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 たまたま、本当にたまたま運が悪かったとでも言うのか。単にタイミングの問題なのかも知れないがとにかく今日の俺の運勢は最悪だろうなと思った。何故か、それは今目の前で繰り広げられているその光景にあるだろう、見たくないのならば見なければいいのに。好奇心というものに逆らうのは容易じゃあなく、目を皿のようにしてとまでは流石に言わないが目を逸らすことすら惜しいと思うのはどうしてなのか。おそらくそれは、その光景が実に扇情的で人の欲を煽るような、なんとも艶めかしいものだからだろう。目の前で繰り広げられているセックスに俺の足はまるでその場に根でも生えたように動くことを拒否して見せた。

「……っふ、ン」
「声、聞こえちゃうよ?」

 こそこそと小声で話す様はさながらセックス中とでも言うのか。一応は人の目を気にしているようだけれど現にこうして俺がその光景を見れているわけだからもう少し警戒すべきなんじゃねえか、とも思う。スタジオの、今は使われていない倉庫の中。明かりが無いと互いの顔すら見えないんじゃないかという暗闇の中で動く二つの影。残念ながらというべきか、それとも幸いというべきか――だって俺は面倒事は御免だ、ましてや男同士のセックスに関して、だなんて、とにもかくにも俺の位置からはその二人の顔は窺うことが出来ない。ああ、語弊があった。今、たった今壁に押し付けられて相手の肩口から顔を上げたおそらく受け身の方と思われるその人の顔が見えた。正直開いた口が塞がらなかったし、見てはいけないものを見たんだなと背中には冷や汗が伝った。だってその人は、ついさっきまで俺が担当していたスタジオで音楽番組の収録をしていた――黒崎蘭丸、その人だったから。
 直ぐに顔が伏せられたせいでそれきり彼の顔を拝めなかったけれど、あれは確かに黒崎蘭丸だった。薄い暗がりで廊下から漏れた明かりのおかげで窺えたその顔に俺の口は開いたまま塞がらなかった。確かに聞こえてくる声で誰なのかといった予測は出来るけれど俺の頭はそれを拒否したようで極力それについては考えないという道を選択したらしい。今見えた、その顔だって見たくて見たわけでは決してなく、不幸にも判別できてしまったその顔は普段の彼はどこに行ったのかというような蕩けきって快楽に溺れた、まさしく情事そのものを表した表情だった。
 とはいっても、芸能界で黒崎蘭丸がゲイだという噂は聞いたことがない。確かに女嫌いというのは耳にしたが、女嫌い=ゲイという式を作るには彼はストイックすぎた。音楽にひたすら向かう様がカッコイイイと思ったのはきっと俺を始めとしたスタッフに限った話じゃあない。妥協といったものを嫌い、ただ一心に自分が作り上げた音楽に向かう様は見ていて清々しいものすら感じるのだから。だからこそ、尚更今目の前で快感に震えるその姿は異様だった。
 辺りを見渡して人影がないことを確認する、何故かため息を一つ漏らしてから溢れ落ちる嬌声に耳を澄ます。ぴちゃぴちゃと水音のようなそれは今何が行われているのか下世話な想像を掻き立てる。僅かに開いたドアの隙間から覗き込むようにして彼らの情事を見届けようとする俺はきっと熱に当てられたんだろう、そうでなきゃ誰がこんな面倒事の臭いしかしない状況に首を突っ込むのか。

「ひ…っぁ、も、やめ」
「まだダーメ、でも一回イっとこうか?」

 掠れた声音にふと下半身が疼いた。まさか、いやそんなまさか。恐る恐る下目に見たそこは緩く布を押し上げている。嘘だろ、と。羞恥心で死にそうになりながらも再度倉庫内に目を向ければ壁に押し付けられて、相手にひたすら突き上げられている黒崎蘭丸の姿が見えた。突き上げている相手は俺から見て背中を向けているから顔は見えない。ぼんやりと窺えるシルエットは黒崎蘭丸のそれよりも僅かに小柄なように感じて首を傾げる。あの黒崎蘭丸が男に、それも自分よりも身体の小さい相手に組み敷かれてるだなんて一体誰が想像するだろうか。少なくとも俺にはつい先程までその想像は不可能だった、今となっては愚問でしかないけれど。

「…あ、あっ……、じ…っ」
「…ん、ぼくもイくよ。蘭丸と一緒に」

 それから十数分後だったか。明らかに高くなった声は限界を訴えていた。かくいう相手もそれは同じのようで僅かに息を詰めて小さく呟いたその言葉を最後に暫しの無言。聞こえてくる衣擦れの音と肌が擦れる音はやっぱり官能的だった。唐突に破られた静寂に荒い息遣い、ああ達したのかと思ったのも束の間、力が抜けたようにもたれ掛かる黒崎蘭丸を床へと下ろしたその男は廊下から微かに漏れる明かりに気付いたのか、それともとっくの昔に俺の存在に気付いていたのが不意にこちらへと振り返ればそっと口元に人差し指を当てて見せた。口元には緩く弧を描いていて、下げられた目尻からは真意が見えずに彼が何を言わんとしているのかははっきりと理解できなかった。唯一分かったことは、俺から視線を外した彼が意識を飛ばしたらしい黒崎蘭丸の髪を優しく撫でて、テレビでは決して見ることの出来ないだろう大事な相手だけに向けた笑み。その姿を見れば安易に言いふらそうだなんて気なんて到底沸かずに、ただそっと倉庫のドアを閉めた。



‐End‐
20130612.