも稀だし。これでも暇じゃないし?」
「それは知っています。散々忙しいだの、休みは不定期だの、そのおかげで疲れが取れない等仰っていましたし」

淡々と告げられる言葉は確かに僕自身が相手に話した内容そのままだし、ななみん改めて、七海が言うように僕は仕事柄少し忙しなくて自由に出歩ける時間は少ない。
繁華街ならではの喧騒の中、そこだけ空間を切り取ったかのように僕の耳には七海の声がすっと届く。告げられる言葉に頷きながら、アプリ越しでは見ることの叶わなかったおそらく仕事帰りだろう、スーツ姿の七海建人という現実の世界に確かに存在するその姿を不躾に上から下へと眺めているばかりだった。

「先ずは食事でも行きますか?」

僕の視線を受けたものの咎めるような言葉はない。なんと無しに届けられた次の行動を促す言葉に首だけで返事を返す僕は端から見たら不自然極まりない。

「ねーえ、七海。あ、七海って呼ぶけどいいよね?で、七海はさー…男とセックスしたことあるの?」

アプリ越しの会話を用いながら、そういえば今こうして現実の七海と顔を合わせるに至った経緯を思い返しつつ戯れに訊けばその問い掛けは薄く開いた唇から溢れる小さな笑みに流されるだけ。

「ご想像にお任せします」

店を決めたらしい七海の後を追う寸前、肩越しに盗み見た七海の言葉に僕がその場で蹲らなかったことを褒めてほしい、お願いだから。

「なーなーみー」
「なんですか」
「惚れた」

単純な三文字は届いたかどうかは分からない。だって僕はその返事が寄越される前に七海の背へと飛び付いたから。アプリ越しでは叶わなかったその小さな笑みと、アプリで感じた生真面目さと、その隙間に僅かに含まれた悪戯な返答を目の前で体感してしまえばそれはもう、惚れたの一言に尽きる。だって僕はそもそも、興味がなければ、オマエと会ったりなんてしないんだから。つまりはそういうこと。

「なーなーみー」
「往来で叫ばないでください。 続きは後ほど、実在のアナタから直に聞かせてください」


end