voice of mind - by ルイランノキ


 声涙倶に下る1…『新しい人生を歩み出す』

 

 
朝起きたときからずっと、母のすすり泣く声がしていた。
何度も何度も、「本当に行くの?」と訊いてくる。そのたびに私は「もう決めたことだから。心配しないで」と丁寧に答える。
そして、私よりも遥かに年上になっていてすっかりおじさんになっていた弟は、いつまで経っても私にどこか他人行儀だった。
 
「どうして……? あなたにはずっとここにいてほしいのに」
 
数年ぶりに帰った実家には、大好きだった祖母はおらず、仏壇に写真が飾られていた。ついでに父の姿もなかった。母は私の知っている母ではなかった。随分と白髪も皺も増えて老け込んでいたし、父とは離婚して、今では再婚相手と暮らしていた。
実家の玄関をノックしようとしたときに、家の中から笑い声が聞こえてきた。私がいなくなったときの悲しみはとっくの昔に消え去ってしまったように、今、目の前にある幸せを堪能しているようだった。
そこに私はいらないのだと感じた。
それでも、せめて顔が見たい、私は生きていて元気だということを知らせたくて、どきどきしながら玄関のドアをノックしたんだ。はじめは気づいてもらえなくて、もう一度ノックしなければならなかった。
玄関を開けたのは母の再婚相手の男だったから、互いに目を合わせ、「どなたですか?」と口に出してしまった。「母はいますか?」と訊くと、男は首を傾げて不審者を見るような目を向けて来た。
そこに母がリビングから顔を出してきて、私を見て絶句したあと、両手で顔を覆ってわんわんと泣き始めた。男は母に駆け寄ると、戸惑いながら背中を擦って私と母を交互に見遣った。そして、話を聞いていたのだろう、「君、もしかしてライリーちゃん……?」と言ったんだ。
私が一番に名前を呼んでほしかったのは母なのに、知らない男に呼ばれてしまった。そして、その名前を聞いた弟も顔を出した。正直、また知らない男がいると思った。それくらい弟は成長していたのだ。私が知っている弟は13才で私より3つ年下だったのが、私が本の世界へ入り込んでから20年が経ち、33歳の小太りなおじさんになっていたのだから無理もない。
 
母は涙で震えながら私に近づき、その手で私の顔に触れた。しわくちゃな手。
 
「お母さん……」
 私がそう呼ぶと、母は私を痛いほど強く抱きしめた。
 
これまでの経緯をゆっくりと説明する時間があった。そのときに再婚相手のことや魔法の本を作った祖母が他界したことを聞いた。
私は母と話をしながら、喜びの半面、居心地の悪さを感じていた。誰も私に対して「今更帰ってこられても困る」というそぶりも言葉も出していないものの、この家の中に流れている空気が私をよそ者としているような気がしてならなかった。
 
だから決めたんだ。この家を出る、と。
 
「お願いだから、おばあちゃんのこと責めないでね」
 私はそう言いながら、玄関で靴を履いた。
 
ここは私が生まれ育ったはずの家なのに、すっかり他人の家になっていた。数日泊まってみたけれど、やっぱり他人の家に泊まっているような違和感は無くならなかった。今後この家で新しい父親と4人で暮らしていく自分を想像することはできなかった。
なにより悲しかったのは、仏壇に飾られている祖母の写真の隣に、私の写真があったことだ。私はまだ、死んでいないのに。
 
「えぇ……ねぇ、他に必要なものはない? 買ってくるわよ」
「特にないよ。十分」
 
昨日、家を出ることを伝えたら、酷く反対された。新しい父親にもだ。だからちょっと嘘をついた。私を本から救ってくれた人たちが、私を必要としてくれているの、って。助けてくれたからどうしてもお礼がしたいと伝えた。もう決めたことだからって。
私はこの家にいたくなかった。
母は納得はしていなかったものの、着替えなど必要なものを買い揃えてくれた。旅人が使っているというシキンチャク袋というものや、防護に優れたもの、そして武器までも。
 
「連絡してくれる……?」
「街に立ち寄ることがあればね」
「これ……契約しておいたから」
 と、母がポケットから出したのは、携帯電話だった。
「え……買ったの?」
「これ、遠くにいてもいつでもどこでも電話が出来るんですって。お店の人にうちの電話番号入れてもらったから……」
「…………」
 正直ありがたい。
「お金の心配はしないで? お母さんが払うから」
「でも……」
「お願い。親らしいことさせて……?」
 涙目でそう言われると、お言葉に甘えるしかない。
「うん、ありがとう」
 と、携帯電話を受け取った。
「いつでも帰ってきていいから。ね? 体に気をつけて。どうか無理しないで頂戴」
「わかってるって」
 
私はシキンチャク袋を腰のベルトに掛けて、携帯電話はズボンのポケットに入れた。
 
「じゃあ……行ってきます」
「帰ってきてちょうだいね。たまにでいいから……」
「うん、じゃあ、またね」
 帰ってきてちょうだい。それって、本心なのかな。
「気をつけてね、行ってらっしゃい」
 
涙を流す母を見ながら、明日にはまた3人で笑ってるんだろうな、なんて思ってしまう。
弟とはほとんど話さなかった。向こうが話したがらなかったから。冗談で「彼女でもいんの?」って訊いたら、若干引いていたっけ。33にもなったのなら、大人として対応してもらいたいものだ。でも、姉だと思っていた人が失踪して、20年ぶりに帰ってきたら若いままで……そりゃ戸惑うよね。
 
私は家を出て、街の外へと歩き出した。
アールさんたちはどうしているだろうか。連絡してみようか。それか、お金も沢山貰ったからこのまま別の街にでも行って一人暮らしを始めようか。でも、アールさんたちに恩返しがしたい。
 
「迷惑だったりするのかなぁ」
 
戦闘力は正直無い。自分はどれだけやれるだろうか。
そうだ、と思いつく。VRCに行ってみよう。自分の腕を確かめてみよう。あまりにも酷ければ彼女たちの足手まといにしかならないから、仲間に入れてもらうのは諦めよう。
 
ライリーは一先ずここから一番近い町の、VRCに行ってみることにした。
 

[*prev] [next#]

[しおりを挟む]

[top]
©Kamikawa
Thank you...
- ナノ -