37.


物心付いた時から“あー涼太君の妹の!!!”“涼太の片割れでしょ?”私の名前を覚えてくれている親戚は居なかった。

祖父母くらいじゃないだろうか。
もっぱら私と涼太の区別も付いていなかったが。


いつも私を呼ぶ時には“涼太”って単語が付いてた。

所詮私の価値は涼太の引き立て役位でしかなかったはずだ。
実際出かけた時も涼太の写真はたくさん撮っていたが私はほとんどない。

私は出来損ないだから。

涼太のようにちょっとやったら出来ちゃうような天才じゃなかったから。

いつも怒られてばかりだったし。


だから勉強くらいは負けないように。と、勉強だけは頑張った。

でも、いくら良い点を取っても両親が私を褒めてくれる事はなかった。


ある日近所の剣道場が門下生を募集していた。
父親に頼みこんで剣道を始めさせてもらった。

その時だって“なんで!!そんなんだったら涼太にもう一つくらい習い事させたいわ”“まぁまぁ涼風の我が儘なんて滅多にないんだからいいじゃないか”って会話してたの聞いてたんだからね。

多分この頃には両親の愛が私になんて向いてなかった事は薄々理解していた。


でも、だからって剣道の大会で優勝した日、丁度涼太の野球の試合と被って、夕飯がお祝いで“涼太おめでとう!!”“よく頑張ったな!!”なんて笑顔の両親を見てられるわけなかった。


その日、ずっと見ないふりをしてきた現実と向き合った。

涼太は悪くない。
悪くない。

でも憎かった。
何度涼太さえいなければって思ったことか。


そんな時ドラマで両親と喧嘩して家を飛び出した女の子がすごく両親に心配されているシーンを見た。

まだ幼かった自分は“自分もこうしたら両親に見てもらえるんじゃないか”と、思った。

実行しなければ、両親の愛が私に向いてない事が確信に変わる事はなかったのに。


両親は私の家出に気付いてなかった。


次の日、ばれて怒られてまた追い出された。


真君から聞いていると思うからここは省くね。


そんな事があって数日後。
母親は私に携帯を渡した。

“これで外泊する時、夕飯の要らない時は連絡頂戴ね”と。
完全なる育児放棄だった。


私が携帯を買ってもらったのを知ると、涼太は“自分も欲しい”とねだったようだが買い与えなかった。

それは“涼太には必要ない。”“携帯での犯罪だってあるのだからまだ危険。”と言っている様で余計に涼太の存在が疎ましく感じた。



それから私は真君の家に泊まる事が多くなった。
寂しくて突然泣きだした時は必ず真君が側に居てくれた。

初めての暖かさで居心地がよくて。
花宮家には勝手に家族を感じてた。


中学に上がった時、剣道部に入った。
剣道部のみんなは優しくて黄瀬涼風を見てくれた。

当時の部長が祥吾のお姉ちゃんでその繋がりで祥吾とも仲良くなった。

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