ル イ ラ ン ノ キ


 因 果 応 報

 
因果応報。俺はこの言葉が昔から大嫌いだった。
この言葉は嫌な目に合わされた側が、「悪い奴には天罰が下される」と信じ込んで気持ちを落ち着かせるためにある言葉にすぎない。
 
昔、同級生をいじめていた男が事故に合って足を骨折した。いじめられていた奴は「ざまあみろ。天罰が下ったんだ」と言っていたが、因果応報でもなんでもない。良い行いを続けている人間にだって生きていれば良いことも悪いこともあるのだから、骨折することだってあるだろう。それを被害者が勝手に因果応報だと言ってその言葉は実際に起こりうることなのだと思い込んでいるだけだ。そうすることで報われるから。

信じなきゃやってられないもんな。被害者の為の慰めの言葉。因果応報──

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「仁史(ひとし)、ここにいたの? 帰りが遅いから心配したじゃない」
 コンビニの前にいた俺を迎えに来たのは母親だった。
「何歳だと思ってんの。俺もう17なんですけど」
 と、手に持っていた缶コーヒーを飲んだ。
「そうだけど……」
 
母親がいつまで経っても俺を子ども扱いして、いつまで経っても子離れ出来ないのには原因があった。
今から9年前、隣の家で殺人事件があった。隣には俺の同級生の女の子が住んでいて、その父親が強盗に入ったホームレスによって殺されたのだ。同級生の女の子は怪我もなく無事だったが、子供を狙った事件ではなかったにしろ、隣の家でそんな事件があっては親も過保護になるものだ。
 
「飲む?」
 俺はコンビニの袋からもう一本、缶コーヒーを取り出して母親に渡した。
「いいの? ありがとう」
「あんま心配すんなよ」
 
あの事件があったのはちょうど9年前の、2月の始め──今日だった。この日になる度に俺はあの事件を思い出しては物思いに耽っている。もしかしたらそれを母も知っているのかもしれない。だから俺がトラウマにでもなっていると勘違いして心配するのかもしれない。
トラウマなんか、あるはずがないのに。
 
「帰ったら夕飯食べるでしょ?」
 と、並んで帰り道を歩く。
「うん、腹へった」
「今日は寒いからお鍋にしてあるから」
「なに鍋?カニ鍋?」
「そんな高いもの買えないわよ」
 と、母は笑う。「チゲ鍋です」
 
──なぜならあの事件は、
 
「ラッキー。あったまりそう」
「今年は蟹送って来ないわね、北海道のおじさん」
「催促したら?」
「出来るわけないでしょ」
 
──俺が起こしたのだから。
 
「カニ送って下さいって」
「馬鹿言わないの。お返しするのも大変なのよ?」
 
同級生の女の子の体に痣があることを、俺は知っていた。
昔公園のトイレで泣いているところを偶然見掛けて声を掛けたら、傷と痣だらけの体を見せられた。父親がやったと言って、泣いていた。警察に行きなよと言うと、行っても意味がないと叫んでまた泣いていた。
 
「なんで意味ないんだよ……」
 そう訊くと、女の子は涙を拭いてうつむいたままこう言った。
「いつも優しくしてくれる警察官のおにいさんにね、話したの。そしたらね」
 
その子の父親は警察庁長官だった。だからどんなに叫んでも助けてはもらえなかったと言う。
意味がわからなかった。小さな女の子の命よりも自分の立場を守るような連中ばかりで、大人ってクソだなと思った。
だから、殺すことにした。
 
「いんがおうほうって、知ってる?」
 あの時その子から教わったのがその言葉だった。
 
彼女はその言葉を、頼りない警察官から貰ったらしい。でも、信じてはいなかった。
 
「本当にバチが当たるなら、バチが当たってるとこ見たい……。私が苦しむところを見ながら笑ってたから、私もお父さんが苦しむところ、見てやりたい。謝ってくれた一番いいけど、許せないと思う」
 
するりと俺の口から出た言葉は、「見せてあげようか」だった。
 
「え?」
「バチが当たるところ。うまくいくかわかんないけど、大人は金に汚いことはよく知ってるからさ」
 
それから俺は家に帰って、親のへそくりを奪った。数日前に偶然見つけていたもので、茶封筒には11万円札が10枚入っていた。
それを持って向かったのはホームレスのたまり場だ。すぐに行動には出さなかった。自分が子供だってことはよくわかっている。金だけ奪われるのは避けたかった。
数日間に渡って通い続け、あるとき一人のホームレスが自殺しようとしているところに出くわした。今しかない、こいつしかいないと思った。
 
「おじさん」
「……なんだよ。見せもんじゃねーぞ」
 
橋の上で、身を乗り出そうとしていた。
 
「死ぬんだったら、最後に人助けしてくれない?」
「はぁ?」
「友達を助けてほしいんだ」
「ケッ。お前が助けてやれよ。俺は人助けなんかしねぇ」
「じゃあ人殺しは?」
「…………」
 男は怪訝な表情を浮かべてつかつかと歩み寄って来た。
 俺は怯むことなく言った。
「10万渡すから、殺してきて」
「10万?」
「親が隠してた金、持ってきた」
「見せてみろ」
「おじさんのこと信用してないから無理」
「……しっかりしてんな。けどたった10万で人殺しの依頼か」
「どうせ死ぬつもりなんだろ? ちょっと遊んでから死ぬくらいの金はあると思うけど」
 
男は俺の前でしゃがみ、目の高さを合わせた。
 
「坊主、なにがあったのか話してみろ」
「相談しに来たんじゃない。依頼しに来たんだ。無理なら他の人を探す」
「無理だとは言ってない。理由が知りたい。理由次第では受けてもいい」
「ほんとに?」
「まだ人生のちょこっとしか生きてねぇガキが人殺しの依頼をしてくるくらいだ。それなりに理由があるんだろう?」
 
俺はその男に全てを話した。その辺の警察官より頼りになる。その辺の警察官より正義感があった。奴は、俺の依頼を受けて、あの子の父親を殺した。
俺の金は受け取らなかった。親に返しておけと言って、男は自殺した。
だから、俺があの事件の計画を立てた張本人だということを知っている人は誰も知らない。あの女の子だって、俺が計画したという証拠は持っていないはずだから。
 
そして事件が落ち着いた頃、隣に住んでいた彼女は引っ越し、連絡が取れなくなった。でも連絡を取る必要などない。用がないからだ。引っ越したと聞いて寂しいという感情も湧かなかった。
彼女と最後に会ったのは引っ越す3日前だった。会ったというか、すれ違っただけだが。
 
「因果応報」
 彼女はすれ違いざまにそう呟いた。
「え?」
「信じた」
「…………」
 
因果応報、ね。俺はこの言葉が昔から大嫌いだ。
そんなもの、存在しない。世の中そんなうまく出来ていない。出来ているなら見せてくれよ。真面目に生きてきた人間が地獄に落とされそうになっているのを見たらこう言うのか?「前世で悪い行いをしたんだろう。その制裁がまだ済んでなかったんだ」
──馬鹿馬鹿しい。
 
「母さん」
「ん?」
 
2月の冷たい風が通り抜けてゆく。
 
「今日は俺が皿洗うわ」
「なに急に。めずらしい」
「気が向いたときにしかしないけど」
「じゃあお言葉に甘えちゃお」
 
俺への天罰はいつになったら訪れるんだろう。
あれを悪い行いとして判断し、因果応報が存在するというのならば、もうそろそろ訪れてもいいんじゃねえの?と思いながら、今年もなにもなく通り過ぎていく。
 

end - Thank you

お粗末さまでした。150401
修正日 220429

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©Kamikawa
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