ただの同僚と言うには近く、恋人同士と言うにはわずかに離れた距離で頼んだカクテルに口をつける。隣に座る男はカクテルを頼んだ時以降ずっと無口でひたすらにバーボンソーダを煽っているので、何か喋りなさいよと念を込めて視線を送っても隣の男は眉間に皺を寄せてグラスを空にする事にご執心のようだ。好きでもなんでもない男と忙しい合間をぬってバーにきているのにこの扱いはなんなんだと数時間前に難しい顔で話しかけてきた同僚の姿を思い出した。


「付き合ってくれ」

 男が投げかけた言葉に対してもしこの場が伝説の樹の下とかテーマパークのお城の前とか観覧車の中とか夜景の見えるレストランとか洒落たバーとかだったら胸をときめかせて頬を染め「彼って私のこと好きだったの…!?」なんて脳内を花畑にしていたのだが、残念ながらここは警視庁公安部のフロアで私の目の前には山積みになった書類がある。一秒たりとも目を離すのが惜しいほど忙しいこの状況でピンク色な台詞を吐く程、声をかけてきた男もバカではないのだ。よって私の返事はジャンルとしてはラブコメと分類されるであろう類のヒロインが口にするような言葉となる。

「何に?」

 エンターキーを荒々しく叩いてから平均よりも大分高い位置にある頭を見上げると声をかけてきた男―警察学校時代からの同期である風見裕也―は重々しく口を開いた。その様子はかつて上司である降谷さんと共に大捕り物をする時よりも緊張しているようで一体何を言い出すのかとこちらまで緊張してきてしまう。一秒、二秒、と彼が声を発するまでかかる時間を数え、十秒につき一スイーツの請求でもしてやろうかと考えていると九秒の時点で風見は言葉を発した。

「ハニートラップを仕掛けることになった。その練習がしたい」
「……風見がするの?」
「あぁ」
「誰の人選よ」
「降谷さんだ」
「あの人徹夜記録の更新でもしたの?」
「直前まで仮眠室で休まれていたぞ」
「仕事のしすぎで頭がやられたか…」
「お前なぁ」

 持っていた資料で私の頭を叩き、詳細を語り始める。正直な所あの風見がハニートラップを仕掛けることになったという衝撃で語られる情報が上手く頭に入ってこないのだが、ターゲットの好みに一致するのが風見だったらしいということは理解できた。それにしても降谷さんも風見にやらせるなんで思い切ったことをするな、とハニートラップに最適であろう上司を思い浮かべた。

「なんで私に言うの」
「頼めるのが苗字しか思いつかないんだ」
「事情が事情だから仕方ないか…」
「助かるよ」
「感謝してよね。じゃあ早速お誘いの定番でもあるバーに行きますか」
「あぁ、頼む」
「私もそういうのが得意なわけではないからろくな練習にならなくても苦情は受け付けないよ」
「わかっているから大丈夫だ」
「その返事はちょっと腹が立つね」

 そんな会話をして私たちは今降谷さんに教えてもらったというガブリレオ風のペアソファがあるバーに来ている。隣り合って座ったが拳二つ分は開けられている距離に早々にツッコみを入れなければならなかった。膝と膝が触れあう距離とまではいかなくとももっと近くに寄れと言った時の風見はわかり易く戸惑っていて降谷さんじゃなくともこれでよく公安が務まるなと言いたかった。

「目が合って声をかけて隣に座るにせよ、どこかで会ってから店に連れて行くにせよ会話の主導権を握らないと話にならないと思うんだけど」
「あ、あぁ…」
「ちょっと近づいたくらいで怯まないでよ」
「すまん」
「ほら、とりあえず相手を褒めて会話のきっかけ作ろう。私じゃ難易度高いかもしれないけど頑張って探して」

 ちびちびと口をつけ続けていたグラスを奪ってそう言うと真面目すぎる彼は私の褒める場所を見つけるべくこちらをジッと見つめてきた。警察学校時代からそれなりの付き合いがあるがこうして真正面から真剣に見つめられるのは初めてでじわじわと顔が熱を持って行く。頭から膝へ、そして膝から頭へ。視線が何往復かしてから風見は意を決したように口を開く。

「か、髪型似合ってる、ぞ。」
「下手くそか!」

 ガン、とテーブルに打ち付けたグラスが音を立てる。勢い余ってグラスから飛び出した雫が手を濡らしたのでそれを拭いながら風見を見ると彼はバツが悪そうに視線を自分の膝に向けていた。警視庁公安部の中でもゼロと直接コンタクトが取れるメンバーに加わっている程に優秀な男なのだから観察眼に問題はないのだ。それを駆使すればきっと彼はほんの少しの髪の長さの変化もメイクの違いも爪先のケアも気づくことができる。それなのに褒め方を知らなすぎる。どういう所を見てどういう風に褒めると女は嬉しいのか、いやらしくならないように褒めるタイミングなどを捲し立てる。そもそもどもるなんてもっての外だと言えば風見はぐうと喉を鳴らした。しゅんと項垂れながら私の話を聞く姿が大型犬のように思えて途中から顔がにやけるのを我慢しているのがばれないように取り繕うのが大変だった。大きな体を縮こませているのがほんの少しだけ可愛く思えてしまって何故か無性に頭を撫でたくなって慌てて邪念を振り払った。
 風見を可愛いと思うなんて、私はどうかしてしまったのだろうか。


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