ル イ ラ ン ノ キ


 なれの果て

 
高層ビルの窓から見えた景色は、全てが灰色だった。
 
世界は救われた……と、言えるのだろうか。
私が知っているハッピーエンドは、こんなんじゃない。
こんなに息苦しく、寂しい景色が広がっているハッピーエンドなんて、
私は認めたくない。
 
「君、大丈夫?」
 
背後から声を掛けられた。力なく息を吐き出すような声で。
 
「あなたは?」
 振り返ると、10代半ばくらいの男の子が立っていた。着ている服も、まだ若いその肌も髪も、黒い煤と死灰を纏っている。
「あ……すいません。僕は、大丈夫です……」
 謝ったのは、振り返った私が思っていたよりも年上だったからだろう。
「そうは見えないけど。……みんな。」
 
みんな。みんなって……一体、どのくらいの人間が生き残っているのだろう。
高層ビルから見える景色に、人の気配はない。見えるのは風に吹かれて舞い上がる灰だけ。
 
「さっき、赤ちゃんを抱えてる女の人がいました。ビルの前で」
「赤ちゃん……」
「はい。でも、自分の子供じゃないって言っていました。赤ちゃんの母親は、瓦礫に押しつぶされて死んでいたそうです……」
「そう……」
 
助けたところで……。そんな言葉を思わず口走りそうになる。
 
「僕たちはこれからどうなるのでしょうか……」
「さぁ……私が知っているわけがない」
「そう……ですよね」
「ごめんね。ちょっと、私もいっぱいいっぱいで、優しく対応する余裕がない」
「いえ……」
 
ヒーローは、どこにいっただろうか。
ヒーローは、どこでこの景色を見ているだろうか。
ヒーローは、私たちの前に戻ってくるだろうか。
 
こんな世界になってしまっても、星の未来は守られたと、思っているのだろうか。
 
そもそもヒーローだったのだろうか。
戦争を終わらせたのはあの人たちだったけれど。
 
「神様は、いないんですかね」
 少年は窓際に立っている私の隣に移動して、窓の外を見遣った。
 
空は地上とは異なり、変わらず青く澄んでいる。
青い空が、色を失った大地を見下ろしている。白い雲が傍観者のようにただただ静かに上空を流れている。
 
「神がいたとしても、人間だけをえこひいきにしたりはしないだろう」
「…………」
「この星には沢山の命があった。肉眼では見えない生き物も含めれば本当に沢山の……生命体が存在し、私たちと共存していた」
「……はい」
「それらを殺したのはまぎれもなく人間だろう。この星は人間のためだけにあるものじゃないのに、人間は身勝手で、最低だ。未知なる力を持った人間は、神から与えられた力だと誇らしげに笑う。『神から選ばれたのだ』と汚い歯茎を晒して笑う。『神に最も近づけたものが世界を制するのだ』と、勝手に物語を作って遊んでいた結果がこれだ」
「…………」
 少年は口を閉ざし、視線を落とした。
「でもやっと、戦争は終わった」
 
私は窓に背を向けて、部屋を出た。少年が後ろからついて来る。
 
「あの……」
「なに」
「一緒に……いてもいいですか」
「……別にいいけど」
 
これからどうなるかなんて、誰も知らない。
暴走した人間たちを排除すれば、全てが元通りになると思っていた。
枯れ果てた大地は青々と色づき、色とりどりの花が咲き、植物の香りを乗せた風が優雅に踊る。人は目に輝きを取り戻し、笑い合い、穏やかな日の光を浴びながら未来を反映している空を見上げる。
そう思っていた。
 
「お姉さん、名前なんていうんですか? 僕は、カルテットっていいます」
「カルテット?」
「両親がとある四重奏団のファンで……そのコンサートで出会ったそうなんです。だからって、変ですよね」
 と、少年ことカルテットは笑う。
「そんなことはない。私は……アミル」
「アミル……さん?」
「好きに呼べ」
「じゃあ僕のことは呼び捨てにしてください」
「はじめからそのつもりだ」
「あ……はい」
  
エレベーターは動かない。高層ビルは傾いていた。それでも高い場所から現状を見たいと、一段一段上がってきた。本当は屋上まで行きたかったが、途中から瓦礫で塞がれていて進めなかった。
上がってきた階段を下りていると、40代くらいの男性と出会った。私たちを見て、目を丸くした。彼も上から世界を見たいと思ったのだろう。
 
「君たち……大丈夫かい? 怪我は?」
「ないからここまで上がってきた。途中から塞がれていてのぼれない」
「そうか」
 
すると、また階段の下から誰かが上ってくる足音と声が聞こえてきた。
皆、このビルに集まってくる。崩れた建物が多い中、ひときわ目立っていた高層ビルだ。高い場所から全貌を見たいという思いと、傾いているとはいえ、耐え抜いたこのビルに、希望を抱いているのかもしれない。
 
「君たちはこれからどこへ行くんだ?」
「さぁ……どこへ行けばいい?」
 答えられる者などいないだろう。
「そうだな……。だが、なるべく人がいる場所にいたほうがいい。こういうときほど、協力し合うべきだ」
「そうだな」
 
軽く会釈を交わして、別れた。暫くしてまた違う人とすれ違う。その度に「大丈夫?」と訊かれる。カルテットはまだ幼いし、私は23だ。自分よりも年を重ねている大人から「大丈夫?」と聞かれる。大丈夫ですと答える。なにが大丈夫なのかわからないまま。
だって、「大丈夫じゃないです。助けてください」と言って、助けられる人がいる? 皆、憔悴しきった顔で、今後どうすればいいのか、自分の未来もわからないのに。
 
「アミルさんって、いくつなんですか?」
「私は23だ」
「……家族は?」
「…………」
 
高層ビルから出ると、空が眩しかった。そして風が霧となった灰を巻き上げ、思わず袖で口を塞いだ。安心したのは、思ったよりも人がいたことだ。
でもそれ以上に、死体が転がっている。誰のものかもわからない左腕が、足元にあった。
 
「さぁ。死んでるかもね」
「……最後に会ったのは?」
「もう何ヶ月も前だ。いや、1年は経っているか」
「どうして?」
「別々に暮らしていたからな」
「でもっ……こんなことが起きて、会いに行ったりしなかったんですか? 大規模な戦争になるって散々ニュースで言ってて、それなのに会いに行こうとか思わなかったんですか?」
「お前は?」
「え……」
「お前の家族は?」
「…………」
 
カルテットは静かに俯いた。
 
「答えたくなければいい。誰にだって──」
「死にました。」
「…………」
「殺されました」
「殺された?」
「僕の両親は、神に選ばれたから」
「そんな……」
「戦争を巻き起こした人たちの中に、両親もいたんです。ヒーロー側じゃないから、殺されました」
 悲しげに笑う彼を、私はただただ眺めることしかできなかった。
 
力を持った者同士の争いだった。
なんの力も持っていない私たちはただ、その争いに巻き込まれ、逃げ惑うことしかできなかった。おそらく生き残っている者の中にはまだ力を持っている者もいることだろう。この世界から神の力と呼ばれた人を惑わす力が消え去ったわけではないのなら、きっとまた同じことが繰り返される。
 
「僕には力がありません。信じてもらえないかもしれませんが……」
「……どうでもいい。気にしたってしょうがない」
 
私は、あてもなく歩き出した。じっとしていたら不安に押しつぶされてしまいそうだったからだ。後ろから聞こえてくるカルテットの足音を聞く。
 
戦ったヒーロー達は、生きているのだろうか。
争いが静まったこの世界は、平和と呼べるのだろうか。
 
ふと足を止めた。重なり合っている死体の山があった。隙間から息のない子供の小さな手が見えた。大人が守ったのだろう。守りきれなかったが。
遠くで泣き叫ぶ声がする。返事をしない者の手を握り、何度も名前を呼んでいた。何かを訴えるように、言葉にならない声を空に向かって叫んでいる者もいた。ただ呆然と瓦礫に腰掛けて、なにをするわけでもなく時間の流れに身を置いている者もいた。
 
私は、なにをしているのだろう。
変化を待っているのかもしれない。
夜が来る前に、なにか、希望となる変化、光が差し込んでくるのを。
 
「アミルさん」
「…………」
「僕……死のうかな」
「…………」
 
それもいいかもしれない。生き残ったって……。
 
「そんなこと言うたらいかんよ」
 と、声を掛けてきたのは50過ぎくらいの割烹着が似合いそうな女性だった。顔の右側が酷くただれている。
「せっかく生きているんだ。きっと意味がある」
「生き地獄でも、生きなければいけませんか?」
「…………」
 
言葉に詰まる女性をフォローする言葉など、私は探す気にもなれなかった。
戦争は終わった。残ったものはなんだろうか。
生きている喜びよりも、生き残ってしまった困惑の方が大きい。
生きていけるだろうか。この世界を……。
 
私はその女性が着ているロングスカートを見遣った。汚れていてわかりづらいが、花柄だ。
戦争がはじまる3日前は、母の誕生日だったなと思い返す。
この世の終わりが来るかもしれない。そう思って、いつ戦争がはじまるかわからない中、花を買った。母に贈ろうと思った。
花は届いただろうか。それとも、届く前に始まってしまっただろうか。
 
「カルテット」
「はい……」
「花を……探しにいかないか?」
「花?」
「そう。生き延びた花を」
「そんなものあるんですか?」
「さぁ。わからない。でも……」
 
 無性に──
 
「……そうですね。花、探しましょうか」
「うん。時間は沢山ある。きっと、見つかる」
 
探したところで、見つけたところで、どうなるわけでもないのだけれど、私たちには希望と生きる目的が必要だった。
 
希望はどこにあるだろう。
小さなものでもいい。生きる希望を、探してる。
 
私はあとどのくらい生きられるだろうか。
 
カルテットを連れて、どこにあるのかもわからない花を探しに歩き出した。
お腹の虫が鳴く。時折瓦礫の中を探る。一番初めに見つけた食べ物のは、ポテトチップスだった。やぶれていたからあまり中身は入っていなかったけれど、カルテットと2人で分けた。喉が渇いて、今度は飲み水を探すはめになった。
 
随分と歩いた頃、突然地響きを立てて轟音が鳴り響いた。振り返ると、遠くの方で高層ビルが崩れていくのが見えた。もくもくと砂煙が舞い上がり、青い空を汚している。
私とカルテットは暫くそれを眺めていた。階段を下りているときに出会った人たちは、ビルの外に出ただろうか。それとも。
 
「……行こう、カルテット」
「……はい。」
 
背を向けて歩き出す。言葉を交わさなくても思いは同じ。決して振り返らない。前を見て歩いてく。希望が見えてくるその先まで。
 
「アミルさん」
「なに」
「僕、生きる希望を見つけました」
「ついさっき死のうかと言っていたくせに」
「そうですけど……気づいちゃったんですよね」
「なにを」
「アミルさん、あなたのことを」
 
私は足を止め、カルテットを見遣った。
カルテットの瞳は空のように青く、輝いていた。私はその目に、希望を見た。
 
「僕にとって、アミルさんは希望そのものです。声をかけてよかった」
「……重いな」
 と、歩き出す。
「え、重いですか?」
「重い。かなり重い。足が折れそうだ」
「そんなぁ……」
 
嘘。嬉しかった。
こんな世界で、誰かの希望になれたことが。
こんな世界で、希望を見つけたことが。
 

end - Thank you

お粗末さまでした。170502
修正 220427

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【あとがき】
そして数十年後の世界がss「新世界へ」に繋がってしまうのです。
 

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©Kamikawa
Thank you...
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