あの日
銀時のいう、"あの日"のことを、みおは思い出していた。言葉にできない断片的な記憶。まぶたの裏に浮かび上がる赤にモザイクをかけるように、ぎゅっと目を閉じる。
「話すっつってもなぁ…。俺が話せるのはあの日の結末だけだぜ?発端がなんだったのかなんて知らねぇ。」
後のことは直接みおに聞けと言わんばかりに、銀時は幼子を見やった。みおは怯えたような瞳で銀時と視線を絡め、そして、小さく頷いた。覚悟はできているらしい。
「構いやせん。何を聞いたって、俺ァこいつを離す気はさらさらねェもんで。」
総悟はそっとみおの背を撫でる。それだけで場の雰囲気が和らいだように錯覚した。
はあ、と小さくため息をこぼした銀時は、そう遠くない過去に思いを巡らせた。
なんてことはない普通の日。取り立ててどんな日だったかなど、思い出せることはなにひとつない、そんな変わらない日常。銀時は散歩と銘打って、漠然と街中を歩いていた。
万事屋にいてもなぁ…ガキどもがうるせーし…、かと言って家を空けるのもなぁ…。
ぽつり、と頬に冷たいものを感じて空を見上げる。
「降ってきやがった…。」
みるみるうちに加速する雨足に舌打ちをひとつ、銀時は早足で万事屋への道を歩いた。傘などあいにく持ち合わせていない。今朝の天気予報は雨だったか。いや、確かギリギリ降らないのではなかったか。
ザァザァと勢いよく降る雨にたまりかね、いったん出店の軒に雨宿りを乞おうとした、その時。
ガタンッ
と、一際大きな音が人のいなくなった街に響いた。普段なら気に求めないような物音。しかしその時の銀時には、その音が無性に気になったのだ。
ガタン、パリンッ
音のする方に足を向けると、鳴り止まない音に加えて、ガラスの割れる音。
「なんだァ?痴話喧嘩か…?」
前髪から滴る雫を、髪の毛ごと掻きあげた。痴話喧嘩なら首を突っ込まずにさっさと帰ろう。音のする方を一瞥すると、そこには腰の抜けたように濡れた地面に尻もちをつく幼女。幼女の視線の先を見やり、銀時は目を細め、愛刀に手をかけた。
「DVは…感心しねぇ、な。」
幼女に歩み寄り、腰をかがめて抱き寄せた。
「どれがお前のとーちゃんとかーちゃんだ?」
目の前に広がる血の海から目を逸らさず、幼女はただそこにいる。逸らさないのではない、逸らせないのか。
びくっと肩を震わせた幼女は、されるがままに銀時にしがみつき、小さな指で2人の影を指差した。
ひとつは、こちらを背にして立ちはだかる女性。まとめてあったであろう髪は無残にほどけている。短刀を手にして、決してこちらに刃が向かぬようにと気を張っているのが分かる。母親であろう。
そしてもうひとつは、部屋の奥、床の間に折りたたまれた、死体。姿こそ血に濡れて不明だが、人のなりではない。おそらく、天人。
「あ、ぅ……、え、れ、」
小さく紡がれた音。確かに銀時には、たすけてと聞こえた。
「…わりィ。とーちゃんは、助けられっか分かんねェ。」
そのまま銀時は、凄惨な戦場へと切り込んでいった。