某月某日
吐くという行為は地味に体力が奪われていくことを知った
吐いた後はしばらく口の中に花の香りが残って水ですら口にすると気持ち悪くなる
ある日突然花を吐くようになるなんてとんだファンタジーだ
そんな体験を自分がするなんて思いもしなかった
ネットであったように花言葉を調べて、記録がてら日記をつけてみるようにしたが、笑えるくらい俺の気持ちそのままの花ばかりだ
「目は口程に物を言う」と言うが俺の場合は「花は口程に物を言う」になるな
出会いは入学式。新入生代表の挨拶をするゼロの声を右から左へと聞き流しながらこれから共に三年間学ぶ仲間たちへと視線を巡らせると、少し離れた席で大きく船を漕ぐ女子を発見した。彼女が船を漕ぐたびに淡い栗色の髪が揺れ彼女の頬を撫でる。ほんの少し開けられた唇はほんのりピンクに色づいていてCMでよく見かける色付きリップとやらを使っているのかもしれない。
一度観察し始めるとやめられなくて、特別美人というわけでも庇護欲を駆り立てられるように可愛いわけでもないごくごく普通な彼女をジッと観察し続けた。新入生起立という教師の声に飛び起きて立ち上がったり、座った後にあくびを噛み殺したり、眠気を覚ますためか掌のあちこちを押す仕草をしたりと彼女を見ていると退屈な入学式もあっという間だった。
「ヒロ、寝てる子を熱心に見てたよな」
「え?」
「壇上からだと良く見えるんだ」
「あんなに船漕いでて気にならないわけないだろ」
「確かに。途中で笑いそうになった」
壇上から観た彼女を思い出したのかゼロがクツクツと喉の奥を鳴らして笑う。式典中に居眠りをするなんて特段珍しいわけではないが今日に限っては彼女だけだったから余計に目についてしまった。だから別に彼女が何か特別ってわけではなかったはずなのだ。
「あの列ってゼロのクラスだよな?」
「あぁ、気になるのか?」
「そういうんじゃないけど…」
「話してみたが、普通の女子だったな」
「話しかけたのか?」
「前の席なんだ」
「へぇ」
噂をすればなんとやら。ふと目線をやった先には携帯を操作しながらゆっくりと歩く例の女子がいた。
「苗字! ながら歩きは危ないぞ!」
少し離れた所からゼロが叫ぶように声をかけると、女子ー苗字と言うらしいーは遠目で見てもはっきりとわかるくらい体を跳ねさせてから、ギギギと音がしそうなぎこちなさで振り返った。その仕草が面白くて、つい声を上げて笑ってしまった。
「びっ…くりしたあ…」
「携帯に夢中になってるからだ」
「いやいや、降谷は自分の声の圧が凄いこと自覚して? 普通に歩いててもめちゃくちゃ驚くから」
「それにしてもすっげぇ飛び上がったな」
「めっちゃ笑ってんじゃん。失礼しちゃう」
今日会ったばかりだと言うのに随分と気安く話すゼロにつられてしまい、自分まで知り合いのように話しかけてしまったが、苗字さんは気にするどころかゼロに対してのものと変わらない態度で返してくれた。その事にホッとしつつ、ゼロが自ら話しかける女子が珍しく、もっと話をしてみたいなと欲が出る。
「苗字さん、だっけ? 入学式で居眠りしてただろ」
「降谷私の話したの?!」
「ヒロも気づいてたんだよ」
「嘘?! えっと、ヒロ、さん? 今すぐ忘れて」
「それは無理かなぁ」
「寝るのが悪いんだろ」
「そうだけどさあ〜、第一印象が入学式で居眠りしてた奴って悲しくない?」
「苗字さんが寝ちゃったんだから仕方ないよな」
「ひえ〜、ヒロさんもイジワル」
ヒロさん、と聞き慣れない自分の呼び名が悪い気はしないがどうも擽ったい。 呼び捨てでいいよと笑う彼女に自己紹介をして、頭に浮かんだ言葉をそのまま口に出した。
「せっかくだし、一緒に帰らないか?」
なんとなく、そう、ただなんとなく、誘ってみただけ。ゼロが驚いてこちらを見たが、曖昧に笑うだけにとどめておいた。
それからあれこれと会話に花を咲かせながら三人で歩いた通学路は行きより短く感じた。
○
「お前、式典中寝てただろ。上から見ると目立ってたぞ」
つまらない入学式を終えて教室に戻ってすぐ、まだ頭がぼんやりとしている中で後ろからかけられた声に驚いて体が跳ねた。声の主を確かめようと振り向けば、太陽の光を集めたかのように輝く金髪と澄んだ深海のような蒼い瞳の男子が座っていた。
キリリとした尻上がりの眉とは反対に目尻は垂れていて、ニヤリと笑うその顔はこれまでの人生で出会った人の中でダントツに整っている。同い年というのが信じられない程のベビーフェイスなのに褐色肌なせいかどこかエキゾチックな色気も持ち合わせていて、それがまたギャップとして憎い演出をしており、思わず見惚れてしまった。
「おい、聞いてるのか?」
「ごめん。上からってどういうこと?」
「新入生代表挨拶の時だよ」
「あぁ…それで…」
「がっくがく船を漕いでるのが見えて吹き出すのを堪えるのが大変だった」
「えーっと、すいませんでした?」
ふはっと笑った顔はそんじょそこらの女子じゃ勝てないくらいに可愛くて、その可愛さをちょっとは分けてくれてもいいんじゃないかなぁなんて思ってしまう。そんな後ろの席に座る超ド級のイケメンー降谷零(名前までイケメンである)ーはあろう事か放課後の帰宅途中でも私に話しかけてきたのだ。
突然大声で呼ばれた自分の名前に背後にきゅうりを置かれた猫よろしく飛び上がり、手から落ちかけた携帯を慌てて持ち直す。ドキドキと煩く脈打つ心臓を抑えながら振り返ると大声の主である降谷と腹を抱えて肩を震わせている黒髪の男子がいた。
「びっ…くりしたあ…」
「携帯に夢中になってるからだ」
「いやいや、降谷は自分の声の圧が凄いこと自覚して? 普通に歩いててもめちゃくちゃ驚くから」
「それにしてもすっげぇ飛び上がったな」
「めっちゃ笑ってんじゃん。失礼しちゃう」
つり目ぎみの猫目を細めてケラケラ笑う男子は降谷にヒロと呼ばれていたから、いきなりあだ名で呼ぶのもな、とさんを付けて呼ぶと擽ったそうに微笑んだ。ヒロさんもまた人見知りをするタイプではないようで、初対面らしからぬ気軽さでポンポンと会話が続く。自己紹介なんてサラッとされるものだから危うく聞き逃す所だった。
「ぼっちの女子と一緒に帰ってくれるとか二人は優しいね」
「あぁ、感謝しろよ」
「その一言で降谷への感謝の気持ちが消えた」
「なんでだよ」
「ヒロさん誘ってくれてありがとね〜」
「俺にも言えよ」
「はは、どういたしまして」
ヒロさんの誘いを有り難く受け、三人で並んだ帰り道は行きより景色の流れが早く感じた。歩く歩幅は男子二人に合わせて少し大きめ。それでも、軽やかだった。
あっという間にたどり着いた分かれ道で「またな」と微笑んだ顔がやけに頭に残って、何度も思い出してしまう。
降谷に気を取られがちだけど、ヒロさんだって整った顔立ちをしてるよねと誰に向けてでもなく呟いて、イケメンは目の保養だし印象強く残るのもそのせいだと自己完結する。それが、私と降谷零とヒロさんこと諸伏景光の出会いだった。
某月某日
私は恋をしたらしい
恋をしたら花を吐くなんて難儀な病気に罹ってしまったものだ
花の匂いは嫌いじゃないけど、自分の口から香るのは嫌だなぁ
ネットで日記を書くといいってあったからやってみるけど、いつまで続くのかはわからない
三日坊主になりそう