マネージャーの苗字名前は平凡を絵に描いたような少女だった。容姿もマネージャーとしての技量も学力も可もなく不可もなく。入部当初はドリンクの準備が遅れたり、タオルが少しゴワついていたりと不慣れによる失敗を繰り返しては先輩たちに怒鳴られていた。ひたすらに頭を下げて、部活が終わった後は遅くまで反省をして、彼女なりに一生懸命にマネージャー業をこなしていた。たまに理不尽な怒りをぶつけられることもあったが、それでも苗字は素直に頭を下げ、そのあとキュッと唇を噛み締めて泣かないように耐えていた。海も夜久も見るに見かねて手を差し伸べようとしたけれどその度に「出来るようになるまでは1人でやらなきゃ意味がない」と断っていた。
 そんな日々を重ねて今はすっかりマネージャーとしての業務に慣れ、俺たちにとって欠かせない存在となった。夏も真っ盛り。うだるような暑さに文句を零しつつ部活を終えてから二人で部誌を書き上げた。その時に部活ばかりで休みがない中で、一度でいいからプールに行きたかったなんて話す苗字を気まぐれで校内のプールに誘ったのだ。
 悪戯っ子のようにキラキラと瞳を輝かせて、こっそり忍び込んだプールサイド。部活ジャージを捲り上げ、鼻歌混じりに足先で水面を叩いて遊ぶ苗字の姿はまるで幼子に戻ったかのように楽しそうだ。

「見つかんないうちにとっとと帰るぞ」
「えー、もうちょっとだけ」
「そう言って何分経ったと思ってんだよ」
「いいじゃん、黒尾もやれば?気持ちいいよ」

 パシャパシャと水飛沫がジャージの裾の色を変えていく。街灯の光を受けてキラキラと輝く水面は幻想的でこの空間だけ切り離されたようで非現実的である。
 いつからだっただろうか、こんなにも彼女のことばかり考えてしまうようになったのは。好みのタイプだったわけでもなく、初めはただの仲間だと思っていた。けれど、共に全国制覇を目指して月日を重ねていくうちにいつの間にか恋に落ちていた。
 どこにいても、誰といても、目は彼女を見つけ出し、耳は彼女の音を拾う。帰り道で何度も水仕事で少し荒れた手を握りしめて歩きたいと願った。毎日話しかけるための理由を探してはくだらないことでも声をかけ、名前を呼ぶ声が何度でも聞きたくて、聞こえないふりをして何度も呼ぶように仕向けたりした。海や夜久にはいい加減はやく告白しろとせっつかれるが、立場は違えど同じものを目指す仲間として、青春を駆け抜ける日々もまた大切だった。それでも、募っていく想いは限りを知らず用意された器には収まるはずがなかった。
二人きりの放課後、まるで世界には俺達だけと錯覚させるような切り取られた空間。想いを溢れさせてしまうには十分すぎた。俺が込み上げてきた愛しさで胸が張り裂けそうになっているだなんて知る由もない苗字は、時折強く水を蹴り上げては楽しそうに顔を綻ばせている。そんな姿も堪らなく愛おしくて、自然と頬が緩む。
 思い立ったことを行動に移そうと一歩踏み出せば、「クロは臆病だね」と幼馴染が脳内で言った。リズムをとるように揺れる背中に近づいて気づかれないようにそっと手を伸ばし、小さな耳に掌を当てる。驚いて振り向こうとする頭を無理矢理固定して前を向かせたまま秘めておくことに耐えられなくなった言葉をできる限り小さな音で紡いだ。

「名前、好きだ」

聞こえていてくれるな。でも、ほんの少しでいいから気づいてくれ。隠しきれない愛に。溢れんばかりの情熱に。確証を欲しがり、今の関係を壊したくなくてあと一歩の勇気が出せない俺のこの想いに。


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