ふと視線を感じて顔を上げると黒曜石のような瞳がまっすぐにこちらを見ていた。互いの視線がぶつかると黒曜石はゆっくりと瞼の奥に隠されて長い睫が影をつくり、そしてもう一度、ゆっくりと目が開けられて黒曜石が俺を映すのだ。感じる視線は身を焦がされそうな程熱いのに、俺の目に映る彼女の瞳は何の感情も読み取らせず、先ほどの熱は勘違いだったのだろうかと思わせられる。

「苗字か、どうした」
「相澤先生、質問いいですか?」
「いいぞ、何だ」

 相澤先生、と苗字は必ず俺の名前を口にする。マイクやミッドナイトさんに呼びかける際は先生と短縮する事もままあるのに、頑なに俺に対してはそれをする事がない。なぜと考えてみて一つの答えに辿り着くのだが、毎回苗字の瞳を見るとその答えに対して疑問が生じてしまう。先輩ヒーローに対しての憧れとして片付けるには感じる視線は熱すぎ、幼い恋と片付けるには苗字の瞳は静かすぎた。
 苗字が持ってきた小テストを二人でのぞき込むから距離は自然と近くなり、いつもは二十センチ程下から聞こえてくる声も近くなる。先ほど俺を呼んだ時の声も今近くで疑問点を語る声も凪いだ海のように穏やかで、それもまた先ほど感じた視線の熱さをうやむやにしてしまう。

「ということだ、わかったか?」
「はい、ありがとうございました」

 「相澤先生」と呼ばれ顔を向けると、苗字がゆっくりと瞬きをする。こう何度も繰り返されるとこれが苗字の癖なのではないかとも思ったが、クラスメイトや他の教師陣と話している姿を思い出してそれを否定する。それはなんだと聞いてしまうのは容易い事ではあるし、そうするのが合理的だと頭ではわかっているのだがなぜか躊躇してしまう。

「またわからない所があったら来てもいいですか?」
「ああ、いつでも来い」

 瞬きをして一呼吸おいてから紡がれた言葉に教師として当然の返答をした。それだけだったが、苗字はふわりと微笑んでほんの一瞬だけ静かに光りを取り込んでいた黒曜石を揺らめかせた。マイクならこのほんの少しの変化で何かを掴み取るのだろうか。何かと絡んできて十年以上の腐れ縁となっている男に相談することも考えたが、苗字が職員室を出て隣の席の主が戻ってきても結局この疑問を口にすることはなかった。だから、その行動が知っている人にとってみればあまりにもわかりやすく直接的なものだと知ったのは一年以上経ってからだった。無理矢理連れ込まれてマイクの家で飲んでいる最中に「お前、猫好きだったよな」と言われ、その言葉に首を縦に振った後に続けられた言葉が苗字の行動の答えだった。

「リスナーからのメールで知ったんだけど、猫の愛情表現に目を見つめてゆっくり瞬きするってのがあるらしいぜ」
「は?」
「しかもよ、その瞬きってのはキスするのと同じだってさ。ソーキュートじゃね?」
「そ、うだな」

 マイクはその後もラジオリスナーからのメールについて話していたがそんなのは右から左で、俺の頭の中は苗字でいっぱいだった。俺の名前を呼んで、瞳に俺を映し、そして瞬きをする。何度も見てきたその行為がスローモーションで再生される。キスと同等の意味をもつ行為。不意打ちで知ってしまった意味に体温が上がる。目が合っていない時だけのせられていた熱は勘違いではなく、隠しきれないものだったのだ。本来の自分なら生徒から教師に向けられる恋愛感情など憧れの混同だと切って捨てるものだった。それなのに、悪くないと思ってしまった。その上、翌日以降苗字の行動が確実に自分だけに向けられているものだと確認して安堵してしまったのだ。

「相澤先生おはようございます」
「はい、おはよう」

 何の変哲もない教師と生徒の一場面で、あえて意識して目を合わせると苗字はほんの一瞬驚いた素振りを見せてからいつものようにゆっくりと瞬きをした。
 それ以降苗字から声をかけられるたび、期待を込めて彼女を見つめてしまうようになった。声をかけられなくとも、姿をみかけるたびあの瞬きを他の男にしていないかと確認してしまうようになった。いつの間にかすっかり深みに嵌まっている自分に笑いすら起きる。そして、それは苗字が卒業するまでひっそりと続いた。

「消太、寝るならベッドにしなよ」
「寝てないから大丈夫だ」
「うそ、声が眠そうだよ」
「名前の勘違いだろ」

 名前が明確に甘さを含んだ声で俺の名前を呼び、意識が浮上する。重い瞼を持ち上げて顔を見れば名前はふわりと微笑んでからゆっくりと瞬きをした。この行為は二人の関係が恋人になってからも変わることなく続けられている。俺への想いを隠さなくなった黒曜石の瞳が瞼の奥に隠されていくのを見てから、俺もまたゆっくりと瞬きをする。名前が目を開けるより先に俺が瞬きを終わらせてしまうから、きっと彼女は気づいていない。
 俺が意味を知りながら名前の真似をしている事を。そして、名前の真似をし始めたのが彼女が制服を脱いで会いに来た日よりずっと前だという事を。







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