赤葦さんと再会した日に渡された名刺に書かれた番号と「待ってる」の真意がわからずそれをただ眺めて頭を抱える日が続いた。渡された名刺に綴られていた電話番号を登録するのにも時間を要してしまい、ドキドキしすぎて電話なんてかけるどころじゃない。電話帳に登録された「赤葦京治」という名前に現実味がなくて、もしかしたらこれは私の想いが強すぎた故の妄想なんじゃないかと思えてきた。電話帳を開いてすぐに現れるその名前をタップして、あとは通話ボタンを押すだけなのにそれができない。ここに眼鏡ノッポな彼がいたら何年経っても変わらない小憎らしい笑顔を浮かべて「早く押しなよ」と言うのだろう。ただ名前を見ているだけなのに手はじっとりと汗ばみ、鼓動は早い。深呼吸を繰り返しても落ち着くことはなく、息苦しささえ感じる。「待ってる」と言った赤葦さんの顔が忘れられなくて何度も何度も電話をしようとしてやめてを繰り返して、我ながら決断力のなさに呆れてきた。助けを求めた友人には軽くあしらわれたし、頼れるのはもう自分だけなのだ。

「大丈夫。ただ電話して、この間はどうもって言うだけでしょ? できるできる」

 全く効果のみえない自己暗示を繰り返して、これがうだうだするのも最後だと画面を立ち上げる。ここ数日で何度見たのかわからない「赤葦京治」という文字の羅列は、このままだと理不尽に憎くなってしまいそうだ。

「かけるぞ。やればできるんだ苗字名前は」

 多分、これが赤葦さん以外の人なら私は連絡しないという選択肢を選んだのだろう。でも赤葦さんに対してはなぜか初めから連絡しないという選択肢はなかった。高校時代、好きだった人。ただ想いだけを募らせて何も伝えられなかった人。こんなに時が経って、再会できたのだからきっとこれも何かの縁に違いない。震える親指で緑のマークを押して、無機質なコール音を耳に響かせる。

『もしもし、赤葦です』

 赤葦さんが電話に出るのが思いの外早くてすぐには上手く声が出せなかった。応答した声が少し固いのは、多分知らない番号からの着信だからだろう。

「もしもし、あの、苗字です」
『あぁ、苗字か』

 名前を名乗るとふっと空気が和らいで、声にも柔らかさが戻った。電話をかけることに必死で繋がったあとのことを全く考えていなくて、言葉が詰まる。お互いが様子を伺うように沈黙が続いて、帰宅途中なのか赤葦さんのすぐそばを車が通ったような音だけがこちらに届く。バクバクと激しく脈打つ心臓とじんわりと湿り気を帯びる手のひらをどうにもできず、兎に角何か話さなければと息を吸うと電話越しに空気が動くのを感じた。

『よかった。電話、してくれないかと思った』

 絞り出されたような声は少し震えていて、そのあと深い深いため息が聞こえてきた。その声を聞いて、高校時代の想い出が走馬灯のように脳内を駆け巡った。それなりに経った年月の中で過去の思い出として昇華していたはずの想いが息を吹き返し、初めて会った日の事を思い出した。

『連絡してくれて、ありがとう』

 会って直接声が聞きたいと思った。彼が作り出す空気に直に触れ、顔を見て、些細な感情の動きを感じ取りたいと思った。

「中々連絡できなくて、すいませんでした」

 この想いはちっとも昇華されていなかった。心の奥底でずっと埋火の如く緩やかに長く燃え続けていたのだ。
 好きだ。
 あの頃から変わらず、私は赤葦さんに恋をしているのだ。