きゃらきゃらと笑う声が静かだった廊下に響いた。声の主はわざわざ目線をやって確かめるまでもなくわかっているのだが、意識せずとも顔が動いてしまいパンツスーツに身を包んだ部下が視界に入る。彼女の隣には見目麗しい上司が上品なグレーのスーツに身を包んで珍しく口を大きく開けて笑っていた。休憩がてら自販機で何か飲み物でも買おうかと思って出てきたのだが楽しそうな二人を邪魔するのは気が引けてしまい踵を返そうとしたのだが後輩の笑顔から目が離せなくてただただ立ち竦んでしまう。

「あれ? 風見さん?」
「どうした風見。お前も休憩か?」

 四つの瞳が真っ直ぐこちらに向いて俺を映す。彼女の瞳に俺を映してほしいと思ったりもしたがこういう状況は望んでいないと特に深く信仰しているわけでもない神を呪う。「お疲れ様です」と呟いた声が少し震えていたかもしれない。

「苗字は仮眠をとるんじゃなかったのか」
「降谷さんが珍しく登庁してるのでもう少ししてからにしたんです」
「もう三日もまともに寝てないだろう。倒れるぞ」
「そんなにヤワじゃないですよ」
「ポアロで会うのだからと言っているのに聞く耳をもたないんだ。もっと言ってやれ」
「あそこで会えるのは安室さんであって降谷さんじゃないでしょう?」

 降谷さんと直接コンタクトがとれる数少ない部下として運び屋の役割を担っている彼女はポアロで顔を合わせるようになってから随分と上司との距離が近くなった。元々どんな上司であろうと物怖じせず発言しすんなり懐に入るような性格だったから予想はしていたことではあるが、その事実を目の当たりにした時に動揺ししまったのは予想外だった。一度自覚してしまえば気づかなかった頃に戻れるわけがなくて、公安としての意地で隠してはいるもののふとした時に彼女の笑顔を思い浮かべたり他の後輩より少しばかり優しくしてしまったりしてしまう。ただ、この想いは一方通行であるから少しずつ奥底へと沈めていかなければならない。

「降谷さんにお会いできるのが嬉しいのはわかるが、無理するなよ」
「はい、気をつけます」

 邪魔者はすぐに立ち去るに限ると降谷さんが差し出してくれた紅茶を受け取って礼を言い今度こそ踵を返す。彼女に背を向けた瞬間にさっき降谷さんに向けていた笑顔を思い出して胸が痛んだ。思えばいつも俺に向けられる笑みはさっきのようなあどけないものではなく、ふわりといった表現がよく似合う柔らかいものばかりだったなと思い出す。薄く化粧が施された頬をほんのりと染めてしっかりと俺を見て目尻を下げる。その表情を向けてもらえるだけでも十分に恵まれているのだろうがどんな顔だって知っておきたいのだと醜い欲が腹の奥で渦巻く。彼女を想えば想うほど、どれだけ自分を律しようと所詮ただの男だったのだと思い知らされてしまう。







「どうやら風見は手強いようだな」
「へ?」
「もっと風見のことが特別なんだとアピールする必要がある」
「ふ、降谷さん?!」
「なんだ違ったのか?」
「違…わないけど、待ってください!」

 缶コーヒーを飲む姿すら様になる上司様はにやりと意地の悪い笑みを浮かべて私を真っ直ぐに見つめてくる。安室透と接触するまではただただ怖い上司だったが今となっては厳しくも優しい上司だった。元来おしゃべりな性格なのかこちらが聞き役に徹するとあれこれと楽しそうに語ってくれるから最近は雑学に近いものの知識も随分と増えた。寝る前に梅昆布茶を飲むようになったのも彼の影響である。

「僕からも風見に苗字の事をそれとなく勧めておくよ」
「やめてください」
「安心して任せておけ」
「任せられません」
「ポアロで恋愛相談を受けることもあるんだ」
「降谷さん話を聞いてください」

 ポアロでは絶対にやらない笑い方でひとしきり笑った後、降谷さんは私を仮眠室へと促した。大人しくそれに従って仮眠室で横になったものの、潜入捜査もバリバリこなすエリートだが恋愛方面に関しては所々ズレている所が見受けられる降谷さんの援護がどういったものなのか考えれば考えるほど不安になってしまい仮眠どころではなかった。


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