波の音が途切れることなく胸の奥に滑り落ちてしまう。目を閉じて、暗闇の中で輪郭を辿る。
 浜辺へと続くコンクリートの階段に座り込んで、膝を抱え、海の向こう側がずっと遠くまで繋がっていることを想像しても、それはいつも上手くいかない。

「凛ちゃん」

 規則正しい足音、呼吸のリズム、視界に黒の配色が多く、呆れたような溜め息。

「何こんなとこで寝てんだよ」
「寝てない。考え事してたの」
「ずいぶん余裕だな。お前、東京の大学目指してるんだって?真琴から聞いた」
「うん、そう。このあとは受験生らしく予備校でみっちり授業なの」

 白い蛍光灯の光の下で、ホワイトボードとテキストと向き合って、白ばかりを見つめていると、自分自身まで真っ白くぼやけてしまいそうだった。
 来年の今頃、自分がどこでどうやって過ごしているのか、想像がつかない。ほんの数ヵ月後には、制服を纏うわたしはもういないはずなのに。
 急に駆け出した凛ちゃんは、歩きづらい砂の上でも身軽で、あっという間に波打ち際まで走って行ってしまった。
 釣られてふらふら歩き出すと、スニーカーはやわらかい砂の上でずぶずぶと沈み、よろけながらやっとのことで彼の隣に並ぶ。「見ろよ、カニ」と、わたしの手の平に乗せてしまえるほどの小さいカニが、でこぼこした砂の上を懸命に歩いているのを見つけた。
 彼は幼い子どもみたいな無邪気な笑顔を見せて、しゃがみ込んでしまった。
 小学生の頃、たくさんの傷や責任や消失を背負って、それでも明るく振舞っていた彼がすべて本心からだったとは今は思わない。
けれど、こうやって純粋に笑っている凛ちゃんを見ると、あの笑顔にほんの少しでも心からの感情が灯っていたことを願わずにはいられない。

「迂闊に手出すと、また挟まれるよ」
「……うるせえ。あれはわざと挟ませて掴まえるっていう作戦だったんだよ」
「去年のお祭り、たのしかったね」
「ああ、そうだな」

 水平線の向こう側まで波間に漂う光の粒は、すこしずつやわらかさを増していく。
 わたしにとって、海を想うことは、凛ちゃんを想うことだ。
この先、もしかしたら海を眺めることに躊躇してしまう日が訪れるかもしれない。
それでも、今、自分の瞳に映るこの景色を美しいと感じる心をなくしたくない。
 彼の隣にしゃがみこむと、ひときわ大きな波が起こって、すぐ目の前の砂まで海がさらっていった。
波の音が近くて、目を閉じると、頬を彼が意地悪く抓った。
 瞳がまだ水面を白く輝かせている海を映していた。
ふいに胸が苦しくなったのは、彼の瞳の中の海があまりに明るく、光を帯びていたからだった。

「凛ちゃん」
「あ?なんだよ?」

 呼べば応えてくれる毎日が過ぎ去ってしまっても、こうやって静かな海を眺めて、波の音を聞いていたい。
頬に触れた指先の体温は熱くて、わたし、泣くのを堪えている。

「……呼んでみただけ」
「あー、そうかよ」
「凛ちゃん」
「……なんだよ」

 懲りずに素直に返事をする彼は、明るい場所で笑っていて欲しい。
涙は引っ込んで、小さな笑い声を零してしまうと、彼も笑っていた。


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