- ナノ -

ショック療法




 彼に廊下で声をかけたとき、肩を大きく揺らしてぼくよりも随分と高い位置にある垂れた両の瞳を迷いに染めている姿を見て以前にランランがぼくに漏らした言葉を思い出した。ぼくの顔を見るやいなや、視線を泳がせた姿からは常から窺えた余裕は全くといって良いほど感じられなくて。どうにも可哀想になってしまったら最後、腕にはめた時計は約束の時間まで30分。少し話そうよ、と彼を自室に招き入れたのは間違ってなかったと思う。


「…っふ、ぅ…んっん」
「…っは、」

 舌が絡まる感触はいつもの慣れ親しんだそれではない。僅かに分厚く感じる感触は彼の見た目からはあまり想像できないけれど、拙い動きにもなんだか毒気を抜かれてしまったような気がした。目尻に涙を浮かべる姿は普段の彼が決して――ぼくには特にだろうけども、誰にも見せない表情なのではないかとすら感じる。

「欲求不満なの?…それならぼくが、癒してアゲル」

 ぼくの言葉に、ぼくの腰を跨ぐ形でソファへと両膝をついたレンレンはあからさまに瞳を見開いて見せた。ついでとばかりに舌舐めずりもオマケして、そうして彼の首へと腕を回して引き寄せる。抵抗もせずに素直に身体を倒す姿はなるほど、こういった状況にあまり慣れていないということが見てとれた。肩口の広いニットを着たレンレンは髪を緩くサイドで結っていて、ちょうどぼくの眼前に晒された鎖骨上付近、ランランのそれよりは随分と健康的な色をした肌へと唇を寄せたところで、ようやくレンレンからは抵抗の言葉が出た。


「レンの奴がおかしい」
「レンレンが?」

 いつだかの食事のとき、目の前にはランランの好物ばかりを並べた食卓で普段ならば決して止めることのない箸を動かす手を止めて告げられたその言葉。ランランにしては珍しいくらいに歯切れの悪いその相談事は結局詳細を聞くことなく打ち切られた形となったけれど。「おれよりも、たぶんおまえのがあいつには向いている」そう言って、それからは何か続きを話すこともせずに再開された食事はそう、たしか今から一週間ほど前のことだった。
 正直な話、ランランがぼくに伝えた言葉に驚いた。まさかぼくだけではなく、ランランも気付いていただなんて思わなかったから、たしかにぼくと彼、レンレンは性格というか人柄というか、とにかく根っこの部分が少しばかり似通っているようだというのはもう随分と前から気付いていたことだ。だからこそ、同族嫌悪と言ってしまうには少しばかり言葉が悪いけれど、とにかくぼくらは互いに無意識に深い接触を避けていた気がする。実際のところ、ぼくとレンレンの何がどう似ているのかと問われてしまうと事細かく述べることは難しい、けれども、やっぱりぼくと彼は似ていると思うしもしかしたら彼もそれには気付いているのではないかとも感じていた。

 お茶を差し出してレンレンが口を開くのを待っていたのが随分と昔の事のように思える。今ぼくの上で唇を開いたまま呆気に取られた様子でぼくを見下ろすレンレンは年相応の、普段の大人びた姿とはかけ離れた表情を浮かべている。ぼくが伸ばした腕に引き寄せられるように上体を倒した彼を支えて、そうして指先で寛げた肩口へと顔を寄せる。

「ブッキー、」
「ふふ、レンレンってば男相手にこういうことするの初めてみたいだね。本当、初々しいや」
「や、あの…ブッキー、」

 困ったような、泣きそうな声音で告げられるそれ。ちらりと視線を投げた先の、玄関口とリビングを繋ぐドアは開かれたままだった。

「んん、レンレンが言ったんでしょ?ランランと仲良しなぼくには分からないだろう、って。ふふ、自分が誰かに本音を見せられなくてそれで喧嘩をしたのに、それを棚に上げて君はぼくらを羨むんだね。自分からは決して本心を出さないのに、人を羨むことだけは人並み。そりゃ相手だって君に愛想をつかすだろうね」

 せっかくだから君が望む形に堕ちてアゲル、ぼくの言葉に喉を上下させて息を飲むレンレンは見ているこちらが可哀想に思えるほどに瞳を大きく見開いて言葉を失っている。レンレンから何も抵抗がないことを確認してから再度肩口へと唇を寄せた刹那。

「嶺二、そのくらいにしとけ」

 シン、と静まり返っていた部屋に響いた心地のいい低音。見れば開けっ放しだったドア付近には腕を組んでぼくらを見下ろすランランの姿。それからはもう大変だった。びくりと身体を震わしたレンレンは恐る恐るといった様子でランランへと視線を投げる。そんな彼にランランは溜め息をついてから首を緩く横に振って見せて。「ランちゃん、ブッキーは悪くない。オレが悪いんだよ」悪乗りをしたのはぼくなのに、語尾を震わせながらしきりに弁解をして、そうしてぼくを庇うレンレンの顔からは見るからに血の気が失せていた。

「違う、オレが全面的に悪かったんだ。ブッキーには相談に乗ってもらっていて、それで、その」
「キスしたのか?黙らせるために?」

 射抜くような鋭い視線が寄越される。見ればランランの左手にはぼくが以前に渡した部屋のスペアキーが握られていて、ああなるほどそれでこの部屋に入ってこれたのかと妙に落ち着いた気持ちで事の次第を観察していた。

「レン」
「……っ、殴ってよ。ランちゃんの気が済むならそれで構わない。二人の仲を壊すつもりはなくて、その、オレが冷静になれなくて…えっと、」
「レン、」

 しどろもどろになって事の経緯を話すレンレンの語尾はどんどんと小さいものになっていった。たしかにレンレンの言葉に嘘はない、キスだってぼくが仕掛けたわけでもなく、きっとレンレンは本当にかっとなっただけなのだ。

「ランちゃ、……んっ、?!」
「…今おれがおまえにしたのは挨拶のキスだ。てめぇがいつも女共にしてるのやつの親戚みてえなモンだろ」
「え、っと…、」
「…あー、だから。てめぇが嶺二にしたのもそれだ、良いな?」

 レンレンが口を開くやいなや、彼の首元をおもいきり引き寄せたランランはレンレンの唇へと触れるだけのキスをして見せた。そうしてから、本当に優しげな笑みと、あと少しの安堵の表情を浮かべてからレンレンの肩を軽く叩いて、玄関へと無言で促す。

「飯食って寝て、さっさとその辛気臭
え面どうにかしてこい。良いな、先輩命令だ」

 半ば無理矢理といった形でレンレンを追い出すランランを横目に倒されたままだった上体を上げる。腕時計の針は約束の時間を10分過ぎた辺り。

「少しは頭冷えただろ、あのバカ」
「だと良いけどねん」

 ぽそりと呟かれたそれは後輩を心配する先輩そのものの温かさをまとっていた。ランラン、とぼくの呼び掛けに何でもないことのように返事を寄越す姿に少しばかり頬を膨らませてやる。

「レンレンとちゅーした!」
「あー、成り行きだろ。つかてめぇもしてただろーが」

 これで我慢しろ、そう言ったランランはぼくの口元を荒々しく手の甲で拭う。一瞬の迷いの後に自分の口許にも同じようにしたあとに顔には影がかかって。

「…満足か?」
「…らんらーん、耳真っ赤だよ?」

 唇に触れたそれは慣れ親しんだ感触で。ランランの突飛な行動がとても新鮮に思えてしまって笑いを耐えるのが難しかった。




from:レンレン
sub:この間はゴメン

あいつとは仲直りした。それにランちゃんにも、ちゃんと謝ったよ。ありがと、世話になったね。


 レンレンからそんなメールが送られてきたのはあれから三日後のこと。



‐End‐
20131214.