卒業おめでとうございますと華やかに飾られた教室内にも、もう私と徹以外には誰もいない。美術部の後輩が描いた黒板アートをじっと眺めて、改めて高校生活を振り返る。制服が可愛いからというだけの理由で選んだ高校はちょっと背伸びした偏差値で入学当初は選んだことを後悔したけれど今となってはそれもいい思い出だ。教室の外では在校生たちが先輩との別れを終えて、普段通りの日常へと戻っている。遠くに運動部の掛け声を聞きながらそっと自分の机を撫でた。

「あっという間だったなぁ」
「そうだね」

 この教室にいたのは一年だけど、思い出は沢山詰まっている。友達とくだらない事ではしゃいだり、みんなで夜遅くまで残って文化祭の準備をしたり、体育祭で優勝した時はみんなでジュースを買って乾杯して盛り上がった。受験間近になるとピリピリした空気が流れたりもしたけれど、今日の最後のHRでは何人ものクラスメイトが鼻をすすっていた。
 そして何より、大好きな徹との思い出もこの教室に詰まっている。徹の部活が休みの毎週月曜日、ちょっとだけ遅くまで学校に残ってお喋りを沢山した。お小遣いを貰ってすぐの時はちょっと街中にデートにいったりもしたけれど、自販機で買ったジュースを片手に延々とこの教室でお喋りをすることの方が多かった。誰もいないのをいいことに、こっそりキスをしたこともあった。少女漫画で読んで憧れていた「カーテンに隠れてキス」も徹は叶えてくれたのだ。

「もう明日からここで徹と会えないのは寂しいなぁ」

 思えば徹に告白をしたのもこの教室だった。玉砕覚悟で回らない口を必死に動かして好きだと伝えて、徹から「俺から言おうと思ってたのに」と返ってきたときはあまりに信じられなくて自分で自分の頬を抓った。あまりに典型的な行動に徹は大笑いした後、慣れた手つき私を抱き寄せたのだ。あの時の制服越しに感じた徹の早い鼓動は忘れられない。

「寂しいって別に俺とはこれからも会えるでしょ」
「そうだけど、毎日顔を合わすことはなくなるわけじゃない?」
「お望みなら毎日会いに行くけど?」
「そんな暇あるならバレーしたいくせに」
「よくおわかりで」

 肩をすくめる仕草も気障ったらしいのにイケメンな徹だとかっこよく見えるから不思議だ。惚れた欲目もあるかもしれないけれど、何をしても様になるのが悔しい。

「名前のおかげで、この一年楽しかったよ」
「ちょっと、いきなり何?」
「名前に出会って、好きになって良かったなって話」
「バカじゃないの…」
「バカで結構。そんな俺も好きでしょ?」
「ばか」

 別に今生の別れでもないのになぜか寂しくて、悲しくて涙が次々と溢れてくる。せっかくいつも以上に気合を入れて時間をかけたメイクもこれじゃあぐちゃぐちゃになってしまう。

「何泣いてんの」
「徹に毎日会えないのが寂しい」
「お前、可愛い事言うのやめてくれる?」

 呆れたような声に「ごめん」とよくわからないまま小さく謝ると突然腕が引かれて、徹の腕のなかにすっぽりとおさめられてしまった。ふわりと整髪剤の香りと徹の匂いが鼻をくすぐって、それがまた涙を誘う。

「ちゃんと会いに行くから」
「うん」
「バレーが優先になるけど連絡もちゃんとする」
「うん」
「だから、お前は安心して俺の彼女やってればいいんだよ」

 勝気な表情の徹がぐっと近づいて、唇が掠めとられた。柔らかく、包み込むように二度三度と唇を重ねられて、ぎゅっと痛いくらいに抱きしめられる。

「俺はね、バレーと名前は一生手放さないつもりだから」
「それってプロポーズ?」
「どうかな」

 不敵に笑った徹の顔は腹が立つくらい整っている。こんなキザったらしいことが許されるのも徹くらいだろう。
 二人で顔を見合わせて笑ってから、ゆっくりと手を繋いで教室を後にする。この時の私は、大人になって再び足を踏み入れたこの教室で永遠を誓い、徹の言葉が本当だったとわかるだなんて知る由もない。


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