背後から聞こえる騒ぎ声にはしたないとわかっていながら舌を打つ。
ホームへ向かう階段を降りる人はまばらで部活帰りの中学生らしき少年の声がよく響く。
彼らと距離を取るべく位置を確認しようと振り返ってすぐ、ドンと肩に衝撃。
最悪だ。悲鳴を上げる余裕のないまま体は傾き、伸ばした手は何も掴めない。
これから受けるのであろう痛みを覚悟して目を閉じたら想像していたよりずっと柔らかな衝撃を背中に受けた。
ふわりと制汗剤らしきものの香りとほんのりとした温かさを感じて目を開ければ癖毛の少年のシュッとした横顔が視界に入った。

「危ないだろ。ちゃんと前を見ろ」

少し上で固まったままの中学生にかける声は低く、硬い。
「すいません!」と慌ててかけられた中学生の声にも「大丈夫?」とすぐそばからかけられた声にも答えられず茫然としているとゆっくりと体が起こされて助けてくれた少年が私の顔を覗き込んだ。
癖のある髪は黒く艶やかで、切れ長の瞳は気だるげだがそれがまた色気を醸し出していた。
もう一度ゆっくりとかけられた「大丈夫?」の言葉に頷き、感謝の言葉を口にするとホッとしたように表情を和らげた。

「間に合って良かった。あのまま落ちたら大怪我する所だったからね」
「ほんとに!ありがとうございました!!」

階段の中腹で勢いよく頭を下げる私に助けてくれた少年は「どういたしまして」と柔らかく返してくれた。
よくよく見てみると少年の着ている制服は見慣れたブレザーで、彼が梟谷の生徒である事を示していた。
生徒数の多い梟谷では同じ学年の生徒を把握するのも一苦労で、人の顔を覚えるのが苦手な私にとってクラスが違えばもうわからない。
見覚えがないか記憶を辿っても同学年か否かすらわからなかった。
でも、タメ口で話しかけられるという事は先輩なんだろう。
そう考えていると、少年(先輩?)は少し笑って口を開いた。

「苗字さん、だよね?」
「えっ?」
「違った?」
「ち、違わないです」
「良かった」

名前を呼ばれて、知られていたという事実に心底驚いた。
スポーツで表彰されるような生徒なら未だしも、私はただの帰宅部の生徒だ。学年をこえて噂されるほどの恵まれた容姿もない。
それなのになぜ、と混乱してうまく回らない頭で必死に言葉を続ける。

「なんで私の名前を知ってるんですか?」
「あぁそうだ、俺2年だから敬語いらないよ」
「え!そうなの?!って、だから私の名前!」
「誤魔化されてくれなかったか」

ゆっくりと階段を下りていく少年を追いかけながら声を上げれば前を歩きながら肩を揺らす。
時折こちらを振り返ってはくすりと笑みを漏らす姿は様になっていてなんだか悔しかった。

「ねぇ、教えてよ。知らないうちに名前知られてるとか怖いじゃん」
「そう?」
「そうだよ」
「そっか・・・」

適当な乗車位置で立ち止まって並ぶと、少年の背の高さがよくわかる。
首を目一杯あげないと顔をしっかりと見ることができないのだ。
私が乗るものとは反対の路線の電車がまもなく到着することを伝えるアナウンスが流れて、少年が電車が来るであろう方向を見る。
それでもこちらの視線は逸らさずじっと見つめると少年は口の端を持ち上げた。

「毎日、見てたから」
「え?」
「あの子可愛いな、声かけたいなって思いながら見てた。梟谷の制服だったから学校で会えば話せるかもって思って探した。だから名前を知ってた。声はかけられなかったけどね」

向けられた視線は射抜かれそうなほど真っ直ぐで強く、時が止まったような気がした。
ドクドクと自分の心臓の音がうるさく響いて、徐々に顔に熱が集まっていく。

「話すチャンスをくれた中学生には感謝しないとね」

赤葦京治と名乗った少年は肩にかかる私の髪を一房すくって風に遊ばせた後滑り込んできた電車の中に消えた。
扉の中から振られる手にも、程なくして滑り込んできた自分が乗るはずの電車にも反応出来ず、私がした事はしゃがみこんで唸るだけだった。


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