- ナノ -

海の向こう




 先週付けの写真週刊誌、そこにはサングラスで顔の半分を覆ったおれの姿と同じくサングラスで表情が読めないロングヘアーの女の姿があった。所詮ゴシップ記事。英語で捲し立てられるようにタイトルが掲げられてそれこそ日本の週刊誌のように、「熱愛発覚、深夜の密会は○○も御用達のバーラウンジで!」などといった内容が書き連ねられている。その日は朝から事務所には電話やメールでの問い合わせが相次いでいたらしく、共に写っていた女優の方も似たような状況のようでおれたちは揃って自宅での待機を命じられていた。正直な話、これが頃合いだろうとは思っていたから今夜日本からの国際電話がかかってきたことは予想の範囲内であったし、それでも少し意外だったことは一週間の間で、雑誌が発売されてそうしてネットのニュースまでにも取り上げられたその話題を奴が丸々一週間胸のうちに抱えていたということ。
 とは言え、奴とはもうここ三年ほど連絡を絶っていたのだから躊躇う気持ちも分からなくはない。日本を発った当時こそ喧しく構いたがりだった奴は別れる際に交わした約束を律儀に守っているらしかった。時折連絡を寄越してくるレンや真斗、そして奴を除いた他の二人からの情報によれば奴もそれなりに毎日忙しい日々を過ごしているということは話に聞いていた。大きな怪我や事故、病気にかかるといったこともなくすこぶる健康体。もっと言ってしまえば慣れ親しんだ味から離れることで日本にいた頃よりも食欲が減ったおれの方が異常だろうと、もし今のおれを知る機会を奴が得たならば必ず眉を下げて手を伸ばしてくるだろうということだけは容易に想像がついた。


 電話をとった際に予感はしていた。それは震える声音か、それとも強く詰るそれか。はたまた全くの別の、それこそ奴が得意とする虚勢だろうか。久しぶりに頭を占める奴の存在を電話越しに確かに感じられる。それはきっと相手も同じなのだろう、小さく息を吸う雰囲気が受話器の先から窺えた。

「元気?」
「ああ」

 奴の声音は明るかった。それは虚勢でもなく、奴本来の明るさを伴った声音だとわかるくらいには共に時間を過ごした仲だ。おれも奴に倣い短く返事を返せばそれからは互いに黙り、電話料金だけが嵩むこの空間はいつぶりだろうかとぼんやり考える。

「ランラン、あの女優さんと結婚?」
「……てめぇこそ、嫁の当てはついたのかよ」

 聞かれたことには敢えて答えずに奴の近況を訪ねる。「相変わらず独り身だよ、最近は夜もご無沙汰だしねえ」懐かしく感じる柔らかな低音で紡がれるその言葉になぜか泣きたくなったのは奴に悟られることはないはずだ。

「君がそっちに行ったときの約束、あれはもう無効?」

 泣くこともせず、怒ることも怒鳴ることも、ましてや諦めたような声音でもなく。ただ淡々と明日の天気か何かを聞くのではとすら感じられるほどすとんと落とされたその問いかけ。目を瞑れば少しばかり色褪せた空港での別れの場面が甦る。あのときも、奴は決しておれを責めることはしないで笑って手を振っていたなと思い返す。

「――、」

 簡潔に、伝えたいことだけを述べて通話を終える。アパートの窓から見える空はいつの間にか濃い灰色で覆われていた。今にも大粒の雨が降りだしそうだ。電話越しに聞いた三年越しの奴の声。以前よりも確かに落ち着いたそれは当時もかいま見えた、奴の年上の部分なのだ。それが三年の時間を経てしっかりと形作られた、ただそれだけ。それを奴の隣で見たかったなどとは言わないけれど、少しくらい思い出に浸るのも悪くはない。





(君があっちに行っている三年間、恋人が出来なかったら……今度こそ、君の全部をぼくにちょうだい)

 大粒の雨音に混じるのはおれの唇が音を紡ぐことで生まれるメロディだ。奴をはじめとする、二人も含めた四人で歌ったそれはやっぱり心地よく耳に響く。予めしかけておいたアラームが出発の時間を知らせて。アメリカ発日本着の搭乗チケットを片手に三年間過ごしたアパートへ最後の鍵を閉める。

 勿論、映画の番宣を兼ねたゴシップ記事は雑誌ごと部屋の中のゴミ箱へと投げることは忘れなかった。



‐End‐
20131124.