企画 | ナノ


おいで、
おいで。

まっくらくらの森の中、
狼の口へ。





誰かに呼ばれている気がして、赤ずきんは目を覚ましました。
何も見えないのは、ぼやけた視界のせいではありません。まるで夜のように、周りが暗かったのです。

「……?」

…ここは、どこ?どうして、こんなところに?
ぼんやりと、そう思います。目が覚めたばかりでは、うまく考えることができませんでした。
とにかく体を起こそうとして、そして――初めて、自分が誰かに抱えられていることに気が付きました。ぎくん、と強張った赤ずきんに、暗闇から声が掛かります。

「おはようございます、赤ずきんさん」
「っ!」

その声を聞いた赤ずきんは息を呑みました。暗闇に慣れ始めた目が綺麗な女の人を捉えて、瞬く間に恐怖が甦ります。
どうして忘れていたのでしょうか。
赤ずきんは、この「甘楽」という狼に捕まってしまったのです。

きっとこの真っ暗な空間は、甘楽の塒なのです。
まるでおとぎ話のお姫様のように赤ずきんを抱いて、甘楽は静かに笑います。

「気分はどうですか?」
「…や、あ、ぁ…」

がくがくと震える体。再び恐怖を思い出した赤ずきんの目に涙が浮かびます。気を失う前の、甘楽の牙の感触が生々しく甦って、しゃくり上げて泣き出してしまいました。
――…食べられちゃう、んだ。
私、このまま、食べられちゃうんだ…!
優しいおばあさんにも、もう会えないかもしれません。赤ずきんが怖くて怖くて泣いていると、ぽつりと甘楽が呟きました。

「……ごめんなさい」
「っ…?……ふあっ?」

ぎゅっと抱きしめられて、赤ずきんは思わずうろたえてしまいました。甘楽の声が、あまりにも弱々しく悲しそうだったのです。
突然のことにどうしたらいいのか分からない赤ずきんに、甘楽が言います。

「あなたを食べる気なんて、全然、無いんです」
「…え…?」
「……寂しかったんです。群れから追い出されて、ひとりぼっちで…。だから、お友達が、欲しくて…乱暴なことして、ごめんなさい…」
「っ……じゃ、じゃあ……森で、女の子が、居なくなっちゃった、のは…?」
「…私が声を掛けたら、逃げて行っちゃいました。それからは、見てません…」

甘楽の声に悲しそうな響きが増します。怖い狼だと思っていた甘楽にこんなことを言われて、赤ずきんはすっかり混乱してしまいました。

「…逃げずについてきてくれたのは、赤ずきんさんが初めてでした」
「……あ…ぅ…」
「お願いです…絶対、ぜったい、食べたりなんかしませんから…私と、お友達になってくれませんか…?」

弱い、小さな、声。自分を抱きしめる体が震えているのを感じて、赤ずきんは無意識に甘楽の背に手を回しました。どうしたらいいのかは分かりません。でも、甘楽がなんだかかわいそうになってしまったのです。
ひとりぼっちがどれだけ寂しいか、赤ずきんは知っていました。

「…ほ…本当…に、食べない、ですか…?」
「!」

赤ずきんが問い掛けると、甘楽がばっと顔を上げました。不安に満ちた泣きそうな表情で、甘楽は赤ずきんの手を取ります。

「はい…!ぜったい、食べませんから…っ!」
「あ…っ、あの……それ、なら…」
「………!嬉しいっ!」

答えを言い切る前に、赤ずきんは再び甘楽に抱きしめられていました。犬のものに良く似た尻尾がぱたぱたと床を打つ音が聞こえてきます。
食べられないのなら、おばあさんにまた会えるかもしれません。これで良かったのでしょうか。まだ胸がざわめいている赤ずきんに気付いているのかいないのか、甘楽は心から嬉しそうです。

「優しいんですね、赤ずきんさん」
「…そんな、こと…」

きついくらいに抱きしめられて、見えるのは甘楽のコートと黒い壁だけ。
だから、赤ずきんは気が付きませんでした。

――甘楽が、にい、と暗い笑みを浮かべたことに。


「ね、赤ずきんさん。あなたの名前を教えて?」





それから暫くたった、ある日のこと。
甘楽は森の中を機嫌良く歩いていました。手には綺麗な花束。あの秘密の花畑で摘んできた花です。

あの時、甘楽が赤ずきんに話したことは、ほとんどが嘘だったのです。
群れは自分から抜けてきました。確かにひとりでしたが、それを寂しいと思ったことはありません。女の子たちを食べてしまったのは、やはり甘楽なのです。
確かなことはひとつだけ。赤ずきんを絶対に食べないことだけでした。ああいう風に言えば、赤ずきんはきっと仲良くする道を選ぶだろうと思ったのでした。

「……なまえ。なまえ、かあ…」

教えてもらった名前を、うっとりと呟きました。
優しくて、可愛くて、かわいそうな赤ずきん。最近は、甘楽に対する不信感も薄れてきたようです。このままいけばいつか、赤ずきんを染めてしまえるでしょう。

手招きすれば、赤ずきんは少しずつ暗い道を進んできます。最も奥に狼の姿を見つけた時にはもう手遅れ、帰り道は見えません。

――あ、そうだ。あの猟師も、どうにかしなくちゃ。

赤ずきんの家に着きました。扉を叩くと、真っ赤な頭巾が現れます。

「あ…甘楽さん…!」
「こんにちは。なまえにお花をあげようと思って」
「わあっ…あ、ありがとうございます…!」

――これは、私となまえのお話なんですから。邪魔者には、退場してもらわないといけませんよねえ?

喜ぶ赤ずきんを前に、甘楽はぞっとするほど綺麗な笑みを、その口元に浮かべました。



(どの道を進んでも、赤ずきんは狼の手の内)








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