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「片想いでいいんだ。相手は俺のことをそういう風に見ていないから」

 先ほど買ったばかりのジュースを片手に人気のない中庭でふと思い立ってした「告白しないの?」という質問に岩泉はそう答えた。切なそうに笑う岩泉の表情につられ名前も切なさで心を痛めた。少しうつむき加減なその横顔を見つめながら、脳裏には苦しそうに花を吐く岩泉を思い浮かべる。名前の中では岩泉が片想いしているのはどんな子なのか知りたい気持ちと知りたくない気持ちがドロドロと混ざり合って濁った色を作っていく。自覚してすぐに失恋だという事実を突きつけられて、飴細工のように脆い心はあっけなく割れてしまった。それでも簡単に諦められるわけがなく、見知らぬ誰かに嫉妬して苦しくて胸が張り裂けそうだ。

「岩泉くんなら大丈夫だと思うけどな。かっこいいし、優しいから」
「そんなこと言うの苗字くらいだべ?」
「そんなことないよ。バレー部結構人気なんだから」
「及川たちだけだろ」

 名を呼ぶその声は想い人の前ではどんな音に変わるのか、その瞳は想い人を映すとどんな輝きに変わるのか、想像しては苦しさに涙がこぼれそうになる。こんなに辛いのならば気づきたくなかった。叶わぬとわかっているのに、顔を合わせて言葉を交わすたびに募る想いを今すぐにでも捨て去ってしまいたい。
 岩泉の想いを聞いて名前は岩泉への想いに蓋をして風化させてしまうべく、岩泉から離れることを決意した。叶わぬとわかっているのに岩泉に想いを伝えられるほど、名前の心は強くないのだ。
 それから、名前は今までのように岩泉に声をかけることを辞めた。向こうから話しかける機会を減らすべく今まで以上にクラスメイトの輪に加わり、常に誰かと会話しながら移動するよう心掛けた。時折岩泉と目が合って寂しそうな表情を向けられて胸が締め付けられたが気づかないふりをして過ごした。自業自得だったけれど、今まであった当たり前がなくなったことに対する寂しさに胸が押しつぶされそうだった。







 長く部活を続けていたバレー部やバスケ部が引退した事で受験ムードはより色濃くなった頃、名前は久しぶりに中庭を訪れていた。理解が難しい数式のせいで煮詰まった頭を冷やそうとベンチに腰掛けて流れる雲を見つめていると、ふと影がさした。真上に向けていた視線を下ろすとそこにはちっとも薄れる事なく想い続けている相手。

「なぁ、俺、苗字に何かしたか?」

 唐突に問いかけられて、思考が停止した。ぐっと眉間にしわを寄せて切なそうにこちらを見つめる岩泉くんの視線が痛く刺さる。私たちの関係はただの元クラスメイトで、どちらかが声をかけるのを止めてしまえばあっさりと何気ない日常に一コマに紛れていつか忘れてしまうようなものになるはずだった。もう、そうなっていたと思っていたのに、目の前の人は思わず立ち上がってその場を去ろうとした私の手首をしっかりと握りしめた。
 手首から感じる掌の大きさやごつごつとした指、少し高い体温を感じて痛みを伴っていても岩泉君に触れられているということに喜びを感じる。あぁ、この掌で優しく頬を撫でてもらえたならどれほど幸せだろうか。心の奥底に少しずつ沈めていたはずの想いがあっという間に浮上して、見知らぬ彼の想い人に対する嫉妬の炎がメラメラと燃え上がる。この手が触れたいと思う相手は私ではないと考えるだけで息ができなくなりそうなくらい胸が締め付けられる。

「岩泉くん、痛いよ。離して」
「質問に答えろよ」
「…何もしてない」
「じゃあなんで俺を避ける」
「避けてないよ。タイミングの問題じゃないかな?」
「今だって逃げようとしたべ」
「それは…」

 言い淀む名前を岩泉は真っ直ぐに見つめ、眉間のしわを深くさせた。上手い言い訳が思い浮かばず口をパクパクさせる名前に対して岩泉は絞り出すような声を出す。

「最近他のやつとばっかり話してるじゃねぇか」
「私の友達は岩泉くんだけじゃないもの。他の子と話したっていいじゃない」

 しまったと思っても音にしてしまった言葉はなかったことにはできない。こんな事が言いたかったわけじゃないと思っても言い訳の言葉すら口にできなかった。ひどく傷ついた顔をした岩泉を見て名前はたまらず逃げ出した。