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 片想いを自覚したと言ってもある日突然今までになかった勇気が湧いてくることもなく、名前と特に会話を交わすことなく岩泉は三年に進級した。クラスが離れてしまい元々近くなかった二人の距離はどんどん広がり、日によっては廊下で姿を見かけることすらなくなっていた。
 このまま彼女との関わりをなくして抱いた恋心も昇華してしまえばいい、そう願ってもまだ彼女を視界に入れようと探してしまう自分に嫌気がさす。バレーをしているときは何も考えなくていい、いっそずっとバレーをしていられたらいいのにと一年から手渡されたスクイズボトルを傾けながらいつものようにギャラリーに手を振る及川を見やる。その視線の先をたどってたどり着いた人物に岩泉は心臓が止まったかのような錯覚に陥った。

「及川くーん! がんばれー!」
「ありがとー」

 黄色い声を上げる女生徒の隣で名前がニコニコと控えめに及川に向かって手を振っていた。「いつの間に」そう思ったけれど、二人は同じクラスなのだし仲良くなっていたってなんら不思議ではない。人当たりの良い名前と愛想だけはいい及川なのだから自分よりも短い期間で距離を詰めることなど簡単にできるだろう。もっとうまく立ち回れる性格だったならあの笑顔を向けられるのは自分だったのに。ああやって手を振る相手は自分だけであって欲しいのに。腹の底で嫉妬の炎が狂ったように燃え、それが胃の底から塊となってこみあげてくる。
何気ない素振りを装って及川の隣から移動して、あの日から定位置となっている水飲み場へと足を運んだ。

 オレンジと黄色の花弁があざ笑うかのように散らばっていくのを見つめながら頭の中に強く残る及川に手を振る名前を消そうとしていた。考えれば考えるほど花冠は口から零れていく。噎せかえるような花の香りにせき込みつつ息を整えていると少し離れたところで砂利を踏みしめる音が聞こえた。慌てて振り向くとそこには今しがた考えていた名前が驚愕の表情で立っていた。

「苗字…」
「あの、ごめん、覗くつもりはなかったの。手を、洗いたくて…」

 名前の視線は岩泉の足元の花冠たちへと向けられていて、絨毯のように敷き詰められたそれは隠しようがない。言葉にならない音をひねり出す岩泉に名前は近寄ろうと1歩踏み出した。

「来るな!」

 とっさに出した声は予想よりも低く大きくて威圧的だった。びくりと肩を揺らした名前に謝罪しつつも、制止の手は下ろさず足元の花たちを見る。

「下手に近づいてうっかり触っちまったら苗字にうつしちまう。だから、こっちに来るな」
「あ、そっか。触っちゃいけないんだもんね…。ごめん、ありがとう」

 ハンドタオルをぎゅっと握りしめて名前は花と岩泉の顔を交互に見ている。お互い何を言えば良いのかわからず気まずい沈黙だけがひたすら続く。何か言わねば、そう考えれば考える程うまく言葉は浮かばなくて苛立ちがつのって岩泉は思わず舌を打った。

「あの、岩泉くん、私、何も聞かない。もちろん誰にも言わない。及川くんにも内緒だよね?」
「あ、あぁ。そうしてくれると助かる」
「じゃ、じゃあ私行くね! 部活、頑張って」

 足早にその場を去る名前の足音を聞きながら落ちた花を拾い集めていく。一番見られたくなかった相手に見られてしまったという戸惑いと彼女と自分だけの間にできた秘密に対する嬉しさとこんなみっともない姿を見られてしまったという情けなさとで岩泉の胸の内は複雑に絡み合っていた。