- ナノ -

記憶




 あの時、ぼくは君にそれを冗談混じりで問い掛けた。君がくれた、ニヒルな笑みと共に寄越されたその言葉が実現するだなんて思わなかったのに、けれども心のどこかではそれを望んでいた自分が居たかもしれないと思い立ってしまえばそれまでで。
 現実問題、その時になってしまえば後ろを振り返るといったことはせずにただひたすらに、聞こえない音の代わりに、聞こえない君の声の代わりに、ぼくは君自身を求めてやまなかったんだ。



「ねえランラン、もし借金のすべてを返し終わったらどうする?」
「あ?」
「ふふ、そんなに難しく考えなくて良いからさ。君の答えが知りたいなあって」
「…そんときゃ、てめぇと一緒に生きて、そんで一緒に死んでやるよ」


 だから、ぼくは最後に君に言ったんだ。ありがとう、ごめんね。大好きだよ、愛してる。ぼくの口から発せられてるだろう音はしっかりと形になっていただろうか。彼の、ランランの耳に届いただろうか。

「―――、」

 綺麗な形をした彼の唇が何か三文字の言葉を紡ぐ。悲しいかな、それがぼくの耳に届くことはなかったけれど。それでも。もうずっと、ずっと前に聞いた彼の心地の良い低い声で囁かれたそれはぼくにしっかりと届いた気がした。



 思えば彼ら二人は端から見ても異質な組み合わせだった。けれども色の違った二人が共に司会を勤めていたレギュラー番組では、キャラクターの違いなんてものを上手く手玉にとって抜群の相性を見せ付けていたことを記憶している。結局のところ、息があったのだろう。紙に裏と表があるように、彼ら二人は決して交わらないように思えてもしかしたら誰よりも互いの距離が近かったのではないか。今となっては答えの出ることのない問いを頭のなかで巡らせているのは今日がそう、あのメールを受け取ってからちょうど一年が経つ日だからだろう。

 あの日、受け取ったメールを読み返すこともせずにメールの文末に記されていた住所へと車を走らせた。あのメールを読んだのはちょうどバロンとの雑誌の取材が終わった辺りだったか。何年ぶりの、そういった煽りがつけられただろう掲載雑誌は結局諸々のバタバタのおかげかあれきり目を通す機会は得られなかった。
 車を停めるのも焦れったいくらいに足を動かして、そうして駆け足で駆けつけた部屋の、回したドアノブには鍵がかけられていなかった。無礼も承知で土足のまま踏み込んだ室内には人影はなく、ダイニングテーブルには二人分のiPhoneと、それに塗装の剥げたガラパゴス携帯が並べて置かれていた。その隣にはパッケージのみとなった睡眠導入剤がいくつか。ソファ前のローテーブルには二人分のマグカップと、おそらくこの部屋の主が置いていっただろうキーホルダーがたくさん着いたキーチェーンが無造作に放られていた。

 突発性難聴、それをブッキーの口から聞いたのは思えばあの日から三年ほど前の冬だったはずだ。苦いものでは食べたかのような、そんな表情を浮かべながらそう告げたブッキーにオレは何て返しただろうか。グループのメンバーにはすでに話が通っているようで、近日中にも今後の話がされるだろうとのことだった。その何日後かにスタジオですれ違ったランちゃんからも先日ブッキーから聞いた通りの話を聞かされて、ああ嘘じゃあないんだ、と未だに現実逃避をしたがる脳が与えられた情報をしきりに拒んでいた。
 ランちゃんは、きっとブッキーの側にこれからも居続けるんだろうということはなんとなく予想していたからそれについては特別なにかを聞き出すといったことはしたくはなかった。オレの表情を見て察したのか、ランちゃんにしては珍しく、本当に優しい笑みを浮かべて滅多にしない、頭を撫でて一言、謝罪の言葉を投げて寄越したから。どうしてランちゃんが謝るんだい、たしかにオレはそう返したはずだ。どうしてだろうな、頬をかいて笑うランちゃんを見てこれ以上何かを追求しようという気にはならなかった。

 あれから三年の間にオレの周りは随分と慌ただしく色が変わって見せた。所属しているST☆RISHは未だに健在、最近ではついこの間10周年のコンサートを開催したところだ。先輩である彼らのグループが迎えることのなかった10周年記念、たしか彼らも関係者席に四人で腰を下ろしているのを確認できた。
 ブッキーの病気によってQUARTET NIGHTは解散した。各々に元の、グループを組む前の形に戻りはしたものの仲違いが原因による解散といったわけではなかったから必要があれば元QUARTET NIGHTとして、四人が揃って音楽番組に出ることもあったくらいだ。ブッキーはあれから医者に通い始めたらしく、一時は完全に元の聴力が戻った時期もあったのだ。けれどもそれは一時的なもので、あの日に至るまでの――そう、たしか一月前くらいからはもう完全に左の耳は機能しないんだあ、と笑っていたのを記憶している。仕事は減ったよ、でもね、苦しくはないかな。負け惜しみみたいだけどさ、ぼくにはもうたくさんの、本当にかけがえのない思い出がいっぱいだから。聴力が低下することによって些か聞き取りづらい発音でゆっくりと伝えられたその言葉。あれは偶然に事務所のロビーでブッキーと一緒になった日のことだったか、ああそうだ、ソファに座るオレたちの向かいにはランちゃんが壁に寄りかかってコーヒーを飲んでいたっけ。

 結果的に、彼ら二人はオレたちの前から姿を消した。事務所には数日前に話が通っていたらしい。一月前からしっかりとすべき仕事を全て終えきって、そうして律儀に頭を下げに来たと風の噂で聞いた。そういえばいつだかに、全部片付いたんだよ、と煙草を吹かしながらランちゃんに言われたけれど、今思えばそれはランちゃんの実家のことと、それにブッキーのことを指していたのかもしれないと邪推しておくことにする。


 生きているのか、もうすでにこの世にいないのか。オレには二人の生存を確かめる術はない。けれども、あの日ブッキーから貰ったメールは未だに消せずにいる。どうしてか、どうしてだろうね。ひょっとしたら、追伸として書かれていた言葉が忘れられないのかもしれない。君はぼくと似てるから、だなんて。ブッキーも最後まで人が悪い。

「楽しかったよ、先輩。ねえ、ブッキーにランちゃん……そっちももう少しで冬なのかな」

 真っ白な蒸気となって空に消えていくその言葉。もう届くことのない言葉を最後に腕にはめた時計で時刻を確認する。ああ、もうすぐで収録が始まる。



‐End‐
20131213.