通話時間15分38秒

深夜1時。

寝苦しい夏の夜、みおはとうとう窓を締め切ってクーラーをつける決断をした。
虫入ってきたら嫌だし、暑いし。
体だけは冷やさないようにとタオルケットをかぶった。
いつもは寝苦しくても練習の疲れで朝まで熟睡できるのに、目が覚めてしまったのは悪夢を見たからだ。自分よりも夜ふかしな家族もすっかり寝静まっているこの時間、物寂しくなってクッションを抱き寄せた。

隆也、もう、寝てるよね…。

スマホの画面はやけに明るく点灯し、青白くみおの頬を照らした。慌てて明るさを極限まで下げて、スマホを開いてしまったことを後悔した。すっかり目が覚めてしまったではないか。
仕方なしに阿部隆也にメッセージをひとつ。無駄な通知は送らないようにと、ひとつだけ。

『あの日の夢を見た』

榛名元希が、己の設けた球数制限であっさりとマウンドを降り、シニアに入ってから投球経験のなかったみおが外野手用のグローブのままマウンドへ。負けこそ付かなかったものの、結果は明白だった。
脳内のイメージを振り払いたくてそっとベッドを降りて水を汲みに行った。どこからともなく入り込んできた街灯が、きらきらと水面を照らす。飲み干すと跡形もなく輝きを失うそれを見ただけで、どうしようもなく泣きたくなった。
ベッドに戻ってスマホを見る。充電は100%になっていた。

『不在着信:阿部隆也』
『起きてたら電話してこい』
『俺も寝れねー』

じわり、と胸に温かい何かが広がった。迷惑とかそんなことを考えるまでもなく、阿部隆也をコールする。

『…おう、もう寝るか?』
「ううん、まだ寝れなさそう。」
ベッドに体を埋めて小声で話す。家族を起こしてしまわないように。
『なんだ、意外と元気そうな声だな。泣いてるかと思った。』
「泣かないよ。もう何回この夢に泣かされたと思ってんの?」
『何回も泣かされてるから心配になったんだろ?…ったく……、大丈夫か?』
うん、とは言えなかった。胸いっぱいに溢れそうになる感情をどう説明すればいいのか分からなくて、少し押し黙った後、ゆっくりと息を吐いた。
なんと形容するのか、言うなれば切なさのような、後悔の色を孕んだ感情。胸が張り裂けそうとはまさにこのことだった。
「…もし、もしもだよ?こんな話いまさらしたってどうにもならないことは分かってるけどね?もしも、私がシニアでもピッチャー続けてたら、あの後勝ちに繋がったのかな?」
ずっと胸に秘めて言わなかったこと。高校生になってまた投手の機会が与えられて、もしこれがシニア時代だったら、今の調子でシニアでも投げていたら。みおの脳内はそればかりに埋め尽くされるようになっていた。
『そう、だな…。今となっては、終わっちまったモンはしゃーねーとしか言えねーけど。その時みおが万全の状態で投げれてたら。結果がどうであれ、俺もみおも、悔いは残らなかったんじゃねーの?』
感覚の掴めないままの登板。泥の中を泳ぐような息苦しさとやりづらさ。ミットに吸い込まれるビジョンの見えない投球。ぐっと歯を食いしばって蘇る記憶に耐えた。
阿部はみおの中に渦巻く感情を『悔い』と名付け、それをともに背負おうとしてくれている。
この場に彼がいたなら、胸に飛び込んで、抱きすくめられて、そのまま離れやしないのに。いつまでも捨てきれない感情を笑うこともしない彼を。
「私ね、ほんとは、ピッチャーやりたかったんだ。」
ああ、言ってしまった。
溢れたらきっと止まらなくなってしまうから、ずっと言わずに黙っていたのに。
『…あぁ、なんとなく、気づいてはいたけどな。』
「榛名に敵わないから諦めて、でもそんな風に逃げなかったら良かったって、今すごく……後悔、してる。」
そっか、と阿部が言うと、少しの間沈黙が流れた。
『あの時俺は、なんでもっと引き止めなかったのかって思ってた。榛名なんかよりみおのほうが、ピッチャーとしても好きだったのに。みおがいれば勝てた試合だってたくさんあったのに。後悔、してた。』
ゆっくりとまばたきをすると、目に溜まっていた雫がぽろりと落ちた。それを皮切りに、みおの目からは静かに涙がこぼれていく。
『でもさ、あの時お前以上のセンターがいなかったのも事実だし、外野で遠投してたから緊急登板もなんとか形になったわけだし、結果としては良かったんじゃねえかなって思う。』
「…うん。」
『納得、いかねぇ?』
頭では、理解できる。けど、取り戻せない過去がある。
みおはずっとそれを引きずっていた。
『じゃあこう言ったらいいか?…いまみおと同じ高校に入れて、公式戦には出れないけどバッテリーみたいに練習できる。また同じチームで野球できンだって思えるのがめちゃくちゃ嬉しい。』
阿部はひと呼吸おいて続けた。

『俺は昔からずっと、みおが最高の投手だって思い続けてる。これから先、どんなピッチャーに会おうとも、それだけはきっと変わらない。』

もう、みおの目からは涙が止まらなくなってしまった。結局それが聞きたかっただけなのかもしれない。なによりも阿部に認められることが、みおの心の救いになっていた。
「そんなこと言って、三橋くんはどうなるの…?」
『三橋ぃ?三橋にはみおを目標にしてほしいくらいだな。…まあ、いいピッチャーなんかそこらじゅうにいるだろ。その中でもお前が特別ってこと。わかったか?』
うん、と小さく頷いた。
「隆也がそう言ってくれるなら、それでいいや。」
うまく説明できないけど。確実に心は軽くなった。
『こんなんでいいのかよ…。将来口車に乗って変な宗教に引っかかんなよ?』
「隆也が言ってくれるから良いの。宗教にはかかりません。」
へいへい、と気の抜けた返事が聞こえた。張り詰めていた負の感情がゆっくりと溶け、安心感と睡魔が全身に行き渡っていく。
『眠くなってきたな…。みおは?寝れそうか?』
「ん、わたしもねむい…。」
『そか、じゃあそろそろ切るぞ?体冷やすなよ?』
うん、と言えたかどうかは確かでない。おやすみ、と優しい声がして、通話終了を知らせる音が鼓膜を震わせた。








この時間で、君は少しでも救われただろうか。




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