胸がひりひりと痛む。眩しいライト。割れんばかりの歓声。
すべてが夢の中の出来事であったかのように思えて、ベッドの中でいつまで経っても訪れない眠気を待っていた。閉じた瞼に、僅かな光を感じて目を開けると、ベッドサイドテーブルに置いたスマホの画面が光っていた。

「研ちゃん」
「あ、起きてた」
「研ちゃんはゲーム?明日から朝練もまた始まるんだから、早く寝たほうがいいよ」
「茉莉花はさあ、バレー部にいて楽しかった?」
「なんで過去形?まだ引退までしばらく先なんですけど」
「楽しかった?」
「楽しかったよ。大変なことも多かったけど、春高の舞台にみんなが立ってるの見たら、ぜんぶ吹き飛んじゃった。あとこれからまた頑張ろうって思った」
「クロがいなくても?」
「鉄くんは関係ないよ」
「そう。じゃあ、おやすみ」
「何の用だったの?」
「クロが引退しても茉莉花がマネージャー続けてくれるかわかんなかったから、いちおう確認」
「やめろって言われても続けてやる」
「勝手にどーぞ、じゃあね」
「うん、おやすみ」

 春高以降バレー部は時の人となり、モテ期が来た、と騒いでいた虎ちゃんに本当に可愛い彼女が出来た。
 よかったねえ、と紙パックのバナナオレをストローで吸い上げながら、いささか投げやりな返事をしてしまったけれど、すこぶる機嫌の良い虎ちゃんは気にする様子もなく、「まーな!」と笑っている。
 部活での接点がなくなり、3年の教室が並ぶ階に足を踏み入れる機会すらなくなったせいで、鉄くんがいまどんな様子なのかはわからないけれど、だいたい予想通りの光景が広がっているに決まってるだろうから、それを目にしなくて済む分、気が楽だった。
 今日で2週間、鉄くんと話をしていない。そういう日々がこれからずっと積み重なっていくのだと、覚悟しなければいけない。

 ぴ、という電子音が響き、取り出し口に落ちてきた小さなペットボトルを、カーディガンの袖口を引っ張り、手の平をペットボトルから伝わる熱さから守りながら、両手でそっと持つ。
 話し声は、曲がった先の廊下。鉄くんの声をわたしは間違えたことがない。立ち止まって引き返そうとすると、焦った拍子にペットボトルが手の中から滑り落ちてしまった。
 廊下の向こうで足音が遠ざかっていく。ホッとして、転がっていくペットボトルを追うと、大きな手がそれを拾い上げた。

「ほらよ」
「……あ、りがとうございます」
「お前、聞いてたな?」

 視線がつい下を向いてしまう。上履きのラインの色が、緑色。自分の足元は青。同じ学年だったらよかったのに。たった一年の差は、学校の中では大きすぎる。

「鉄くん、モテるね」
「まーな」

 そう言ってふんぞり返った後に、視線を窓の外に投げた。言いづらそうに「あー……」と独り言のような呟きを零してから、「お前はどうなんだよ」と言った。
 わたしが見上げているのは鉄くんの窓の向こうに投げられたままの瞳。すこし下げるとふっくりと膨らんだ喉仏が見えた。
鉄くんが声変わりしたとき、すこし怖かったことを思い出す。慎ましく可愛らしい声は、だんだんとやんちゃな男の子の形を成して、知らない男の人のそれになった。慣れてしまうと、低くてよく通る声は、揺るぎない安心感と共に耳に甘く届くようになっていった。

「どうって?」
「いろいろあるだろ、お前も」

 鉄くんが歯切れの悪い言い方をするのは珍しかった。虎ちゃんが言っていた話のことかと思い当たり、妹分、と言われたときに軋んだ胸がまたひりひりと痛んだ。

「……断っちゃった」

 鉄くんは、「あ、そう」と気のない様子で言った。わたしの視線の先には鉄くんの横顔が映っていた。

「鉄くんも応援してくれてたのに、ごめんね」

 細くて長くて綺麗な指が目の前に現れて、ぱちんと額で弾かれる。

「応援なんかしてねェよ」

 思っていたよりずっと柔らかい衝撃。手加減される度に、悔しくて仲間外れにされたと泣きじゃくっていた幼いわたしに、その癇癪を宥めることのできる本気を受け取るチャンスは今後も一生訪れないのだろう。
鉄くんが本気で打ったスパイクを受けることも、同じコートでがむしゃらにボールを追って一緒に笑うことも、気軽に肩を組むことも出来ずに、思い出の中でだけ生きていることを許される。そこにさえ居場所を失ったら、わたしはたぶん彼の幸せを願うことの出来る距離にいるはずだと思う。





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