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寿機長のヒミツ




 ああ今日は厄日だ、と。掃除用具を片手にその場へと立ちすくむ。俺の目の前の、所謂シミュレーションシステムと呼ばれるコックピットの形をした、簡単にいってしまえば見習いを含めた空港で働く全パイロットが一度とならず数回は必ずお世話になる小部屋と表現するのが適切かどうかは曖昧だが、とにかくその疑似コックピットとも言える場でそれは行われていた。中の様子なんざしがない掃除夫の俺には知ったこっちゃない。たぶん実際のコックピットとほぼ同様の内装できっと操縦席と服機長の座る助手席のようなものが設えているんだろう。おそらくパイロットが座るだろう席に窮屈なんて言葉は知らないとばかりに身体を収めて何やらがさごそとやっている人影が二体。今の時刻はもう深夜のそれに近い、本日離着陸の便は既に飛び立ったあとで空港内もごく一部の場所を除いて照明は落とされてまるで深夜の病院のような、非常灯の明かりがぼんやりと存在しているだけだった。残業あがり、掃除用具を片付けに行く間際妙な音が耳についてその場で足を止めたのが間違いだった。なんのことはない、社内でよくタラシと噂される寿機長が人気のない深夜に女と乳くりあっているだけ、のはずだった。悔しいかな、好奇心には勝てずに相手の顔を少しでも拝もうとしたのがいけなかった、なんてことだ。曲がり角の壁づたいに僅かに身体を乗り出してそこを覗き見る、寿機長の膝を跨ぐ形で身体にのりあげているのは、彼と同期の黒崎機長だった。暗がり故にしっかりと確認することは出来ないが寿機長の肩に手をかけて、そして、膝についたもう片方で己の身体を支えている黒崎機長の姿がそこにはあった。疑似コックピットの入り口はドアではなくただくぐるタイプのそれだ、端的に表すならカプセルのようなものを想像してもらうと分かりやすいかもしれない。どうにかその狭い入り口から窺えた二人は何故か未だに制服のまま、俺は二人のフライトスケジュールなんざ知りもしないから、もしかすると二人はつい先程帰国をしたのかもしれない。それにしたってこの時間帯だ、操縦練習をしていた、なんて言い訳は通用するはずはない。ましてや、普段は寿機長を邪険にあしらっている黒崎機長が、その相手に縋るような形で身体を預けているのだからこれはもうただごとではないだろう。まさか二人がそういう関係とは、これは事務職の女性陣が騒ぎだすのも時間の問題だと思う。とは言え俺にホモ同士のセックスを眺める趣味はない、ましてや、相手があの寿機長だ。普段の飄々とした態度と仕事の際の切れ者めいた表情とのギャップがある人だなあとは感じていた、そしてあまり関わりたくないとも。まあ一掃除夫の自分と超エリート組であるパイロットとの接点なんてものは皆無だからそんな心配は必要ないはずだった。
 妙に耳に響く水音の正体を探らないように意識を逸らしていれば、黒崎機長と唇を離した寿機長は息を荒くしている黒崎機長の背中を撫でながら、確かに一瞬だけシミュレーションシステムの中から、俺に視線を投げて寄越した。ついでにおまけとばかりにされたウインクに、とりあえず早く寮に戻って寝てしまえ、そして今夜見た一部始終を全て忘れてしまえと頭は絶えず警報を鳴らしていた。



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20131006.