「あぁ?! クソッ! 分裂しねえぞ!」
「やっとイレイザーヘッドが来たか!」
「…っ! そっちに一人逃げた!」

 あちこちで飛び交う怒号を切り裂くように一筋の布がまっすぐに敵へ向かって伸びていった。瞬き一つする間にさっきまで私たちを手こずらせていた敵が縛り上げられ地面に転がる。繰り返し分裂していた敵たちもその隙に次々と捕らえられていく。
 敵の個性のせいでヒーローも敵も入り乱れ、終わりの見えない乱戦状態だったのがイレイザーヘッドの到着によって一気に収束へと向かう。物理攻撃を受けると分裂するという個性を末梢してしまえば戦闘能力が大して高くない敵など捕まえるのは容易い。本体を縛り上げ個性を解除させるまでものの数分でこなせてしまい何人かのヒーローはそれまでの苦労を思い深いため息をついた。

「無限地獄かと思ったわ」
「抹消ヒーロー様様だな」
「これに懲りたら敵の個性を把握しないうちに飛び込まない事だね」
「ぐっ…反省してます…」

 がっくりと肩を落とす後輩の背中に張り手を一つ打って他のヒーロー達と笑っていると今回の功労者がもぞもぞと目を擦りながら輪の中へ入ってきた。「お疲れ様」「ありがとう」の声に適当に手を挙げて応えつつ私の隣に並んでポーチから目薬を取り出した。

「イレイザー? どうしたの?」
「いや…多分気のせいだと思うんだが…発動時間がいつもより不安定でな」
「えぇ…大丈夫?」
「最近ドライアイが悪化してるからそのせいだろ」
「そうだといいけど…」

 消太がぱちぱちと目薬をさした目を瞬かせる。少し充血した瞳は見た限りでは変化は見られず、本人も特に違和感はないのだと言う。消太本人がこれ以上きにする素振りがなければ、いくら恋人といえどしつこく言っても鬱陶しいだけだろうと私も深く気にしない事にした。

 思えばそれが予兆だったのだ。かつて敵連合に襲撃されて負傷した際にインターバルの増加と発動時間の短縮という後遺症が残ったがその後は何もなく過ごしてきて何年も経ってからまた悪化する事などそうそうあるものではない。私も消太も目まぐるしい日々の中で根拠のない大丈夫をもとにすぐ記憶の隅へと追いやってしまった。
 後悔先に立たず。もっと早く疑問に思って動いていればこんな事にならなかったかもしれないのに。そう思っても現実は非情である。いつだって足音もなく忍び寄り、私たちを深い絶望の海へと突き落とす。それがまるで先へ進むために必要な試練だと言わんばかりに。







 個性が突然発現したのが原因不明であれば、それが突然消失するのも原因不明なのは致し方ないことなのかもしれない。オールフォーワンに奪われたのなら取り戻せばいいし、死穢八斎會が作り出した薬のように個性因子が修復できない程破壊されたのなら壊理ちゃんに巻き戻してもらえばよかった。だが今回の件は壊理ちゃんの個性を持ってしてもどうしようもできなかった。たとえ個性因子が消失する前の状態に巻き戻しても、体は個性因子を排除せねばならぬもとの誤った判断を下して消してしまうのだ。巻き戻しては消失するを繰り返し、ついに昨日諦められない周りに「これ以上は合理的じゃない」と本人が口にした。あまりにも静かであっけない終わりだった。
 それ以外着ているところが想像できないほど定着したヒーロースーツは想像していたよりもうんと早く引退を迎えてしまった。逆立つ髪の毛も情熱色に光る瞳も、もう二度と見ることができない。一番辛いのは理不尽な現象を受け入れなければならない本人なのに、私は流れる涙を止めることができなかった。

「目玉溶けちまうぞ」
「そんなやわな目玉してない」
「名前が根性ある目玉してようが泣きすぎだろ」
「だって、止まらない…」
「目玉に比べて涙腺は根性がないな」

 深いため息の後、消太の手が優しく私の髪を梳かした。あやすように動作を繰り返す手の暖かさがじわじわと伝わってくる。泣きたいのは俺の方だと言われてもおかしくないこの状況でも消太は瞳を滲ませる事もなく淡々と事実を受け入れている。吐き出させてあげたいのに私は無力で、かける言葉が見つからない。せめて何か話して溢れ続ける涙を止めないと。そう思って捻り出した言葉を紡ぐ。

「明日からは私だけのヒーローだね」

 絞り出した声は思っていたよりも情けなく震えていた。こんな事しか言えないなんて私はなんて無力なんだろう。涙で濡れた笑顔と鼻声で酷い有様な私に向かって消太はほんの少しだけ口角を上げて笑う。

「名前だけも何も俺はもうヒーローにはなれないよ。ただの無個性の男だ」
「個性が消えたって消太はずっと私のヒーローだよ」

 初めて出会った高校時代からずっと相澤消太という男は私のヒーローだった。オールマイトのような煌びやかな活躍をしていたわけでもなく、笑顔一つで安心感を与える圧倒的なオーラがあるわけでもない。それでもイレイザーヘッドは私にとってのNo.1ヒーローで、ずっと追いかけ続けてきたヒーローだ。不器用ながらも私を励まし引っ張ってくれた事実はなくならない。イレイザーヘッドがヒーローである姿を見て、私は隣に立っても恥ずかしくないようにありたいとずっと自分を奮い立たせてきた。私のヒーロー。憧れのヒーロー。これからだって、ずっと、変わらない。

「イレイザーヘッドの想いは私が受け継ぐから」
「そりゃあ頼もしいな」
「ついでに捕縛布も引き継ごうか?」
「それはもう間に合ってる」
「そっか」

 これからしばらくは変わってしまった日常に戸惑いを感じる日々が続くのだろう。時には当たり前にあったものが無くなった事への虚しさを感じ、時にはかつての仲間達と共に戦えない無力さと見送るものとしての寂しさを感じるのだろう。その時私には何が出来るだろうか。鬱々と思考の海に沈むと共に段々と顔も俯いていく。

「名前。俺のヒーロー、」

 名前を呼んで私の顔を上げさせてから一音一音を確かめるようにはっきりと消太が私のヒーローネームを呼ぶ。その声が震えていた。消太のそんな声を聞くのはいつぶりだろうか。その声に心臓を握りしめられたような苦しさを感じて思わず胸元を握りしめた。止まりかけていた涙がまたこぼれ落ちそうになって慌ててハンカチで目元をおさえると「つられるだろ」なんてさっきよりも震えた声が聞こえてきた。

「託したぞ、ヒーロー」

 どんな想いでそれを口にしたのか、今日までの日々で何を想ってきたのか、私には計り知ることはできない。私にできることはヒーローとしての責務を全うし続けることと、変わらず消太を想うことくらいだ。でも、それでもいいと消太が言ってくれたような気がした。
 消太がプロヒーローとして教師として繋いできた想いを引き継ぐ者の一人として、私は最後の一瞬までヒーローでい続けよう。それがヒーローとして私に出来る精いっぱいだ。そして、どんな時も消太に寄り添い、離れずにいよう。これは消太の恋人としての意地だ。密かにした決意は消太には言えないけれど、しっかりと胸に刻む。
 たった一筋だけこぼれ落ちた消太の涙を私は一生忘れない。







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