この冬、初めて雪が降った日。
朝、学院の噴水の様子を見に行くと薄く氷が張っていた。
手で押してみると、パリパリとなんだか美味しそうな音がして、指先はちりちり傷んだ。

 翌日になると、その氷は分厚く、その上に乗っかって歩くことすらできそうな頑丈さに変わっていた。
隣で深海先輩が目に見えて落ち込んだ様子で、ため息を吐いた。真っ白だった。
「まるで『すけーとりんく』みたいですね……」
「昨日から急に冷え込みましたから」
「これじゃあ『ぷかぷか』できないです、ね?」
「できないです!」
 まだあきらめがつかないと言いたげな表情で窺うようにこっちを見るので慌てて否定する。
氷はスコップでも使えば割れないこともなさそうだ。
深海先輩ならやりかねないので今日はこまめに噴水の様子を見に来ようとこっそり心に決める。

「……そうですか」
 ますますしょんぼりしてしまった先輩は、水や魚を見るときのキラキラと眩しい瞳をどこかに忘れてしまったようだ。
「あの、水族館に行きませんか?」
 思い切って誘ってみると、先輩は俯いていた顔を上げて、眩しい瞳を開かせてわたしを真っ直ぐに見た。突き抜けていくほど透き通った純粋な色。惹き込まれてしまいそうに輝いて見える。
「るみかからさそってくれるの『はじめて』ですね」
 にっこり穏やかな笑顔で返された言葉にふいを突かれて思わず赤くなる。
水族館という言葉よりもそっちに反応してくれたことがむず痒くて誤魔化すふりをして分厚い氷に目を移す。
「そ、そうですか?」
「はい。とっても『うれしい』です。きょうのほうかご、るみかのきょうしつまで『むかえ』にいきますね」
「今日!?」
「もちろんです。『ぜん』はいそげです」
 先輩は、氷のせいで真っ赤になっていたわたしの手を取って、自分の両手でそっと包み込むと「『やくそく』ですよ」と無邪気に笑った。

 風が凶器のように冷たい。歩道に積み上げられた氷はもう黒く汚れてしまっている。
ところどころ凍っている道を注意しながら歩いていると、深海先輩が振り返って「てをつなぎましょう。『あぶない』ですから」と手を差し出す。
 手袋を外そうかどうしようか迷って、そのままむき出しの先輩の手に重ねると冷たさがこっちまで伝わってくるようで思わずもう片方の手を使って先輩の左手を挟むと一瞬驚いたように見開いた目はすぐに優しく細められた。
「るみかの『てぶくろ』あったかいです」
「先輩は手袋しないんですか?」
「はい。ぼくはいつでもるみかに『ふれたい』とおもっているので」
 ストレートに飛んでくる言葉はわたしをいつも戸惑わせる。そんなふうにまっすぐわたしも先輩への気持ちを伝えていきたいけれど、むずかしくてもどかしい。
余計な感情をすとんと落として、淀みのない色でわたしも世界を見てみたい。先輩の隣にいるとわたしはいつも、丸く削られていくような、ほろほろと不純物を落とされていくような、澄んだ空気を吸い込んだときのような、清々しさをふと感じる。
 それでも手袋を外す勇気もなくて俯いていると先輩の右手がわたしの頭をふんわりと撫でた。
「るみかは『はずかしがりやさん』ですね」
「深海先輩は……ずるいです」
「『ずるい』のはるみかのまえでだけ、ですよ?」
 水族館の鮮やかな青い壁が見えてきた。
先輩の髪が揺れて一際冷たい風が吹いたけれど、とても楽しい気持ちでそれを受け入れた。



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