- ナノ -

柚子湯




 浴槽の縁に顎をのせてうつらうつらと頭をもたげている蘭丸はひどく眠たそうだった。ぼくはと言えば彼が浴槽内で寝て、万が一にも湯船で溺れたりなんかしないようにと手早く髪を洗わなければと気持ちばかりが焦るばかりだ。そう言えば今日は冬至だからと湯船にはネットに入れられた柚子が漂っている。意外や意外この柚子を用意したのは蘭丸で、男前宜しく両手で柚子を割ると丁寧にネットの口を縛ってから湯へと浮かべていたのが今から少し前のはなし。

「ランラン、寝たらだめだからねー」
「…ねみ、ぃ」
「もうすこーし、待ってて。溺れないよう気を付けてね」
「…ん、れ…ぇじ」
「へ?」
「すっぱ、い」

 妙に舌足らずで呼ばれた名前に頭にはクエスチョンマーク。ああ、やっぱり寝落ちる寸前かと合点がいったその直後に漏らされた言葉に頭から被っていたシャワーから脱出して目元にかかった前髪を掻き上げる。滴る水滴の向こう、開かれた視界の先にはもうすでにだいぶ目の焦点が合わなくなってきた蘭丸がぼくに向けて舌を出して見せていた。浴槽の縁からだらりと伸ばされた腕の先にはついさっきまでは確かに湯船へと浮いていた柚子の欠片、皮の部分が指先で摘ままれているのが確認できた。

「すっぱい」
「ちょ、ランラン!まさか柚子食べちゃった?」

 ん、だなんて小さく頷かれてしまってはぼくのやることは一つ。とりあえずいくら身体を洗って浴槽に浸かったからといっても、そこに浮かんでいた柚子を食べるのは衛生的には如何なものだろう。んべ、と差し出された舌の腹を右手の親指と、舌の裏を同じく右手の人差し指で支えて引き出す。あったかい舌の感触に無意識に喉が鳴ったけれどそれとこれとははなしが別で。

「らんらーん、食べちゃダメ。これは」
「……ん」

 こくりこくりと危なっかしげに揺れる頭に急いで舌先を解放すれば途端に蘭丸は瞼を伏せて、そうしてぼくが見ているその目の前で小さな寝息を漏らし始めたものだからぼくが頭を抱えてしまうのも無理はないと思う。とにかく食べてしまったものは仕方がないと諦めて蘭丸の手から残りの柚子を引き取った。
 それからは浴槽に浸かることは諦めて足元に注意を払いながら蘭丸の身体を浴槽から抱え上げて風呂場をあとにする。フローリングに滴る水滴はあとで拭うとして、ベッドに寝かしつけた蘭丸の髪をタオルで拭おうと手を伸ばす。伸ばした手はしっとりと濡れた蘭丸の髪へと潜っていって、その感触をしばらく楽しんでから目的を果たすべくタオルを手に取った深夜1時13分。すう、と寝息の漏れる唇に落とした触れるだけのキス、それはまさしく柚子の味。



‐End‐
20131223.