僕の勤める雄英高校はオールマイトやエンデヴァー、ベストジーニストなどのトップヒーローの母校としてヒーロー科ばかりが注目を浴びているが、その影に隠れがちな経営科や普通科だって優秀な人材を輩出し続けている。ヒーロー科は偏差値七十九だとか入試倍率三百倍だとか騒がれているが、他の科だって難関であることに変わりないのだ。
 そんな日本最高峰たる高校で公民を教えるようになって今年で五年目になる。ヒーロー科とは違い経営科や普通科は野蛮な個性の生徒が授業をストップさせたり突然敵に襲われたりなんて事もなくとても平穏な教員ライフを送ることができている。そんないい子達ばかりなのにヒーロー科のおまけのように扱われるのは如何なものかと僕は常々思う。

「茂部先生!」

 授業を終えて職員室へ戻る道すがらで鈴を転がすような声がして立ち止まる。声の主は白いフレアスカートとハーフアップにした髪を揺らしながら僕の元に駆け寄ってきて、その姿は光のエフェクトを纏っており天使と見間違えてしまいそうだ。

「どうしましたか? 廊下を走っては生徒に示しがつきませんよ」

 すみませんと眉を下げて謝る姿は惚れた欲目を抜きにしても目映いほどに可愛らしく小動物のようである。苗字名前先生は二年前に大学を卒業してこの学校で採用された新米であり、まだまだ僕のようなベテランから懇切丁寧な指導を受けなければいけない。先ほどのようにまだ学生気分が抜けきらない行動をとってしまう所がそれを物語っている。

「急ぎの用でもありましたか?」
「この間ご指導いただいていた資料の件なんですが…」
「ああ。でもこの十分間の休憩時間中に話せることじゃないからな……そうだ、今夜食事でもしながら詳しく教えてあげてもいいよ」

 他の先生を交えて親睦会と称した飲み会を何度か催しているし、そろそろ二人での食事に誘ってもいい頃合いだろうと優しく笑いかけたが返ってきたのは「え、」と戸惑いの声だった。先ほどまでとうってかわって表情は一瞬で固くなり、どこか気まずそうに視線を下げている。

「夜は…」

 そう彼女が言い始めてすぐ、僕の目の前をビュンと音を立てて何かが横切った。「いてぇ!」と男子生徒の声がして、その方向を見ると赤い髪が印象的なヒーロー科の生徒が細長い布で捕らえられていた。その布の先を辿らなくとも誰がいるのかわかるのは、それを使う人間がこの学校ではたった一人しかいないから。振り返るまえに予想した通りの人物が男子生徒へと声をかける。

「切島ァ、廊下走ってんじゃねえよ」
「え!? 先生、え!? 俺!?」
「ちょ、ちょっと……相澤先生! 危ないじゃないですか! 廊下で武器を使うなんて…!」
「あ? ……茂部先生、いたんですか。すみません、うちのバカしか見えてなかったもんで」

 謝罪の言葉を口にしているのにちっとも悪びれた様子のない相澤先生は男子生徒に布を巻き付けたまま僕たちの間に立つ。チラリとも視線を寄越していないにも関わらず、武器は男子生徒をしっかりと捕らえている。生やしっぱなしの無精髭と手入れのされていない髪。教師生徒問わず自由な校風が売りであるといえどいくらなんでもみすぼらしすぎる格好に眉間に皺が寄る。彼だけでなくコスチュームだからと際どい格好をしている教師も見受けられるからヒーロー科にはいろいろと苦言を呈したいことばかりである。教師であるからには身なりを整え、スーツを着用すべきだと何度校長に進言してきたことだろう。
 そして何よりも相澤先生は目つきが問題である。市民を守り子供達に夢を与える職業に就いている人間がこんなに鋭く睨み付けるような目をしていていいわけがない。

「で? こんな廊下のど真ん中で走っている生徒に注意もせずお二人は何の話を?」
「先生、俺走ってなんか――ッんぶ!」
「ご、ごめんなさい。茂部先生が今夜ご飯を食べながら昨日の資料のことを説明してくださるって言ってくださってたんですけど……」
「なんだその件か。茂部先生……あの資料そもそも印刷部分がずれていて読めたもんじゃない。あれじゃあ新人指導に示しがつきません。『学外活動における教師の指導と在り方と意義』なら俺も持っていたので、渡して指導しておきました」

 そう言って相澤先生が浮かべた薄ら笑いのような表情は見慣れたものでもなく、見慣れることができそうなものでもなかった。この場には体の自由を奪う個性を持つ人はいないはずなのに僕は返事すらできない。相澤先生に捕らわれたままの生徒も苗字先生も沈黙しており、この状態が永遠に続きそうに思えたが予鈴のチャイムが救いの鐘のように鳴った。それによって凍っていたかのような時間が動き出す。
 顔面まで布で覆われた男子生徒を引きずりながら相澤先生は「そうだ」と言いながら苗字先生に向き合う。

「今夜、いつものとこな」
「あ、うん、わかった」

 当たり前のように「名前」と彼女の名前を呼び、それを受けた彼女はへらりと表情も言葉も崩す。彼女のそんな姿もまた見慣れたものではなかったし、僕では引き出すことのできないものだった。会話は終わったというのに二人は見つめ合っている。きっと二人の視線が糸のようになって見えたのなら、決して離れないといわんばかりに複雑に絡み合っているのだろう。そう思わせるような程に鮮烈で情緒纏綿な一面をほんの一瞬だけ見せて相澤先生が動き出す。
 進行方向へ向き直る途中で相澤先生はもう一度僕を見た。ガツンと鈍器で殴られたような錯覚に陥るほどに獰猛な視線がぶつかる。目は口ほどに物を言うというが、これ程までに強く語る人を僕は知らない。
 二人のやりとりと相澤先生の態度にまさかの可能性が頭をよぎる。こんなだらしない男性に彼女は…。否定してくれと願いながら信じられない仮説を彼女に問いかけた。

「え、もしかして、お二人は…」
「はい。実は、相澤先生とお付き合いさせてもらってます。内緒にしていてもらってもいいですか、茂部先生」

 願いも虚しく、今この瞬間に僕の失恋が確定した。よりにもよってな相手である。僕を見つめる彼女の瞳に何の感情も上乗せされていない事に気付いてしまえば、もしかしたらの希望すら持つことを許されない事が嫌でも思い知らされる。しかし彼女が魅力的だという事実は変わることがなくて、恥ずかしそうなしかしながら幸せそうな表情をした彼女にうっかりときめいてしまったが、その瞬間血の気が引くように発動してもいない個性の喪失感を感じた。







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