TV画面の中の音が遠くなる。橙色に染まった帰り道。近くで楽しそうな音楽が流れているのは、アイスクリームを売っているワゴンカーだ。この音が聴こえると家まで急いで帰って母にアイスクリームを買いたいと強請っていた。
 ぼんやりと目を覚ます。見覚えのない日本家屋の天井は、木の模様が渦巻いていた。

「あ、起きた」
「茉莉花、勝手に人の家で寝るんじゃアリマセン」

 母のような口調でそう言うのは鉄くんだった。アイスクリームのワゴンカーの音楽は夢の中で出逢ったのではなく、現実の世界で響いていた。炬燵の上に、アイスクリームのカップが3つ並んでいる。
 研ちゃんがゲームに集中しているのを眺めていたら、炬燵の誘惑に負けてしまったらしい。座布団の一枚を枕の代わりにして眠っていたのは、それでも30分と経っていない時間だったのを、柱時計で知る。

「アイスの季節じゃないと思うんだけど」
「冬に食うアイスがうまいのよ」

 鉄くんと研ちゃんの会話を聞くともなしに聞きながら、浅い眠りのせいか気怠い身体をゆっくり起こす。

「やっぱり寒い。何かあったかい飲み物いれてくるけど」
「俺、緑茶」
「茉莉花は?クロと一緒でいい?」
「うん」

 スプーンをアイスの表面に突き刺すとやわらかく沈んでいく。一口を掬い取ると、斜め前から伸びてきたスプーンが目の前のアイスに刺さった。と同時に鉄くんのアイスのカップが近くに差し出されたために、ストロベリーの果肉が舌の上に滑り落ちるのを感じながら、スプーンを前に出した。

「お前、もう卒論終わったの?」
「うん。後はもう真面目に授業を受けて単位を落とさなければ、無事に大学を卒業できそうです」
「よかったなァ。就職先決まって、卒業の見通しもついて。で、暇だから研磨ン家に入り浸ってるわけだ?」
「……今日はたまたま。研ちゃんに借りてたゲームを返しに来ただけ」
「ゲーム返しに来て寝るってどういうことかな〜。オニイサンにはその気持ちわからないな〜」
「だって、研ちゃんの家って居心地いいでしょ?」
「だからぁ?」
「……眠くなる」

 鉄くんの人差し指が伸びてきて、わたしの額を軽く小突いた。そうして何でもないことのように「一緒に暮らすか?」と言った。

「……え?」
「聞き返すかね。茉莉花が大学卒業したら一緒に暮らすかって聞いたんですう」

 足音を耳が捉えて、押し黙る。研ちゃんは流れる空気を察知して、そのまま引き返そうとした。「研ちゃん、お茶ありがとう」「悪ぃな、研磨」不自然な歓迎に、研ちゃんはあからさまにため息をついた。

「ヒトの家で痴話喧嘩とかやめてほしい」
「喧嘩、はしてない」
「そーそー。研磨は一人暮らしってどうだ?寂しいとかねェの?」
「まったくないね。一人が楽。ほんと楽。誰かと一緒だと気遣うし」
「そうなんだ」
「そうなんだ、じゃねーよ」

 日が落ちるのが早くなると、どこか寂しい気持ちが強くなる。鉄くんの背中は寒さで丸まっていて、上を向くと星がひとつ輝いていた。

「研磨はお前にとって家族みたいなもんかもしんねえけど」
「うん」
「家で二人っきりのときに寝るのはよくねーな。俺がたまたま研磨ん家に寄らなかったらラブロマンスでも始まってた可能性も無きにしも非ず」
「ええ?研ちゃんだよ?」
「あと研磨の家が居心地いいのも聞き捨てならねぇから」
「鉄くんもそんなこと思うんだ」
「知らなかった?」
「知らなかった。ぜんぜん顔に出さないし、いつも余裕たっぷりだし」

 研ちゃんの家の近くは東京の中にあることを忘れてしまえるほど長閑で、本数の少ない電車は休日の夕方でも空いていた。席は選び放題だったけれど、それでもいちばん端の席を選んでしまう。並んで座らずともはぐれることはないのに、鉄くんはわたしの隣に詰めて座った。
 発車のベル。ゆっくりと動いていく電車。瞼の上に降ってくる光景の多くに鉄くんの姿を見つける。一人でいる方が楽だと思う。一人暮らしにも憧れるけれど、二人でいなければわからなかったことや知らなかったことがたくさんあって、たぶんずっとずっと苦しい分、ずっとずっと楽しい。感情の振り幅が大きくなること。逃げ出したくもあって、離れたくもないこと。矛盾を抱えて、それでもそばにいたいと思える人にこの先出逢えるなんて思えなかった。

「鉄くん、さっきの話……本気で言ってた?」
「さっき?なんだっけ?」

 わざととぼけているのかと思って鉄くんの顔を見ると、本当に何の話かわかっていないかのようで、その表情に悪ふざけの気配が潜んでいなかった。途端に恥ずかしくなり、足元に視線を落とす。

「な、……んでもない」

 休日出勤だった鉄くんはスーツの上にチェスターコートを羽織り、足元は革靴だった。渋い焦げ茶色の革靴は、もう鉄くんに馴染んでいた。大人の男の人が履くものを身に着けること、それは鉄くんにとってはもう自然なことなのだった。
 髪を掛けていたためむき出しになっていた耳を隠そうと手を伸ばす。その一瞬早く、鉄くんが耳朶をつまんだために、余計に熱が上がった。

「お前、耳真っ赤だけど」
「電車の中、ちょっと暑い、……のかも」 

 言うと、鉄くんは吹き出して笑った。

「誤魔化すの下手過ぎ。一緒に暮らすかって話だろ?」
「……え?」
「お前が言ってた、さっきの話」
「やっぱりわかっててからかったの?ひどい」

 耳が隠れるように髪を整え、恨みがましい視線を鉄くんに向けると、ふいに子供の頃に見た無邪気な笑顔を見つけてしまった。

「一緒に暮らすか?」
「うん」





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