例えば、例えば、ショートケーキのようにあまやかな世界で生きてみたいと願ったことはないでしょうか。誰しもに無条件に好かれて、愛でられて崇められて奉られて。自分自身世界の隅から隅までを粉砂糖をまぶしたみたいに真っ白だと認識できる、そんな妄想も甚だしい世界が。在ったらいいなあと、少しでも思ったことはないでしょうか。そうしてそれを、少しでも実現しようとしたことは?大抵のひとが馬鹿馬鹿しいと吐き捨てる、甘美で幻惑な虚実を。傷付けるのはいや、だけど傷付けられるのはもっといや。やさしさで構築された世界で埋没して生きていたいと。そんな思想を、幻想から現実に引っ張り出したらやっぱり辻褄は合わなくて、やさしくなんてないの、傷付けてしまうの。それでも、それでも、戻れないとわかりつつも走り出したこの脚は速度を緩めたりしなかったのです







「あの、俺、その ――っ好きです!」
「うん、私も大好き」


肩を少し竦めて、ほっぺたを桃色に染めあげて。然もしあわせそうにはにかめばほら完ぺき。大切なものを掬い取るかのように私を見つめる彼の瞳のなかに、策略とか謀略だなんて考えは微塵もなくて。成功、清浄、大正解。私はまた私の望む世界に一歩近付いて、満たされなくちゃあいけないの。やさしくしてね、あまやかしてね、酷いことはしないでね。それだけ守ってくれたなら、愛しげに私を抱き締めるあなたもやさしい世界に閉じこもることを許してあげる。そんな裏側を隠して子猫のように生ぬるい心臓に手をかければ、みんな緩やかに墜落するのに。どうして、世界はやさしくなくて。いつだって邪魔をして。不条理ではないのでしょうか、零れた言葉はだれも拾ってくれやしない


「まだ、やってるの。いい加減きみも飽きないね」


ふるり、彼の長く伏せられた睫毛が揺れて、でもそんなこと見て見ぬフリしなくちゃいけないの。鈍い警鐘が鼓膜を震わして、なんのこと?無垢じゃないくせに無知のようにくりりと目を丸めれば、ようやく開かれた彼の瞳には呆れと感嘆ともうひとつ、薄い膜を張った不透明な感情がぐちゃぐちゃに入り交じっていて読み取れない


「僕にそんなあからさまに計算し尽くされた仕種、通じると思ってるの」
「まさか。だけど万が一吹雪くん以外のだれかに見られてもいいように、細心の注意を払い掛けてるだけですよ?」


いたずらっ子みたいに微笑んで、だけど彼には通用しない。私のことをかわいいともやさしいとも言わないし、いつだって現実をちらつかせてくるいやなひと。だけど周りの子たちは私をまるで聖母さまと同じように認識しているから、うそ、そうやって刷り込んだから。私自身、嫌いなひとなんかいないよ。みんな好きだよ。平等だよ、天秤になんか掛けられないよ。だけどね、あなたは一等大事なの。そうして魅了して、だから。うそだよ、本当は嫌いなひとなんかたくさんいるよ。世の中は不平等で憎たらしいよ、私以外は誰だってみんなどうでもいいよ、だなんて言えないの。だから笑ってみせましょう、どんなに苦手な彼の前でだって。そうすればやっぱり私にも嫌いなものがあるんだなんて認識はなくなって、嗚呼、あの子はやさしい子なんだと。はやく錯覚してくれないかなあ、それだけを望んでここまできたの。馬鹿げてる、ちいさく口に出した声は残念ながら聞こえちゃったよ。ねえ、吹雪くん


「世界に愛し愛されたいと思う、私のどこが馬鹿げてるの。私のなにが気に食わないの」


緩やかにつり上げた口角だけは崩さずに、矢継ぎ早に言葉が飛び出した。どうして、なんで。やさしくしてよ、あまやかしてよ、泣いちゃいそうだよ。埋もれたいの、最期の最期は幸福で窒息死しちゃいたいの。なのになんでなの、なんでそんな目で私を見るの。馬鹿げてないよ、あまやかしてよ、やさしくしなさいってば。がりがりと世界に爪を立てるような耳鳴りにうっすらと汗が滲む


「きみ、異常だよ」
「吹雪くんこそ、私の世界じゃ異端だよ」
「どうしてさ」
「私のこと、あまやかしてくれないから」


だったら、排除しなきゃ。いらないの、私のこと愛してくれない全部。痛いのなんてしらない、哀しいのなんていらない、寂しいだなんて飲み込めない。君ってさあ、小馬鹿にしたような声が耳に入り込んで気持ちが悪い。いやだ、いやだ、淘汰しなくちゃ。いらないの、知りたくないの、わがままって言わないで。やさしくしてよ、何度私に言わせるの


「可哀想だよね、救いようのないくらい」


ちらり。飛び出したのはなんだったのでしょうか。目の前を颯爽と切り抜けた白うさぎを追いかけるように、私も走り出せたなら。動けないの、縫い付けられたみたいに。するするとまるで林檎の皮でも剥くみたいに彼の口から落ちる音色がいたいの。馬鹿げてる、ちがう、それは吹雪くんの方でしょう?開きかけた唇は戦慄くだけで、じゃあ間違い探しでもしてみたらどうなのよ


「彼氏が何人いたって、きみが何股かけてようと構わないけどさあ。それってなんの意味があるの?」


だって、そうしないと。私は愛されていたいの、一分でも、一秒でも、少しでも長く深く。だけど人間だもの、ひとりがひとりを四六時中気にかけるなんてできるはずがなくて。だったらそうだ、これしかないじゃない。数で愛を補うしかないじゃない。常にだれかの心に私がいるためには、私はたくさんの人間の懐に潜り込まなくちゃダメじゃない。ねえ、好きよ。こんな薄っぺらい言葉ひとつで世界はやさしく、そうして色を無くすんだよ。ねえ、知ってた?こんなに簡単に人間ってうそが吐けるんだよ


「ねえ、吹雪くん」
「どうしたの」
「好きだよ」
「……悪い冗談は止めてくれないかな」


ゆうらり、揺れたのが見えちゃった。なんだ、なんだ、なあんだ。吹雪くん、吹雪くんきみってさあ。その続きはあんまりにもやさしくないから言えないけれど。私をあまやかしてよ、可愛がってよ、でろでろに溶かしてみせてよ?ねえ、吹雪くんそうしたら


「僕、きみのそういうところ大っ嫌い」


ふうん。でもいいんだ、もうわかっちゃったから。つやりと白い瞼の裏に隠された眼球に宿るのは、呆れと感嘆とそれから最後にもうひとつ。仄かな恋情が入り交じっていると気付けたのならほら簡単。蝶々結びでもほどくみたいにするりと抜けた。ねえねえ吹雪くん、私はみんな大切で、愛しくて、あまやかしてくれるなら私の世界の一部にしてあげられる。え。周りくどいって?だからさあ、八番目で良かったらお相手しましょうかってお誘いじゃない、馬鹿だなあ





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